imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 素晴らしい世界 2024年4月10日

ふと、素晴らしい世界がどこかにある、と感じることが若い頃からあった。晴れ上がった青空が広がり、何の抑圧もない、ウキウキとした気分が永遠に続くと感じられる世界である。これは私に限らず多くの人が経験しているのではないかと思う。

 

瞬間、すぐそばに感じられるのだけれど、見極めようとするとどんどん離れて行って、彼方に消えてしまう。

 

30代まではそんな世界が何処かに実在すると思っていた。なぜなら瞬間ではあるが、その存在を身近に感じたからである。が、30代後半に認知科学に触れて、結局は自分の認識次第なのだから、認識を変えて素晴らしい世界を自分で作り出すしかない、と思った。それが私のニックネームの「今ここパラダイス」の由来のひとつだ。

 

先日、素晴らしい世界をまた瞬間身近に感じたので、再考してみた。

 

素晴らしい世界は短時間、短期間であれば大切な人との人間関係で得られる。それは大切な他者からの全承認の世界である。自分の存在を丸ごと受け入れてくれるような相手が存在すれば全承認が得られる。しかしそんな関係が永続することはあり得ない。相手も人間なのだから。

 

そこで登場するのが超越的存在である。例えばキリスト教では、神に祝福される、という言葉があるが、これは神による全承認だと思う。そう思えた瞬間、神に祝福された私の人生、を実感する。素晴らしい世界だと思う。漸減するにせよ、これは永遠に続く可能性がある。

仏教ではどうだろう。仏教には超越的存在はいない。関係があるだけである。だから色即是空が成り立つ。つまり自分の認識を変えれば、世界はどうにでも顕現する。全承認の世界も認識次第ということになる。

 

結局のところ、全承認を感じられれば、素晴らしい世界は顕現するだろう。で、素晴らしい世界が顕現したら、何もせず、ただ最高に気分のいい状態で、そのまま餓死してもいいのかも知れない。



しかしそれにしても不思議な話である。自分の大切な人に全承認されると、なぜ素晴らしい世界が現れるのだろう。大切じゃない人ではだめなのか。人でなければだめなのか。自分で作り出した幻想の存在ではだめなのか。

 

それでさえ本人次第なのだと私は思う。近所の人でも、飼っているペットでも、AIロボットでも、自分の脳内に作り出したもう一人の自分でも、その存在に全承認されていると感じ、それが自分の世界を覆いつくしていると思えるなら、素晴らしい世界を感じられると思う。

 

今はまだAIロボットに恋愛感情を抱ける人は珍しいだろうが、そのうち日常になると思う。脳はその程度の柔軟性を持ち合わせていると思う。

エッセイ ランとサボテン 2024年4月9日

ランの仲間に着生ランと呼ばれる生育環境から見た分類がある。樹木の幹に着生して生育するランである。有名どころでは、カトレアやコチョウランだ。

これらのランは何かの理由で土壌から追い出された。で、樹木に着生する生き方に適応した。

着生ランの生育環境の特徴は、貧水分と富湿度である。幹に着生しているので、雨が降ってもすぐに流れ落ちてしまう。帯水することが出来ない。熱帯、亜熱帯によく分布し、湿度の高い場所に多い。アンデス山脈東側斜面の雲霧林はランで有名である。他の条件として日陰で生育する種が多い。

根の形状も空気中の水分を吸収できるように、針金状の根の周りをスポンジ状の組織が分厚く包んでいる。

スポンジ状物質に包まれた根

 

サボテンはよく知られているように、乾燥気候に適応した植物である。その生育環境の特徴は、貧水分と貧湿度だ。土壌の水分も少なく、空気中の水分も少ない。他の条件として直射日光下で生育する種が多い。

僅かな降雨時により多くの水分を確保できるように、植物本体に帯水できるように進化した。

植物本体に水分を保存

 

ランとサボテンを比べてみると、共に根から水を吸収しにくい環境で生育し、かたや空気中の水分が多ければ、ランのような形状、つまり植物自体に水分をためようとはせず、空気中の水分を取り入れるのに有利な形状、スポンジ状の根を発達させ、空気中の水分が少なければサボテンのような形状、つまり植物自体に水分をためて乾燥に耐えようとする。

 

ランとサボテンは全く別の植物と思っていたが、貧水分という集合で括ると、両者の差が浮き上がって見える。



追記

 

空気中の水分をより多く吸収したければ、ひだをつけるなど、表面積を大きくすればよいのだが、それは同時に植物が持つ水分の蒸発量も大きくしてしまうので、良い解決策ではない。吸収しやすいが蒸発しにくい構造の難問にランが出した答えがスポンジ状物質で根を包むことだった。

 

直射日光に晒されるサボテンは可能な限り表面積を小さくして水分蒸発量を抑えたい。しかし体内に水分をより多く保存するためには蛇腹構造をより発達させたい。その妥協点がそれぞれの種の蛇腹の形態だったのである。

エッセイ サボテンの蛇腹構造 2024年4月9日

キンシャチが典型だが、多くのサボテンの形態は、波型が縦に入った蛇腹構造になっている。サボテンを育てて気づいたのだが、これはとても便利な構造なのである。

 

キンシャチ

 

サボテンの生育環境は、たまに雨が降るような気候である。雨が降った時にできる限り水を保存しておきたい。そしてその水を少しずつ使って代謝をして生きながらえる。水の保存場所は植物体そのものである。つまり植物体の体積の増減が激しい。そんな時、蛇腹構造は非常に便利なのである。雨が降ったときは蛇腹を広げて水分をたくさん溜め込む。晴天の日が続けば水分を少しずつ消費して蛇腹を狭めていく。

 

なのでサボテンの蛇腹を見ると、水が足りているかどうか、おおよそ分かる。蛇腹がしぼんでいたら、水をやるサインである。

 

多肉植物コノフィツムという種があるが、蛇腹が無く、円柱形である。この植物に水をやり過ぎると、水分を吸収しすぎて破裂してしまう。

コノフィツム南アフリカ周辺が原産だが、雨が降り続く環境では生育していないのだろう。

コノフィツム



 

自然は本当にうまくできていると思う。

 

追記

 

マミラリア属のように星形の構造も効果は同じである。

 

サボテン科マミラリア属の一種

 

ウクライナ戦争と核兵器 2024年4月9日

2022年2月に始まったウクライナ戦争の状況が1年ほど前から少しずつ変化している。ここでの変化の意味は、ウクライナがロシア国内を直接攻撃するようになってきている、という意味だ。

これまでアメリカを含むNATO加盟国が供与してきた兵器は、短距離ミサイルなど、ウクライナ領土内に侵攻しているロシア軍を攻撃する能力しか持っていなかった。もしくは攻撃しないことを約束させたうえでの武器供与だった。今でもその約束は有効なはずである。

 

理由は明らかで、ロシア国内を攻撃すると、ロシアの核兵器使用の可能性が高まるからだ。

 

ところが最近のニュースを見ていると、モスクワやウクライナ国境近くのロシア領土内へのドローン攻撃が増えてきている。

 

この変化はロシアの出方をうかがいながらズルズルと少しずつ進行している。出方をうかがっているのは、ウクライナではなく、NATO加盟国である。ロシアの反応を見ながら、供与する武器を選定している。つまりNATO加盟国が戦争初期に予想していた以上の攻撃能力を持った兵器供与の展開になっているのだ。何故そうなっているのかと言えば、ロシアが本気で核兵器を使おうとしていない、とNATO加盟国が受け取っているからである。

 

しかしこのままいつまでもズルズルとウクライナがロシア本土への攻撃を増大させることは出来ないだろう。ロシアは当然、核兵器使用のためのレッドラインを引いているはずである。その線を超えた時、国家存亡の危機と認識して核兵器を使用するだろう。

 

さて問題はどこまで行けばロシアが動くかである。

核兵器はこれまでの論理では、抑止を効かせるために使う用意があることを公言はするが、実際には使えない兵器、という認識だったと思う。

しかし実は使えるのか。またもし使うとしたら、どの程度まで追いつめられたら使えるのか。そして実際に使ったとき、NATO加盟国の市民がどのような反応をするのか、を欧米の政治家や軍事専門家は非常に興味を持って見守っていると思う。

 

ロシアの核兵器の使用法と世界の市民の反応は今後の政策に大きな影響を与えると思う。

 

もちろんロシアもそれを意識しているだろう。世界中の専門家が自分たちの行動を固唾をのんで見守っていることを意識しているはずである。どの時点で、どんな使い方をし、世界はどう反応するか。

 

もしロシアが核兵器を使った場合、アメリカはすでにそれに対してどう反応するかをシュミレーションしているだろう。自分たちが有利になるような反応を準備しているだろう。非難文の草稿も出来上がっているはずである。

 

もしロシアが核兵器ウクライナに使用したら、NATO加盟国はどう動くか。パワーポリティックスで有名なシカゴ大学国際政治学者ジョン・ミアシャイマーは以下のように言っている。発言は2022年時だったと思う。

 

ロシアが核を使用した瞬間、すべてのウクライナ支援国はウクライナから手を引くであろう。なぜならウクライナの為に自国を核兵器の脅威にさらすことができないからだ。

 

補記

 

今回の戦争は、通常兵器しか持たない国が、核兵器を持つ国と、通常兵器で戦争をしたときの戦いかたのモデルを提供している。どこまで核兵器所有国に空爆してよいのか、地上部隊を入れてよいのか、など貴重な情報を提供している。

 

そしてこれは核兵器所有国同士の、通常兵器による戦闘でも参照されるだろう。特にインドとパキスタンは今後の戦闘のシュミレーションに応用するだろう。



本文は核兵器使用を前提に話を進めているが、私は使用に反対する。更に言えば、即時停戦を希望する。NATO加盟国はウクライナへの武器供与を即刻やめて、ウクライナに停戦交渉の席に着かせるべきだ、と思っている。

 

(ジョン・ミアシャイマーの発言   ユーチューブの動画で見たのだけれど、探せない。以下の動画を参照してください)

 

https://www.youtube.com/watch?v=on1RrmspFIQ

 

この動画自体は、ウクライナ戦争は簡単に避けることが出来た、という内容です。

 

◎ 2024年5月2日追記

 

ウクライナ戦争でのロシアの核兵器使用について話している動画を見つけた。イスラエルのガザ進行の話もあって興味深い。

 

https://www.youtube.com/watch?v=vlLubLH5QfE&t=1s

 

エッセイ 「目閉づれど 心に浮かぶ 何もなし 悲しくもまた 目をあけるかな」石川啄木 和歌 2024年4月9日

中学の時に出会い、勉強机に向かって座ったときによく口ずさんだ。鉛筆で紙に書いて机の正面の壁に貼っていた。

季語が無かったので、無名の僧侶が昭和に詠んだと思っていた。今回ネットで調べてみると大いなる勘違いであった。

 

中高生のころは、この歌に漂う虚無感が気に入っていた。

目をつぶって、心に何も浮かばないから、目をあけるのだけれど、じゃあ、それからどうしたらいいのだ、とよく思った。

 

啄木がこの歌を詠んだときは、結核で体調を崩して臥せっていたときだろう。だから目を閉じ続けても退屈なので、あけるしかなかった。

 

大人になってからだが、この歌は逆ではないか、と思うようになった。つまり

「目あけれど 心に浮かぶ 何もなし 悲しくもまた 目を閉じるかな」

である。健康な人だったら、こちらのほうがしっくりくると思う。普段は動き回っているからこそ、もう一度目を閉じて穏やかな気持ちで心の奥を覗いてみよう、と思えるだろう。

 

中学、高校生のビビドな時に親しんだこの歌は、私にとって相変らず特別の位置を占め続けている。




この歌の作者が啄木だったので、改めて啄木のことをネットで調べた。

 

以下参照した情報はほぼすべてウィキペディアの「石川啄木」に依る。よって浅薄な内容になっている。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%95%84%E6%9C%A8

 

小論文ほど長い記述であった。熱烈な啄木ファンがいるのだろう。

 

この歌は「悲しき玩具」に収められている。悲しき玩具とは、啄木にとっての和歌のことのようだ。病床に伏しながら、和歌を手慰みとして過ごした、という意味だろう。

 

そしてウィキペディアに書かれたその生涯を読んで驚いた。かなりいかれた人である。太宰治や尾崎放哉を思い出させる。

父親は寺の住職だったが、こちらもかなり常軌を逸した人のようだ。

 

太宰や放哉の、お金を貸してくれた人の信頼を裏切ってまで遊びに使ってしまうのは、今の言葉で言えば、いかにも依存症的である。嘘をついて金を無心し、大切な関係を破壊してまで何かにのめり込んでしまうのはいかにも依存症的だ。啄木はそこまでではなさそうだが、稼ぎがほとんどない割には、知人から借金をしてよく旅行をしている。父親も、親族の家を転々として居候をしている。こんな情けない親がいるのか、と思ってしまう。

 

また社会関係の範囲内で性欲を抑えられないようである。抑制が効かない。ざっくばらんに言えば、自己肯定感が低い。自己顕示欲が強い。

 

肺病で周囲の人が次々と亡くなっていくのも今から見ると一種異様である。

1912年母が結核死、同年啄木も26歳で結核死、翌1913年妻の節子結核死、1930年長女の京子肺炎死、同年次女の房江結核死。啄木夫婦の間に子供は2人しかいなかった。

エッセイ 菓子箱をすぐに捨てる人

年度末を挟んで、人の移動があり、職場で菓子折りをいただく機会が増えた。少人数の職場なので、いただいたお菓子は人数分に分けてすぐに配ってしまう。

 

多くの場合、菓子箱に栞と共に入っている。

 

さて、お菓子を配るとき、菓子箱と栞を見える場所にしばらく置いておく人と、すぐに捨てる人がいる。

 

私はその商品の売り言葉や原材料、メーカー、その所在地などを知りたいので、他の人の為にも箱を置いておく。

 

1 ではすぐに箱を捨てる人とはどんな人なのだろうか。お菓子そのもの以外には興味がないのだと思う。つまり付随情報に興味がない。

以下の可能性があると思う。

 

1) 食べ物に興味がない。甘ければそれでいいだろう。

2) 五感を信じている。つまり味覚、食感をこそ大切にする。五感を大切にする人なのだ。講釈抜きの出たとこ勝負な人だと思う。自分の五感に自信がある。更に発展させれば、無茶振りが得意だろう。その瞬間その瞬間をより楽しめる可能性のある人だと思う。

 

2 かたや私のように付随情報が気になってしまう人とはどんな人か。自分と対象物の間にワンクッション置きたいのである。ダイレクトに五感情報が入ってくることに抵抗がある。心の準備が必要なのである。だとすると、普通に考えて無茶振りが苦手だろう。偶有性を楽しめない。

 

別の例を挙げると、これは私の話なのだが、冬、自分の部屋に入ったときに、まず温度計を見て、10度であることが分かってから、おお寒い、と感じるのである。箱をすぐに捨てる人なら、自分の部屋に入ったとき、おお寒い、と感じて、それから温度計を見て、ああ10度だもんな、と納得すると思う。

 

と言うようなことを、ゴミ箱に捨てられたお菓子箱を見て考えた。

エッセイ モロッコ旅行 お薦めの町 2024年4月5日

2018年3月から5月までモロッコを旅行した。私のおすすめの場所を紹介したい。

 

最低1か月の旅行を予定している人へのお薦めである。短期旅行であれば、行く場所に迷いはないだろう。マラケシュ、フェズ、カサブランカなど観光地が目白押しである。何でもない場所に行く余裕はないはずである。

 

ロッコの特徴はいろいろある。例えば国王が政治権力とイスラム教の宗教的権威の両方を兼ね備えていて、しかも国民からの支持が他国に比べるとかなり高い、それと関係しているが「アラブの春」でも権力基盤がまったく揺るがなかった、などあるが、旅行者にはあまり実感が持てない。旅行者にとっての特徴は、ベルベル人の占める割合が高いことである。国民の30%~40%を占める。私の知る限り国家としては世界一高い。ベルベル人北アフリカ先住民族である。

具体的には、アトラス山脈を境にして、地中海側がアラブ人世界、サハラ砂漠側がベルベル人世界である。少し大げさに言えば、風景も、雰囲気も、人々も一変する。言葉も変わるようだが私には分からなかった。

◎ Inezgane インジェガン

さて最初のお薦めは、地中海側の何でもない町である。観光客はほとんど見かけないが、交通の要衝となっていて、モロッコ人で賑やかである。モロッコの普通の都市を見るにはうってつけだ。

 

旅行者にとって良い町とは、良い宿屋と良い飯屋があることだが、この町はホテルも食堂も多い。食堂の種類も多く、食べ物に飽きることはなかった。

 

宿屋

 

Hotel Tazrouart  場所 9F48+WM8 Inezgane, Morocco 値段 シングルルーム60ディルハム +ホットシャワー5ディルハム  でトイレ、シャワー共同  2018年3月情報

 

町の中心地のバスロータリーから少し離れているので落ち着いている。バスロータリー周辺には安ホテルが林立しているが、私が到着した日は、表通りに面したホテルはすべて満室だった。おかげで静かな良い宿が見つかった。

宿も清潔で居心地が良かった。

 

食堂は特に記録していないので、目移りしてあちこち食べ歩いたのだと思う。

 

典型的な朝食。パン、ミントティー、チーズ、オリーブオイル。チーズをオリーブオイルにそのまま入れて、パンで潰しながら食べる。四角い白いのは角砂糖。

価格表 アラビア文字のみ 少し勉強すれば発音できるようになる

いろんな種類の魚のフライ 海が近いからだろう

ロッコと言えばエスプレッソ。日本の有名店の味が、何でもない町場の店で飲めることがあって、さすがモロッコ、と思う。


◎ Midelt  ミデルト

 

東西に走るアトラス山脈の主稜峰の北側に開ける広大な谷の中の小さな町である。少し歩くとすぐに広大な荒れ地や枯れ川に出る。地形について思いを馳せるのによい。標高1500メートルで年間降水量200ミリ弱の気候で、ここに限らずだが、日本では見かけない変わった多くの植物にも出会える。

宿の屋上?から周辺を見渡すと、不自然な建物が見える。カスバ(城砦建築物)だ。M7W3+363, Midelt, Morocco  水道が引かれていないので、多くの住民が転出していて、隣に新集落を作っている。内部は半ば崩壊していて、多少気持ち悪いが、建築は非常に興味深い。1階は主に家畜部屋(ヤギ)になっていて、住居は2階からである。

 

たまたま私が訪れた場所だけかもしれないが、ここより地中海側の丘陵地の農村に行くと、イヌを放し飼いにしているので、自由に歩きづらいが、ミデルトから南側、つまりサハラ砂漠側はなぜかイヌを飼っておらず好き勝手に歩ける。目についた、あれっ、と思った行きたい所に自由に行って、好奇心を満たせるのだ。

 

ここより山を越えたサハラ砂漠側は、降水量が更に少なくなり、枯れ川の水を利用したナツメヤシ畑はあるが、農村とか、ヤシ以外の農地は見られなくなり、町を外れるとただ荒れ地が広がるだけになる。つまり素人目からすると、どこも変わらない風景に見える。ミデルト辺りがその境目である。

 

トルコのアナトリア高原の東側こそがいかにもトルコらしいのと同様に、モロッコアトラス山脈以南のサハラ砂漠側こそが独特の文化と風景が広がってモロッコらしいと思う。このアトラス山脈以南に行くには急峻なアトラス山脈を越えなければならず、尾根越えルートは僅かしかない。ミデルトを通るルートはその主要ルートの一つである。なのでアトラス山脈以南に行くときに寄ればいいと思う。

 

宿屋

 

Hotel Restaurant Bougafer 場所 M7M4+3W Midelt, Morocco 値段 シングルルーム70ディルハム+ホットシャワー10ディルハム  トイレ、シャワー共同 slow Wifiあり   2018年5月情報

 

見た目もきれいなホテルで、部屋もこぎれいだった。名前の通り1階はレストランになっている。

町に安宿は僅かしかない。ここ近辺に固まっている。すべてのホテルで部屋を見てから決めてもよい。

 

飯屋

投宿していたホテルのすぐそばに早朝から開いているプロチェット屋(肉団子)があった。私は早起きで、かつその店のプロチェットが美味しかったので毎朝通った。円盤パンとミント茶で食べる。小さく地味な店で、入るのに勇気がいるかも知れない。カサブランカの観光客相手のぼったくり店と違い、壁に値段が張ってある。多くの地域でそうであった。

カスバ外観  集落要塞である

カスバ内の道。もちろん青天井の道もある。

 

映画評 レビュー「蜂の旅人」テオ・アンゲロプロス監督1986年公開 2024年4月1日

養蜂家の初老の男が家族を捨ててひとり蜜取りの旅に出る話である。道中、昔の友達を病院に見舞ったり、家出をした長女の店を訪ねたり、無人の実家に立ち寄ったり、若い娘と出会ったり。

幾つかキーワードになる言葉がある。ミツバチの分蜂で、「新しい女王は巣を飛び立って大空を飛びながらオス蜂と交尾をする」。若い娘が、「私を飛び立たせて」と男に言う。

 

娘を飛び立たせられなかった男は、人生に見切りをつけ、蜂箱をひっくり返し、ミツバチに刺されながら倒れて死んでいく。

 

映画には、この監督の今までの主題である、反体制、親共産、ギリシャ愛国のどれもがない。

 

まず始めに言ってしまうと、私はこの映画が全く不明であった。なぜ妻と別れたのか。別れた後に、なぜ妻のところに戻ったのか。若い娘にうんざりしたのに、なぜカフェに車を突っ込んでまで娘に会いに行ったのか。蜂に襲われて倒れた時、なぜ地面をタップしたのか。ハチに襲われて死んでいくラストも、あまりにも唐突過ぎて「なんじゃこりゃ」感に包まれてしまった。置いてけぼりを食らったのである。

 

もし男が娘と出会っていなければ、物語はどのように展開したのだろうか。もともと家族と縁を切った時点で、破滅の雰囲気が漂っている。旅の途中の他愛もない小さなことをきっかけに、同じような結末に至ったような気がする。だとしたら、男の結末は予定調和だった。これを衰退するギリシャのメタファと取れなくもないが、ギリシャは老人に擬せられるような存在なのだろうか。だとしたらかつて青年の時期があったということになるが、それはいつのことだろう。まさか古代ギリシャではないだろう。ただただ力の衰えた存在の例えかもしれないが。だとしたら、アメリカンポップ音楽でダンスを踊る若い娘は何のメタファだろう。

つまり、この男から、衰退していくギリシャを読み取るのはかなり無理があると私は思う。

 

若い娘は自分を傷つけながら今を生きているように見えるが、「シテール島への船出」(1984年公開)の「生きている実感が持てない」姉ヴォーラの少女時代かも知れない。

 

監督は何かをメタファとして伝えたかったのかも知れないが、私には伝わらなかった。思わせ振りな言葉や表現がちりばめられてあるが、実は思わせ振りだけがあって、何も考えていないのでは、と疑ってしまう。

 

1980年代前半のギリシャは1〜2パーセントのGDP成長率で、とても景気が良いとは言えないが、それでも安定成長を続けて社会が変わっていったのだろう。社会共通の不満が遠ざかり、アンゲロプロス監督もその対象を失っているように見える。



追記

 

古くからの友達で、廃業した映画館の支配人を演じたディノス・イリオプロスは1913年エジプト生まれフランス育ち、1935年にギリシャに移住、31歳で初ステージ、35歳で初映画出演を果たしている。50歳の1963年には自身でアテネに劇場を設立した。その後その経営に苦労したようである。Wikipediaによると、ギリシャで最も人気のあった俳優の一人である。生涯70本以上の映画に出演し、そのほとんどが主演だった。2001年87歳で亡くなっている。

 

病人を演じたセルジュ・レッジャーニは1922年のイタリア生まれ、子供の頃家族でフランスに移住した。第2次大戦中、反ナチスレジスタンス運動に参加している。43歳の時、歌も歌い始め、シャンソン歌手としてより成功したようである。また反体制派として若者に認知され、1968年の学生運動にも積極的に関わった。1980年息子の死をきっかけにして、鬱とアルコール依存症になった。つまりこの映画の撮影時は実際に状態が悪かった。映画では極上の酒を飲んでいたが、あれは酒ではなかったのかも知れない。晩年は絵も描いていたようである。2004年82歳で死亡。



エッセイ AI世代X 今後の世代の名づけ方 2024年3月29日

先日、山下祐介著「限界集落の真実」という本を読んでいると、限界集落の構成世代が書いてあって、まず昭和ひとケタ世代、次が団塊の世代、最後が潜在的団塊ジュニアの世代だった。

本書は世代論を展開していない。そして私はあまり世代論が好きではない。一つの世代にもいろんな人がいるでしょ、と思ってしまうからだが、社会学が社会を扱う際に、世代は有効な概念になるとは思う。

 

ということで世代について調べてみると、私は「新人類世代」(1955~67)のど真ん中であった。新人類など全く他人事のように聞いていたので意外である。この世代の特徴は、親が戦後教育を受けているので、以前の世代よりは人権を尊重するようである。

他に「しらけ世代」(1950~65)ともかぶっていて、前の世代の失敗した学生運動を見ているので、無気力、無関心、無責任でノンポリが特徴のようである。そういえば高校や大学の時、「お前ら、無気力すぎる」と教師、特に社会科の教師に馬鹿にされた記憶がある。しらけ、とは懐かしい響きである。さんざん揶揄されたことを思い出した。

 

弟はバブル世代(1965~70)に属しているようである。就職時にバブル経済を経験していて、旺盛な消費活動が特徴と書いてあった。妙に当たっていて笑えてくる。

 

戦後の世代を順に並べると、団塊、しらけ、新人類、バブル、団塊ジュニア、ミレニアル、ゆとり、Z、となる。

各区分はおおよそ経済状況に起因している。最後のZ世代が、生まれた時からネット接続環境にあった。つまり技術革新が直接の区分の理由になっている。

 

アメリカでの世代区分はもっと幅広く、

まずベビーブーマーで、日本の団塊の世代に当たる。

次がX世代で、それまでの世代から見ると、とらえどころがないのが特徴のようだ。

次のY世代はベビーブーマーJrのことだ。

最後がZ世代で、イラクアフガニスタンなど世界政策で失敗をつづけ、経済的にも落ち目な弱いアメリカを受容する世代だと説明される。



で、今後どんな区分によってどんな名前の世代が生まれてくるのか、予想してみた。グローバリズムを反映して世界共通の区分になるだろう。

 

以下は予想です。

 

今後は技術革新のみが区分の理由付けになる。共通名はAI世代である。それしかない。小分類名は、ローマ数字で表記され、共通名AI世代の後に接続する。

具体的には、AI世代ⅣとかAI世代Ⅹとかである。

小分類名の区分理由は、もちろんAIの進化で分けられる。チャットGPTで育った世代は、AI世代Ⅰである。

100年もすれば、つまり2120年ごろにはAI世代ⅩⅩ(20)辺りまでいっているだろう。

社会学を専攻する学徒は、ⅠからⅩⅩまでの各世代の年代と特徴を叩きこまれることになるだろう。

不景気や戦争や戦術核兵器使用は世代に多少の影響を与えるが、AIの技術進化ほどには区分に影響を与えない。

 

と言うように予想するが、今後の人類の特徴が、AIの状態に規定されることが本当にあるのだろうか。それは人の認知世界が深くAIに依存することを意味すると思うが、そんなことで本当にいいのか、とも思う。

今後、私たちの世界観はAIと共進化していくことになるだろう。

 

映画評 レビュー「シテール島への船出」テオ・アンゲロプロス監督1984年公開 2024年3月27日

あらすじは

 

https://movie.hix05.com/SouthEurope/angelopoulos03.cytel.html

 

簡略なあらすじは、主人公アレキサンドロスの父サピロが亡命していたソ連から32年ぶりに帰国し、かつての価値にこだわり、最初は村人たちに締め出され、次に国家からも締め出されて、ギリシャ国籍を持たないものとして、その妻カテリーナと共に筏で公海に駐留させられる。

 

主な出演者の性格は

映画監督アレキサンドロスの父サピロは、1946年から49年のギリシャ内戦時に反ナチス共産党支持者として戦ったが敗北、32年後に亡命先のソ連から帰国する。儲け話に乗らず、むらの放牧地を売ることに反対して村人たちと騒動を起こす。ギリシャ政府から滞在許可を取り消され、ソ連に送還されようとするが、本人が同意しなかったので乗船できない。やむなく取りあえずの処置として、筏に乗せて沖合に係留するが、サピロは動じない。自らの価値を信じている。覚悟が決まっている、というのか。

 

主人公アレキサンドロスの母カテリーナは、32年間、夫サピロの帰りを待った。ピサロソ連で家庭を持ち3人の子供がいることを知った後も、サピロと一緒にいようとし、映画の結末には自ら筏に乗り込む。

 

映画監督のアレキサンドロスはサピロに寄り添い、助力する。

 

姉のヴォーラは、父サピロの時流に乗らない生き方に反発し、サピロのサポーターとして連れまわされることにうんざりしている。自ら告白するように、何も信じることができず生きている実感が持てない。

 

シテール島とは、ギリシャ神話に出てくる愛の神アフロディテが海で生まれたあと最初に上陸する島である。

「シテール島への巡礼」という絵画が18世紀にフランスで描かれ、20世紀初頭にこの絵を見てプーランクが「シテール島への船出」を作曲、またドビュッシーが「喜びの島」を作っている。どちらも明るい曲である。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%B7%A1%E7%A4%BC

 

映画は映画監督アレキサンドロスが子供時代の夢から目覚めるところから始まる。覚醒後もその気分が残っているようで、歩きながら軽くステップを踏む。目覚めた後、息子のサピロとも妻とも疎遠な関係が描かれる。

 

撮影所に行ったアレキサンドロスは、次の映画の主役の老人の配役が決まらずに悩んでいるところに、花売りの老人を見かけて後をつける。港で彼を見失ったところから、もうひとつの劇中劇が始まる。さっきまでは浮気相手の女優が姉のヴィーラとなって現れ、もうすぐ父が32年ぶりにここで下船することを告げる。そしてアレキサンドロスはすべてを了解して物語が自然に始まる。「私だよ」と言って船から降りてきたその父は、さっきの花売りだった老人である。

物語は劇中劇というより、自分が書いた脚本の物語の中に監督アレキサンドロスが自らが出演して、父の息子役を演じている、と言ったほうが適切だ。

 

帰国した父サピロは昔の価値を堅持する。周囲に対して動じない。若き頃、共産主義を信じて戦った。その記憶が生きる力を与えているように見える。

帰国時にサピロが信じていたものが共産主義か伝統的なギリシャの価値かは私には分からなかった。アンゲロプロス監督にとってそれはもうどちらでも良かったのかも知れない。

 

母カテリーナもサピロへの愛は動かない。今までも寄り添って来たし、これからも寄り添っていく覚悟を見せる。

 

対して姉のヴォーラは落ち着かない。こんな他人事に関わっていられない、という風情である。両親が筏で流れ去っていくときも、さっさとその場を立ち去る。

 

監督アレキサンドロスは自分が監督している映画の中に入ってしまった。白昼夢を観た、とも言える。

それは監督アレキサンドロスがそうあって欲しかったものだろうし、アンゲロプロス監督が訴えたいものだろう。

 

それはこれまでで明らかなように、サピロやカタリーナには確信があり、ヴォーラには確信がない。今のギリシャの人々には確信、価値観が持てない、ということだと思う。かつてファシズム帝国主義と戦っていた時は、確かな価値を信じられた。しかし1980年代にはかつてのように純粋に共産主義愛国主義反帝国主義を信じられなくなった。目の前から戦う敵がいなくなったのだ。映画が作られた1980年代はギリシャでは中道左派政党PASOKが社会主義政権を運営していた。その社会主義政権もバラ色ではなかったのだろう。だからアンゲロプロス監督は無国籍者を公海に放り出す無慈悲な政府を表現した。港湾労働者のためのお祭りも雨が降り、客も少なく物寂しげである。

この映画でアンゲロプロス監督は共産主義に別の価値、古い世代にとっての確かなもの、を見出したのかも知れない。

PASOKは、同じ監督の1977年公開の映画「狩人」の主人公の一人である政治家のパパンドレウが自ら作り、党首を務めた政党である。

1989年以降PASOKは政権の座を失うが、きっかけは汚職である。

信じられる価値を失ってギリシャが漂流し始めている。

 

妻子とも上手くいかず、女優とも本気になれない、寄る辺ない身の虚しさを感じている監督アレクサンドロスが、自ら出演し、監督している物語で求めているのは、サピロとカテリーナの確かな愛だろう。アレクサンドロスの希望を投影している。

 

サピロがしばしば口走る「しなびたリンゴ」とは何の隠喩だろうか。かつての同志と再会した時、「真っ赤なリンゴ」の歌を歌いあったが、それと対になっている。しなびたリンゴとは、精気を失ったつまらない村社会、つまらない国家の管理社会を表現しているのか。

 

結末では、2人の乗った筏のもやい綱をサピロがほどいて漂流し始める。これから愛の島シテール島に向うというのに2人の表情に全く喜びはない。

劇中劇の合間でロケハンからの留守電にあったように、これからシテール島でロケが始まるというのに。

 

さて、私はこの映画を観て何を感じたか。1980年代にはあった前提、皆が信じられる確かなものが何処かにあるはずだ、という前提は、今は存在しない。誰もそんなものの存在を期待していないだろう。「人生、こんなもんだろ」である。

豊かになって、それぞれの価値を追求できるようになって、共通の価値が失われた。

そういう観点からこの映画を観ると、確かなものを得ようとして右往左往する監督アレクサンドロスのふるまいを、かつての自分を見るようで、妙に懐かしく感じるのである。

 

他に、アンゲロプロス監督が今までこだわってきた主題、ギリシャ愛国がこの映画では抜け落ちている。それと不可分だが、大国によるギリシャ国内への干渉も描かれていない。監督の中で、フェーズが変わった可能性がある。もちろん外的環境も変わったのだろう。



追記

 

 

  • 1974年までは非合法化されていたギリシャ共産党は1980年代を通して有効得票率の10%程度を獲得している。



  • サピロ役のマノス・カトラキスは実際にギリシャ内戦に参加し、戦後、懺悔改心の署名をしなかったので、政治犯として監獄島マクロニソスに投獄されている。映画公開年の1984年に76歳で亡くなった。

また劇中劇でもずっと付き添った内戦の同志役のディオニシス・パパジャノプロスも1984年71歳で亡くなっている。

 

  • 私はこの映画を観た時、監督アレキサンドロスの白昼夢への移り変わりに気が付かなかった。花売りが父親になったので、この監督お得意の時間の入れ替えなのかな、と思っていた。

この映画に限らず、アンゲロプロス監督の映画は、時間の前後があったり、ワンシーンの中で時間が移っていたり、ギリシャの現代の歴史を知らないと理解できなかったり、といろいろ仕掛けがある。

ここから分かるのは、映画をお気楽に見るな、考えろ、という監督の基本姿勢である。そういう意味で、監督も確信を持っていると思う。