漱石後期3部作の一つで、主人公である次郎、の兄一郎の苦悩のお話である。
あらすじは省略する。
・漱石の主題
物語後半の主題は明らかだと思う。
両親が属する江戸時代からの価値観が当たり前だった時代に、西洋からの新しい考え方、科学が流入してきた。知識階級に属していた一郎は、新しい知識の一つ一つを自分の頭で考え、突き詰めて、今までの考えと折り合いをつけていった。結果周囲とは異なった独自の価値観を持つにいたる。それが孤独感をもたらし、生きるのが苦しく感じてしまう。かといって自立した人格を求める一郎は妥協することが出来ない。
つまり自分の頭で考え、かつ自立することの難しさを表現していると思う。考え、自立する人は、孤独に耐えなければならない、という主題である。
では物語前半の次郎への、自分の嫁の浮気心を疑う一郎や、女中の嫁入りの斡旋は何が言いたいのだろうか。後半と共有する主題を敢えて上げれば、自分の頭で考え、自立しようと心掛けている一郎でさえも、身近な出来事に執着的に翻弄されるのだ、ということだろうか。
しかしもしそうなら、私だったら、前半と後半を分けずに、後半部分の中に、前半部分をバラバラにして挿入すると思う。
可能性の高い解釈は以下のようであると思う。
前半の一郎の執着的言動は、次郎からすると非常に不可解で不愉快なものであったが、後半を読んだことによって、曖昧な状態を許さず、何事も明晰に裁断しなければ気の済まない知識人として兄の当然の帰結であった、ということが分かるようになっている。
・漱石の主題に対する私の感想
漱石の時代は、西欧列強と伍するためには何よりもまず新しい知識を取り入れ、そして個人が自立することが大切であった。そのような個人は、家庭に於いても曖昧さを許さず上記のような態度をとらなければならない、と考えたのだと思う。そのことによってたとえ家庭が不和になっても、それが知識人に課された義務だと考えたのだ。
しかし現代から見ると、学問に対する厳格で厳密な態度で、家庭生活を送る人はむしろ非典型だろう。学問に対する態度で家庭生活を送らなくても十分に学問を追求できる。
しかしこれは今から見れば、の話であって、漱石の時代は、知識人であることは日常生活を犠牲にする覚悟が必要だったのだと思う。気高い覚悟だと思う。
追記
・病院には私設看護婦、一昔前の家政婦がいて、それぞれの患者に一人ついていたようだ。それはつまりかなりお金持ちじゃないと入院できなかったということだろう。つい30年ほど前までは、完全看護体制、と制度で保証しておきながら、実態は看護師不足で、家政婦をつけないと満足な入院生活が送れなかった。
・宿の下女に郵便の投函や、列車の切符を駅に買わせに走らせている。チップは渡したのだろうか。下女の仕事にはそれも含まれていた、と言えばそれまでだが、上層と下層の仕事が厳格に分かれている印象を受ける。
・次郎の家には貞という下女がいて、10年ほど住み込んでいる。結婚することになっているので、二十歳前後だろうか。だとすると10歳の時から親元を離れて他所の家で住んでいることになる。貧しい親族なのだろうか、それとも同郷の貧しい知人なのだろうか。1910年代にはこういうことは特に珍しくもなかったのだろう。
1990年ごろネパールのカトマンズの軽食屋には小僧が住み込みで普通に働いていた。客が使う椅子の上で寝ていた。山から来た、と言っていた。食い扶持を減らすために親が子供を町へ送り出すのだ。
子供が見知らぬ家で一人で寝るのはどんな気持ちだったろう。