食べたいものが食べれる幸せ

先日食中毒になった。 腹部の激痛から解放されて、布団の中でぼんやりと横たわっている時、突然魚の干物が無性に食べたくなった。 他に何か食べたいものはあるかなと考えると、思い浮かんだのは、かえしの利いたそばつゆにつけたそばと筑前煮、魚の天ぷらだった。
普通の食事ができるようになってからまだ4日しか経っていないが、すでに干物とそば、筑前煮は食べた。 家で魚の天ぷらを揚げる程まだ元気ではないので、近々近所のてんやに行って天丼を食べようと思っている。

あの時、私が布団の中で願ったことがもうすぐ全て叶う。 たとえ食事という簡単なこととは言え、願った事が叶う環境にいる人たちが世界にどれほどいるだろう。日本は非常に幸せな国だと思う。
食べたいものが食べれる幸せをしみじみと感じていたいと思う。

どうすれば人生を変えれるのか

日常生活は惰性で続けがちだ。 変えたいと思っていてもなかなか変えれない。 日常は慣れているから快適なのだ。 新たなことに踏み出すのは未知なのでハードルが高い。 ではどういう時に変えれるのだろう。

先日食中毒を経験した。 激痛も収まって布団の中で横になっている時、ふと魚の干物が食べたいと思った。 そして無性に食べたくなった。 思い返せば最近の食事は易きに流れていた。 安い食材や手っ取り早く美味しく感じられる油を使った調理法など。
日本食回帰するか。 突然そんな言葉が浮かんだ。 したかったのに、決心がつかなかったこと。
回復後、日本食が続いている。

どうすれば惰性の日常から抜け出して人生を変えることができるのか。

以下の二つがあると思う。
1 目標を持つこと
目標を作ってそれに向かうと決めた瞬間、価値の組み替えが起こる。 つまりこの快適な日常生活から、目標を実現するための生活に変化適応しなければならない。
例えば、2年後トライアスロンの大会に出る、と決める。 決めた瞬間に生活の優先順位が一気に変わるだろう。 食事の内容も変わるだろうし、筋トレやランニングやスイミングなど時間の使い方も大きく変わるだろう。 たぶん世界が全く違って見えてくるはずだ。 目につく本も、見えてくる広告も。

以上のように、目標を作ってそこから一歩を踏み出せば人生を変えることができる。

2 命や日常生活を脅かすような重大な出来事
少し大げさだがこちらが私の例になる。
重大な出来事によって自分の命や人生の大切さを再認識させられて、人生を変えることを決断できる。
これはよく聞く話だろう。 この話の未達成版が、死の間際に、もっとあしとけばよかった、と思うことになるのだろう。

以上の二つしかないと思うのだが、2の問題点は、自分で重大な出来事を作ることができないことだ。 故に運を天に任せるしかない。
それに対して1は自分で作れる。

ナイロビ ケニアの安宿 2018年2月情報

New Kenya Lodge Dorm.750sh
PR9G+C8 Nairobi, Kenya Googleマップ上の表示は少しずれている Letema Rd.突き当りにある

1段ベッドのみでベッドが揺れることはない 室内でのベッドの配置も余裕がある
朝は無料の甘いケニアティが飲める 魔法瓶1ポット分だけ
スタッフは皆おじさんで親切だった
同じ経営のレストラン?クラブ?がすぐそばにあって、そこで揚げたパンを時々朝に売りに来る 従業員はよく買っていた 自らレストランに出向けば売ってくれる。9時?に毎日調理場で揚げている ひとつ20sh 揚げたてなので美味しい 甘い紅茶とよく合う 建物の入り口が別で、かつ階上なので従業員に行き方を聞かなくては辿り着けない

かっては日本人宿だったが、旅行サイトに登録してからは多くの外国人が泊まるようになっている

ロケーション
鉄道駅前の再開発済みの地域に隣接して昔ながらの商店街になっている 周囲にはレストランや長距離バスの営業所がたくさんあり非常に便利

昼間は商店街の歩道に露店が立ち並び、人通りも多く治安の悪さは感じなかった
しかし1年前は治安が悪かったということなので事前に政情を確認した方が良い
夜は商店が閉まるので通りが真っ暗になる

近所のレストラン
Swanga Restaurant
PR9G+2W Nairobi, Kenya
小奇麗なレストラン オフィスの昼休みに会社員がよく食べに来てた 見た目も綺麗で美味しい

PR8F+XX Nairobi, Kenya
この場所に昔ながらのレストランカフェがある だだっ広いホールで店内は地元の人で結構混んでいる ゆっくりできる メニューもある

行き方
タンザニアやイシオロ方面からバスで来た場合、郊外のバス停に停まることが多い そこから歩いて5分ぐらいのところに中心地行きのバス停がある 9番のバスに乗れば行く 分からなければ周りの親切そうな人に聞けば良い 30sh 宿の100 mそばまで行く
バス停の場所 PRCX+7X Nairobi, Kenya

タンザニアの国境から早朝バスで行くとナイロビには夜着くことになる 不安であるならIsioroあたりで途中下車して数泊してから午前中に出発すれば夕方にはナイロビに着く
バスは座席予約なので途中乗車でも必ず座れる
イシオロのホテル
Mocharo Lodge Accommodation single room with hot shower 1200sh
少し高いが清潔で居心地のいいホテル 受付も非常に親切だった

イシオロのレストラン
Bagdad county hotel
9H2M+35 Isiolo, Kenya
ランチ200sh ボリュームがありカレー?が美味しかった

もしくはケニア山ふもとの町でゆっくりするのもいいと思う

バーベキュー

両親が田舎に引っ越した時、帰省すると、バーベキューを庭でよくした。 ドラム缶を縦半分に切って、炭焼小屋でもらってきた炭を入れて、猟師から買ったイノシシ肉を焼いた。 最初のうちこそ珍しく楽しかったが、夏の昼間は暑さを避けるため、夜は蚊を避けるため、冬は暖を取るために肉を焼いては家に持って行って食べるようになった。 そのうち焼く係が一人か二人だけ外に出て、残りは家の食卓で待つようになった。 つまり普通の食事になったのだ。
バーベキュー自体を冷静に味だけで食べると、実はそれほど美味しくない。 火の通りや調味料が不均一で、しばしば焼きすぎている。
だからバーベキューで焼いた肉や野菜を食卓に座って食べるとあまり美味しくない。
美味しくないのでバーベキューはそのうち下火になった。

今から思えばバーベキューとは何かが分かっていなかったのだと思う。 当時は炭や薪を使って肉を豪快に焼く調理法をバーベキューだと思っていた。 だから焼いた肉を持って家に入っても何も変わらないと思っていたのだ。
しかしバーベキューの本意は、いつもと違った空間でみんなとおしゃべりしながら食べることにあったのだと思う。
更に言えば、おしゃべりをして楽しむことが本意で、その舞台装置として非日常の空間と調理法があったのだ。

心揺さぶる外国旅行 または非日常での自己崩壊

大学を卒業した1986年春、私は人生初めての外国旅行に出かけた。 最初の目的地はタイだったが、地球の歩き方のタイ版はまだ刊行されていなかった。東南アジア版と言うくくりで刊行されていた。
バンコクのホテルもレストランもわずかしか紹介されておらず、とりあえず最安値の宿を目指して出かけた。 もちろん予約などできない。
バンコクの空港に着いて飛行機のドアを出た途端、生温かいそして独特の甘い匂いの空気に包まれた。
バンコクでは見るもの聞くものすべてが珍しかった。 知らない料理だらけで、どうやって作るのか全く見当がつかなかった。 熱帯の暑さの中、異様に元気なタイ人が街に屋台街に溢れていた。 私は彼らに圧倒された。タイ人に混じって満員のバスに汗をかきながら乗っているだけで、腹の底からどうしようもなく笑いがこみ上げて来た。 タイ人に紛れて街に溶け込んでいるのがとにかく楽しくて仕方がなかった。
私は初めての外国旅行の地、タイに魂を鷲づかみにされた。 非日常の世界(彼らにすれば日常なのだが)で、体から自分を溢れ出させた人たちに気おされた。 強烈な何ものかを心に刻印された。

数年前に久しぶりに外国旅行に出かけた。 旅行の方法が全く変わっていた。大金の所持方法、 飛行機の予約、宿の予約、安くて美味しいレストランの探し方、目的地までの交通手段の探し方と乗り方、街の地図情報、片言の旅行者会話、天気予報。
その気になれば行く前に全ての行程を予約することもできた。
とても便利になっていてつくづく技術の進歩に感心した。

しかし今回の旅行はあの時の旅行ほど激しく心を揺さぶられることはなかった。 理由の一つは年を取って感覚が摩滅していたのだろう。 初めての経験ではなかったということもあるだろう。 旅行先の人々が豊かになって、日本と似たような価値観を持つようになっていた、ということもあるだろう。
しかし最大の理由は便利になったことだと思う。 行く前におおよその予測できるのだ。 予測できればできるほど不安は減っていく。 快適なのだ。 その分、人との関わりが激減した。
快適の中身は
1 出費の抑制。 高い交通機関や宿を避けれるようになった。
2 体力消耗の抑制。 大きな荷物を持って、しばしば猛暑の中、人に尋ねて歩き回らなくて済むようになった。
3 騙されて腹が立つことの抑制。 行く前に多くの情報に接することで、騙されることが格段に減った。
このことと引き換えに心揺さぶられる体験ができなくなったのだと思う。 では心揺さぶられる体験のために、この3つの快適を諦めることができるか。 私には到底できない。 一度手に入れた便利さを手放すことは非常に困難だ。

この時代に初めて外国旅行をする若者は、心揺さぶられる経験をするという点でかなりハンディを負っていると思う。 腑抜けになるような経験をするのはかなりハードルが高い。 それが今の若者に熱狂的な旅行フリークが減っている一つの理由だと思う。
かって外国旅行は非日常の自己崩壊を経験する重要な場の1つだった。 そのような場が社会から1つ1つ消滅している。

私を食い尽くすようなビビッド感は今でも私の心の中にある。

自尊心と自己肯定感とその高め方

1 自尊心は他者との関係の中での自分への評価に関わる。 評価には部分評価と全体評価がある。
1)まず部分評価。 自分の能力を他人と比べてする評価のことだ。(性格評価もあり得るが自尊心にはほとんど関わらない。性格は変えることができるという意識もあるだろうし、1つの性格でもプラスとマイナスの評価が出来るからだろう) あの人の方が私より面白い。 あの人の方が私より頭の回転が速い。 あの人の方が私より仕事ができる。
このような低い能力評価をどうやって乗り越えるか。
まず人と比べて勝ち負けを意識するのは無意味である。 前提条件が違うからだ。
(詳しくは以前のブログ
https://hiroto-pilato.at.webry.info/202012/article_2.htm )
次に、具体的に考えてみると、管理職ではない現場労働者が、周囲と比べて、自分は仕事ができない、と感じていたとする。 この場合の能力とは実質的には、次に必要なことを予想して準備する能力だろう。 大雑把に言えば20~30分後のことを予想する能力だ。 これは現場労働をするのに大切な能力だが、多くの能力の一つにすぎず、自分の価値を大きく損なうものではないだろう。 経営者や管理者に必要とされる能力でもない。 故に自ら進んで自分の価値を下げる必要はないと思う。 だとしても、自分は仕事ができないやつだ、という劣等感から自由になれなときはどうするか。 上記で乗り越えられなければ次は自己肯定感の領域に入る。

2)次に全体評価。 他者との関係の中で育む自分への全体の評価だ。
具体的には、やましいことはしていない、世間に胸を張って生きてたとか、卑怯な奴だとか、情けない奴だとか。 最終的にこの評価は大切な人たちとの関係で決まる。 大切な人たちを大切にできたか否かだ。抽象化すれば利己ではなく利他に生きれたか。 大切な人たちを大切にできなければ自分だけを大切にするしかない。 関係を大切にせず、大切な人たちの存在を大切にしない利己行為は当然自己評価を下げる。

社会の中で見れば、相手が利他に振る舞わないと前提すれば,こちらが利他に振る舞う動機付けを失う。それは社会の基盤を崩していく。
この低くなった自己評価をどうやって乗り越えるか。
手っ取り早い方法は、困ってる人を助けるとか、人の嫌がることを率先してすることだ。とりあえずは他者から評価され自己評価が上がる。これを繰り返せば、 関係の大切さが意識され、関係に包まれて生きている自分を感じれるようになる。入り口は以上のような方法が考えられるが、最終的には共感能力によって大切な人たちに自然と利他行為ができるようになることだろう 。

余談
3) 尊厳は、自尊心と似ているが意識された対象は異なる。 尊厳は自由に関わる。選択の自由が与えられてると思えることだ。自分が生きている社会・世界への操作可能感だ 。
1))社会的に見ると、尊厳は権力を変えることができると信じれことによって支えられている。(社会に権力は不可避 以下を参考にしてくださいhttps://bblog.sso.biglobe.ne.jp/cms/article/edit/input?id=39185671 )
2))社会の外も含めた世界から見ると、自分は世界を改変できると信じれることによって尊厳は支えられている。 自分が存在する世界への操作可能感。これは世界への一体感によって感じられる自己肯定感とつながっている。

尊厳死とは自分の最低限の生に対する操作可能感を社会が尊重することだ。

2 自己肯定感 自己肯定感は評価になじまない。 自分の存在そのものに対する受容感だ。
それは世界と自分との関係に関わる。 世界と自分が断絶していれば、世界は自分を受容していないと感じるだろう。つまり世界からの疎外を感じる。視点を変えれば自分は世界を受容しているかどうか。 これが自己肯定感を形作る。 つまり世界は自分を受容しているのか、もしくは自分は世界と一体感を感じれるのか、が重要なのだ。
この感覚が希薄な場合どうやって乗り越えることができるのだろうか。
根源的な感覚なので、これを変えるハードルは高い。
尊厳のところでも触れたが、鍵は世界と自分の関係だ。世界は自分で変えられる、世界と自分は対立するところがない、世界と自分は一体である、世界の中心に自分はいる。以上のような関係を世界と持てれば、結果として自分の存在を受容していることになる。世界は自分を侵害するものではなく、共にあるという感覚を持つことだ。
乗り越える具体策は、論理的には矛盾した方法だが、自分が世界に価値を与えることによって、世界に自分の価値を支えてもらうことだ。
具体的には、萌えるような朝日を感じ、一生懸命に生きている虫たちを感じ、日々移りゆく植物たちを感じ、雲の雄大さを感じ、夕焼けの美しさを感じる。そしてその素晴らしい世界の中に今いる自分を感じる。

自己肯定感の乗り越え方は、今のところこれしか思いつかない。

西ヨーロッパではなぜパンが主食にならないのか または主食とパンと米

主食とはお腹を満たすために、おかずと一緒に咀嚼する固形物と定義する。
米は主食になり得るし、実際ほとんどの米食地域で主食になっている。 伝統的な米食文化地域では、米はすべて主食になっている。 主食になっている米料理の特徴は塩味が付いていないことだ。 塩を感じるほどの味付けをしていないというのは全ての主食に当てはまる。

では小麦はどうか。 パンについて言えば過半の地域で主食になっている。 その特徴は無発酵・半発酵であること。インドのナン・パラータ(円盤型パン)、中近東・北アフリカピタパン・円盤型パン。

地中海ヨーロッパや西ヨーロッパで食べられている発酵パンはなぜ主食にならないのか。 またはならなかったのか。
人々が貧しかった頃は価格の安い穀類を主食にしていたに違いない。 ヨーロッパは15世紀末から世界の富が流入し始めたので、一部の人たちではあるが、食文化を生み出すには十分な数の人たちが、豊かな食事を取れるようになった 。結果、現在の世界の豊かな人たちの間で進行していること、つまりおかずがメインの食事になっていった。逆に言うと主食の役割が小さくなっていったのだと思う。おかずが食事の中心になり、パンは添え物になった。
そもそも主食にするのであれば、パンを発酵させなかっただろう。 わざわざ手間をかけてパンのかさを高める必要はなかった。 主食の座を降りたからこそふかふかのパン、それだけで美味しいパンが求められたのだと思う。

味の付いてない主食の食べ方の特徴はおかずと混ぜ食いすることだ。 例えば米について言えば、おかずの塩辛さに応じてご飯の食べる量を調節する。 貧しい人たちはおかずにたくさんの塩を入れてたくさんのご飯を食べた。 豊かな人達は味の薄いおかずを作ってご飯をあまり食べない。 この進化した形がヨーロッパでのおかずと発酵パンの関係だと思う。

以下は体験的な理由付け。

中南米や中東やトルコでも米料理はあるが、ピラフのように味付けされている。 つまりそれだけでも食べれるのでおかずと同じ扱いだ。

中南米ではトウモロコシで作った塩味のしない無発酵のパンのトルティーヤが主食になっている。 メキシコなどの都市部では発酵パンも食べられるが、味付けご飯の方がより日常的だ 。
インドは大まかに南部は米主食で北部は無発酵のチャパティが主食になっている。 北部にはナンという発酵パンがあるが食べる人は非常に少ない。贅沢品という位置づけだ。北部ではパラータと言うチャパティより分厚い無発酵パンが主流である。しかし発酵パンのナンを食べる時はナンを主食として扱っている。
中近東でも無発酵のチャパティのようなパンを主食としている。 米も食べるが味付けご飯になっている。トルコは発酵パンを主食として食べている。 食堂に行けば食べ放題の発酵パンがかごに盛られている。 米も日常的に食べているが味のついたおかず扱いである。
ロッコでは必ず半発酵パンがおかずに付いてきて主食の扱いだ。
東アフリカでも味付けご飯と共に半発酵パンを食べるところは多い。 他にも穀類を粉にして湯で捏ねた無塩の塊を主食にしているところも多い。
ヨーロッパでは発酵パンが大量に消費されているが主食に位置づけされていない。
寒い地域ではじゃがいもが食べられているがマッシュポテトにすると味付けがされているので主食になリにくい。茹でたものは主食になる。 他に半発酵パンといってよいライ麦パンが食べられている。主食として食べられているようだ。

社会と芸術の関係

人は生き延びるために、さらにはより快適に生きるために集団を作ってきた。

集団社会は約束事によって成り立っている。 約束事がなければ社会は成り立たない。 人々が利己に振る舞えば当然社会は成り立たなくなる。 家族内の個々人が利己に振る舞えば家族は崩壊する。


個人から見れば社会は個人の自由を制約する。 関係の中で役割を担わなければならない。
社会がより大きくなって、見知らぬ人と接するようになると、利害による争いが起こらないようにより強制力のある約束事つまりルールが必要になる。

余談だが、権力とはこの約束事・ルールの適用範囲を決め、罪の重さを決める人が持つ力のことだ。ゆえに社会があれば必ず権力は生じる。

この自由の制約が人を鬱屈させ、不全感・欠損感を与える。 つまり社会に属する限り、人は不全感・欠損感から逃れられない。つまり社会は必然的に人を鬱屈させる。
これでは社会が持たないので、社会は個人の全体性を回復する装置を持っている。非日常空間であるお祭りだ。

社会による自由の制約は欠損感を埋め合わせようとする欲求、解放されたい欲求を生む。 その欲求が祭りだけでなく芸術をも生んだのだと思う。

祭りは、身体性重視あえて言えば出力重視で、直接的で能動的体験だ。 こちらはシステムとして社会に組み込まれている。非常に強い解放感を生む
芸術は感覚器重視つまり入力重視で、間接的で受動的体験だ。 芸術は間接的であるがゆえに脳内で身体性を再現する努力が必要になる。
芸術は、不全感を刺激し、全体性の回復を日常の中で後押しする。更に言えば、日常の中で全体性の回復が起こったときに、人はそれを芸術と呼ぶ。

祭りは非日常を立ち上げるが、芸術は日常の僅かな隙間に非日常を立ち上げる。
祭りは体を動かすが、芸術は体を動かさない。

以上、社会は人を必然的に鬱屈させる。それを解消する行為として、祭りと芸術が用意されている。

追記
芸術とは以上のことなので、そういう力を呼び起こす人つまり芸術家はある種の能力を持っていると思うが、芸術で感動する人は欠損感を埋め戻そうとする自然の力が働いているだけなので、芸術愛好家に高尚とかの特別の価値を置く必要はないと思う。喉が渇いた時に水を飲もうとする行為に似ていると思う。

仮説の役割

科学の進展の歴史を振り返れば明らかだが、提出された仮説が現代でも生き残っているのはごくわずかだ。 そのときどきの提出者は最大限論理的に慎重に思考し提出した。 にもかかわらずその多くが否定されてきたのだ。
この視点から見ると、仮説の役割は正しさと言うよりも、その時々の知識体系を揺さぶることにあると私は思う。
慎重に思考して論を進めることはもちろんだが、大切なことは、ある仮説を提出することによって反証する学説を活性化させたり、同意しながらも乗り越えようとする学説を生み出して、知識体系を活性化させることだと思う。それは科学をより進展させることに繋がると思う。

ルポルタージュと時代の変遷

今から30年ぐらい前までは、事実によって真理を語らしめよ、という態度が少なくとも一部の人々の間では共有されていたと思う。
具体的に言えば、なるべく筆者の価値観を入れず、かつ感情も抑えて事実を積み上げることによって筆者の主張を表現する。
読者からすれば、描かれた事実から自分で考えて真理に到達する努力が必要となる。
現在そのようなことが可能な知的レベルの層、もしくはそのような心の余裕のある層がマスとして存在するとは思えない。
読者に自ら考えさせ結論に到達するような文章を書いていては、読者の忍耐が続かずに逃げてしまう。

私もネットから情報を得るとき、最近は文字情報より、イメージしやすい動画を好むようになっている。 文字を読んでイメージを立ち上げ、動かすことが面倒なのだ。

こういう時代にはルポルタージュも結論まで明示しておかないと読者がついてこないと思う。

ルポルタージュとは社会の改善を意図して事実に即して構成された文章のことだ。
主観をなるだけ排して事実によって表現するという手法は、その方がより説得力が増すから採用された手法だと思う。
しかしその目的はすでに有効ではなくなっている。説得力云々よりも、そもそも読まれなくなってしまう。 故に手法を変えて良いのだ。
かってのような手法のルポルタージュはすでに死語になっているかもしれない。