小林秀雄の『無常ということ』

本居宣長に興味が湧いて『古事記伝』を読みたいと思ったのだけれど、とっつきが悪いのでとりあえず小林秀雄の『本居宣長』を読み始めた。

ところが本居宣長本人のところまで、なかなかたどり着かない。山鹿素行から始まって伊藤仁斎荻生徂徠賀茂真淵と辿ったあとに漸く本人にたどり着いた。 表現方法も直接的に説明するのではなく、左から近づいたり右から近づいたりとまどろっこしい。

そもそも小林秀雄とはどんな人なのだろう、と興味が湧いて、彼の有名な評論『無常ということ』を読んでみた。

前置き
1942年6月39歳の時に発表された非常に短い文章である。全文を読むのに5分もかからない。 この年の6月5日から7日にかけてミッドウェー海戦が行われている。

本文意訳
『生死無常なのでこの世のことはどうでも良い、来世を助けてください』(古典より引用)

景色をぼんやり眺めていると、突然この短文が絵巻物のように心に浮かび、ひどく心が動いた。 その時はただ或る満ち足りた時間があったことを思い出していただけだった。 その時間は、自分が生きている証拠だけが充満していた。

歴史ヘの新しい解釈は不要である。 歴史は動かし難く美しい。 解釈を拒絶して動じない。 死人は、はっきりとしっかりとして来る。 生きている人間は、自分のことも他人のことも何を考えているか分からない。 一種の動物のようなものだ。

記憶だけで頭をいっぱいにしているから動物にとどまる。心を虚しくして思い出すのが大切だ。

無常とは動物的状態だ。 無常ということが分かっていないのは、常なるものを見失ったからだ 。

感想
・前置き
やはりわかりづらい。“ 記憶”と“思い出す”が対照的な意味として使われているが、具体的な説明はない。想像すると、記憶とは生きてる私達が創り出すもので、思い出すは死んで歴史になった人たちが語り掛けてくるもの、だと思う。
他にも、生死無常は仏教用語では人生の儚さを意味するが、ここでは別の意味で使われていることが示唆されている。が、直接の説明はない。

・ 解釈
無常と常なるものが対比されている。 無常に属するものとして今・解釈・動物状態・記憶があり、常なるものに属するものとしては歴史・堂々として美しい・ありのまま・思い出すがある。
無常とは一般的には儚いことを意味するが、上記の対比を考えるとそれでは意味が合わない。 私は、私欲に翻弄されること、と解釈する。

批評の内容はある意味明瞭で、私欲を去って心を空っぽにして向かい合えば、常なるもの・歴史の魂を感じることができるのだ、ということだろう。

・分析
古典からの引用を起点にして無常について述べているのだが、ここには引用した古典に発する二つの流れがある。
1 古典の中の“生死無常”から、無常ということについて考えた。 生きてる人は私欲に翻弄された一種の動物なのだろう。
2 心を虚しうしていたら、突然或る古典の一節が思い浮かんで歴史の魂に触れた実感を得た。 解釈などせずに心を空っぽにすることこそが大切だ。

この二つは文中、はっきりとは区別されず不明瞭に接続している。そのことが分かりにくさの原因の一つになっている。

さらに、古典から導いたこの二つをつなぐものとして、鴎外や宣長の作品を例にとり、歴史は解釈を拒絶して動じない美しいもの、という経験を述べる。 これによって、生死無常なので生きてる人は一種の動物であるが、幸いなことに歴史は解釈を拒絶して動じないので、心を虚しくすれば歴史の魂に接することができるのだ、とつながることになる。

・疑問
小林秀雄の言いたかったことは、現代から過去の歴史を見る時の心構えだった。 しかし冒頭に引用した古典は、現世を諦めて来世を気にする女の話だ。 現世は儚いのでもう諦めたが、来世はなんとか救われたい、という話だ。心を虚しうすれば来世を見る心構えができる、という内容ではない。この話から過去への類推は不自然な感じがする。あえて批評本文との関連を探せば、生死無常を信じた女がいるだけだ。しかもその生死無常の意味は小林秀雄の意味とはズレている。小林秀雄は生死無常という言葉だけを起点にして、話を進めたように見える。
批評に書いてあるように、本当に景色をぼんやり眺めていたら、突然この古典が心に浮かんだのかもしれない。

・終わりに
最初に読んだ時は全く意味が取れなかった。 文章の構造も分からなかった。雰囲気だけが伝わった。 悔しかったので時間をかけて真剣に考えてみた。 全く違う読み方があるのかも知れない。 それほどに直接に明示しない表現方法だった。

ただの奇を衒った批評家なのかとも思ったが、調べてみると柄谷行人などそうそうたる人たちが小林秀雄論を書いているので、とりあえず真剣に読んでみることにした。

この批評を読んだ私の印象は、小林秀雄とは父権、強い者に対する反発があるように思う。
また豊かな感覚を持っているが、あまり論理的ではない可能性がある。

小林秀雄の『無常ということ』

本居宣長に興味が湧いて『古事記伝』を読みたいと思ったのだけれど、とっつきが悪いのでとりあえず小林秀雄の『本居宣長』を読み始めた。

ところが本居宣長本人のところまで、なかなかたどり着かない。山鹿素行から始まって伊藤仁斎荻生徂徠賀茂真淵と辿ったあとに漸く本人にたどり着いた。 表現方法も直接的に説明するのではなく、左から近づいたり右から近づいたりとまどろっこしい。

そもそも小林秀雄とはどんな人なのだろう、と興味が湧いて、彼の有名な評論『無常ということ』を読んでみた。

前置き
1942年6月39歳の時に発表された非常に短い文章である。全文を読むのに5分もかからない。 この年の6月5日から7日にかけてミッドウェー海戦が行われている。

本文意訳
『生死無常なのでこの世のことはどうでも良い、来世を助けてください』(古典より引用)

景色をぼんやり眺めていると、突然この短文が絵巻物のように心に浮かび、ひどく心が動いた。 その時はただ或る満ち足りた時間があったことを思い出していただけだった。 その時間は、自分が生きている証拠だけが充満していた。

歴史ヘの新しい解釈は不要である。 歴史は動かし難く美しい。 解釈を拒絶して動じない。 死人は、はっきりとしっかりとして来る。 生きている人間は、自分のことも他人のことも何を考えているか分からない。 一種の動物のようなものだ。

記憶だけで頭をいっぱいにしているから動物にとどまる。心を虚しくして思い出すのが大切だ。

無常とは動物的状態だ。 無常ということが分かっていないのは、常なるものを見失ったからだ 。

感想
・前置き
やはりわかりづらい。“ 記憶”と“思い出す”が対照的な意味として使われているが、具体的な説明はない。想像すると、記憶とは生きてる私達が創り出すもので、思い出すは死んで歴史になった人たちが語り掛けてくるもの、だと思う。
他にも、生死無常は仏教用語では人生の儚さを意味するが、ここでは別の意味で使われていることが示唆されている。が、直接の説明はない。

・ 解釈
無常と常なるものが対比されている。 無常に属するものとして今・解釈・動物状態・記憶があり、常なるものに属するものとしては歴史・堂々として美しい・ありのまま・思い出すがある。
無常とは一般的には儚いことを意味するが、上記の対比を考えるとそれでは意味が合わない。 私は、私欲に翻弄されること、と解釈する。

批評の内容はある意味明瞭で、私欲を去って心を空っぽにして向かい合えば、常なるもの・歴史の魂を感じることができるのだ、ということだろう。

・分析
古典からの引用を起点にして無常について述べているのだが、ここには引用した古典に発する二つの流れがある。
1 古典の中の“生死無常”から、無常ということについて考えた。 生きてる人は私欲に翻弄された一種の動物なのだろう。
2 心を虚しうしていたら、突然或る古典の一節が思い浮かんで歴史の魂に触れた実感を得た。 解釈などせずに心を空っぽにすることこそが大切だ。

この二つは文中、はっきりとは区別されず不明瞭に接続している。そのことが分かりにくさの原因の一つになっている。

さらに、古典から導いたこの二つをつなぐものとして、鴎外や宣長の作品を例にとり、歴史は解釈を拒絶して動じない美しいもの、という経験を述べる。 これによって、生死無常なので生きてる人は一種の動物であるが、幸いなことに歴史は解釈を拒絶して動じないので、心を虚しくすれば歴史の魂に接することができるのだ、とつながることになる。

・疑問
小林秀雄の言いたかったことは、現代から過去の歴史を見る時の心構えだった。 しかし冒頭に引用した古典は、現世を諦めて来世を気にする女の話だ。 現世は儚いのでもう諦めたが、来世はなんとか救われたい、という話だ。心を虚しうすれば来世を見る心構えができる、という内容ではない。この話から過去への類推は不自然な感じがする。あえて批評本文との関連を探せば、生死無常を信じた女がいるだけだ。しかもその生死無常の意味は小林秀雄の意味とはズレている。小林秀雄は生死無常という言葉だけを起点にして、話を進めたように見える。
批評に書いてあるように、本当に景色をぼんやり眺めていたら、突然この古典が心に浮かんだのかもしれない。

・終わりに
最初に読んだ時は全く意味が取れなかった。 文章の構造も分からなかった。雰囲気だけが伝わった。 悔しかったので時間をかけて真剣に考えてみた。 全く違う読み方があるのかも知れない。 それほどに直接に明示しない表現方法だった。

ただの奇を衒った批評家なのかとも思ったが、調べてみると柄谷行人などそうそうたる人たちが小林秀雄論を書いているので、とりあえず真剣に読んでみることにした。

この批評を読んだ私の印象は、小林秀雄とは父権、強い者に対する反発があるように思う。
また豊かな感覚を持っているが、あまり論理的ではない可能性がある。

安らぎと宗教

私のことをあれほど大切にしてくれた人が死んでしまった。 今はもう何も喋らない。 これで終わりだなんて寂しすぎる。

死ねば全てが終わってしまのなら、この苦しみに満ちた一回きりの人生はあまりに不条理で不平等。


一般に宗教と言われるものを信じる入り口はいろいろある。 あの世であろうと輪廻であろうと、死後の世界の提示は人々に安らぎを与える。

※ここで言う宗教とは、中心内容に、存在や因果関係を証明できないものを含んだ考え

別の見方をすれば、人は自分に利益があるものを信じる。 まず安心したいという気持ちがあって、それに合致する考えを受け入れるのだと思う。
その考えに証明不可能なものが含まれていれば宗教、証明可能なものでできていれば科学、になるだろう。

証明はできないけれど人を安心させる考えは、以下の二つがあると思う。

1 死後の世界の存在 たとえこの世が苦しみに満ちていたとしても、死後の世界で安らぎが訪れるのなら、今の苦しみに耐えることができるだろう。 大切な人が死んだとしても、死後の世界で安らかに過ごしていると思えれば、寂しさに耐えることができるだろう。

2 今ここの大きな存在 今がどれほど苦しくても、誰かがずっと見守ってくれていると思えれば、生きる力が湧いてくるだろう。

生きることが苦であるとき、この二つの考えを信じられれば安らぎにつながると思う。

以下余談

・見解の対立があるが、原始仏教は上記の二つともが無かったという意見がある。だとしたら人々を安心させる力が弱かったと思う。 もし勢力拡大を意図したなら、教団後継者たちは上記二つの考えを取り込まざるを得なかっただろう。

・占い師とは未来のことを占う人のことだが、上記二つの事、死後の世界と見守る存在、には関わっていないように思う。占ってもらう人の興味の対象が近未来の現実的利益にあるからだろう。 もし死んだらどうなるかに興味があるのなら、別のところに行くのだろう。

占い師が未来を占う方法は二つある。
1 独力で未来を占う。 つまり超能力者という位置づけだ。 この場合、神の存在は必要がない。

2 大いなるものの力を借りて予知する。 つまり占い師は依り代という位置づけだ。 この場合大いなるものという超自然的な存在を信じていることになる。 卑弥呼やシャーマンはこの位置づけになると思う。

さて大いなるものには主体性があるのだろうか。
1) もしあると考えればそれは必ず因果応報的に働く。 良い行いをすれば悪いことが起こるというのは受け入れられないからだ。 故にもし主体性があるとすれば、良いことをすれば良い報いが起こる、ということになる。 良いことをすれば褒められて、悪いことをすれば罰せられるというのは、家父長的な関係だ。 大規模定住化社会以降ほとんどの社会は父権社会なので、大いなるものとの関係を、自分が属する社会の延長として捉えるのは容易だっただろう。
2)主体性がないと考えれば、つまり見守るだけだということになる。 あえて言えばカウンセラー的関係ということになるが、見守るだけの存在が、依り代を利用して影響力を行使するのは自己矛盾なので、この仮定はありえないことになる。

大いなるものに主体性があるとすれば、それはどのような性格を持ち合わせているのだろうか。 必ず因果応報的に働くとすれば、強い信賞必罰と弱い信賞必罰がありえる。 強い信賞必罰は他の主体性とは同居しにくい。 強い罰を嫌う人々がどちらを信じていいか分からなくなるからだ。 故に強い信賞必罰が一神教を作り出したと思う。

・シャーマンを通して見える大いなるもの
シャーマンとは以下の能力のどれかを持ち合わせていると思う。
1 治療 大いなるもののプラスの力を借りて施術する。 または体にとりついた大いなるもののマイナスの力を追い出す。
2 厄払い 大いなるもののマイナスの力を鎮める。
この二つが同居するシャーマンがいれば、大いなるものはプラスとマイナスの両方の力を持っているという前提になる。 それは因果応報的つまり良い行いをすればプラスの、悪い行いをすればマイナスの力を行使するという考えにつながる。

3 お告げ 未来を教えてもらうこと。 つまり大いなるものは未来を知っていることが前提となっている。
4 祈祷 願いを叶えてもらうこと。 つまり大いなるものは、未来を変える能力があることが前提となっている。
未来を知っていて、かつ未来を変えれるとは、全知全能のことだ。 全知全能は一神教の神の特徴である。 一神教は宗教の中で非常に特殊な宗教だが、シャーマンを通して見える神の能力の中に、すでにその特徴が見えるのが興味深い。

ではその大いなるものは、何ゆえに大いなるものとして認識されるのだろうか。

シャーマンに、1治療や2厄払いの力を与えることができる存在とは、病・火事・地震・暴風雨など、日常生活で禍福を起こす原因となる力を持つと信じられる必要がある。究極的には森羅万象を司る存在としてイメージされるだろう。しかし行使できる力は今に限られる。風神や雷神は、今しか風や雷を起こせない。明日の風は明日になってから起こすのだ。

シャーマンに、3お告げや4祈祷の力を与えることができる存在とは、私たちの願い事を叶える力を持つと信じられる必要がある。究極的には過去から未来までを操作できる全知全能の存在としてイメージされるだろう。

コーヒーの淹れ方

先月2月に体調を崩して以降、回復後もコーヒーを飲まなくなった。
今までの試行錯誤の結果をここに書き記しておきたい。

私が好きなコーヒーの味はフレッシュな酸味やフルーティーな香りではなく、コクと苦味が利いた深い味である。以下はその味を得るための抽出方法だ。

ミルは標準か少し細めが良い。 少し細く挽いたほうがコクが出る。

湯温は82℃から85℃の間が良い。上手く焙煎された豆なら82℃のほうが複雑な味がする。じょうろ型の先の長いポットは2度ほど湯温が下がるので、それを見越して温度を調整する必要がある。
90°Cで注湯するという専門家がいるが私は全く信じない。

垂らし始めから測る蒸らし時間は60秒。 短いと苦味が強くなる。

抽出時間は1分から2分の間。 ベストな時間は焙煎豆によってばらつきがある。 短時間だと苦味が強く、長時間だとコクが出てくるが、嫌味も増える。

20年以上にわたって毎朝統計を取り続けてきたが、結局分かったことは上記のことでしかなかった。
昨日と全く同じように入れたつもりでも、全く味の違うコーヒーが入り、コーヒー豆からは挑戦され、翻弄され続けた。

障害者のヘルパーと労働組合

障害者自立生活運動という障害者主体の運動がある。 両親に介護されるのではなく、地域に住んでヘルパーを利用しながら自立した生活を送ろうという運動だ。
運動の経緯から、障害者たち自らが集まってヘルパー派遣事業を NPO 法人として立ち上げていることがよくある。 当然だが理事長は障害者、役員も過半数が障害者だ。

事業所従業員や派遣されるヘルパー労働者が、待遇の改善を求めて労働運動する、労働組合を立ち上げることは不思議ではない。

しかしここに障害者とヘルパーならではの問題があると思う。

役員は障害者である。 事業所の方針を決める重要な話し合いは役員同士でする。 身体障害者であればヘルパーが常にそばにいる。 つまりヘルパーが重要な話の内容を聞いてしまう可能性があるのだ。
もしそのヘルパーが組合活動者だったらどうだろう。 もちろんヘルパー労働時に聞き得た情報は守秘義務が生じる。 だが一人の人間の中で、本来の自分の主張と、聞いてしまった大切な情報を分けて考えることができるだろうか。
さらに障害者とヘルパーは信頼関係が大切だと思うが、役員障害者は組合ヘルパーを安心して信じることができるだろうか。生きていく上で必須のヘルパーを信じられない。そういう両者の関係は不幸であると思う。

以上の事を考えると、役員障害者のヘルパーは労働組合に加入してその恩恵をもちろん被っていいのだけれど、組合の方針を決めるような場には出席しない方が良いと思う。

食べたいものが食べれる幸せ

先日食中毒になった。 腹部の激痛から解放されて、布団の中でぼんやりと横たわっている時、突然魚の干物が無性に食べたくなった。 他に何か食べたいものはあるかなと考えると、思い浮かんだのは、かえしの利いたそばつゆにつけたそばと筑前煮、魚の天ぷらだった。
普通の食事ができるようになってからまだ4日しか経っていないが、すでに干物とそば、筑前煮は食べた。 家で魚の天ぷらを揚げる程まだ元気ではないので、近々近所のてんやに行って天丼を食べようと思っている。

あの時、私が布団の中で願ったことがもうすぐ全て叶う。 たとえ食事という簡単なこととは言え、願った事が叶う環境にいる人たちが世界にどれほどいるだろう。日本は非常に幸せな国だと思う。
食べたいものが食べれる幸せをしみじみと感じていたいと思う。

どうすれば人生を変えれるのか

日常生活は惰性で続けがちだ。 変えたいと思っていてもなかなか変えれない。 日常は慣れているから快適なのだ。 新たなことに踏み出すのは未知なのでハードルが高い。 ではどういう時に変えれるのだろう。

先日食中毒を経験した。 激痛も収まって布団の中で横になっている時、ふと魚の干物が食べたいと思った。 そして無性に食べたくなった。 思い返せば最近の食事は易きに流れていた。 安い食材や手っ取り早く美味しく感じられる油を使った調理法など。
日本食回帰するか。 突然そんな言葉が浮かんだ。 したかったのに、決心がつかなかったこと。
回復後、日本食が続いている。

どうすれば惰性の日常から抜け出して人生を変えることができるのか。

以下の二つがあると思う。
1 目標を持つこと
目標を作ってそれに向かうと決めた瞬間、価値の組み替えが起こる。 つまりこの快適な日常生活から、目標を実現するための生活に変化適応しなければならない。
例えば、2年後トライアスロンの大会に出る、と決める。 決めた瞬間に生活の優先順位が一気に変わるだろう。 食事の内容も変わるだろうし、筋トレやランニングやスイミングなど時間の使い方も大きく変わるだろう。 たぶん世界が全く違って見えてくるはずだ。 目につく本も、見えてくる広告も。

以上のように、目標を作ってそこから一歩を踏み出せば人生を変えることができる。

2 命や日常生活を脅かすような重大な出来事
少し大げさだがこちらが私の例になる。
重大な出来事によって自分の命や人生の大切さを再認識させられて、人生を変えることを決断できる。
これはよく聞く話だろう。 この話の未達成版が、死の間際に、もっとあしとけばよかった、と思うことになるのだろう。

以上の二つしかないと思うのだが、2の問題点は、自分で重大な出来事を作ることができないことだ。 故に運を天に任せるしかない。
それに対して1は自分で作れる。

ナイロビ ケニアの安宿 2018年2月情報

New Kenya Lodge Dorm.750sh
PR9G+C8 Nairobi, Kenya Googleマップ上の表示は少しずれている Letema Rd.突き当りにある

1段ベッドのみでベッドが揺れることはない 室内でのベッドの配置も余裕がある
朝は無料の甘いケニアティが飲める 魔法瓶1ポット分だけ
スタッフは皆おじさんで親切だった
同じ経営のレストラン?クラブ?がすぐそばにあって、そこで揚げたパンを時々朝に売りに来る 従業員はよく買っていた 自らレストランに出向けば売ってくれる。9時?に毎日調理場で揚げている ひとつ20sh 揚げたてなので美味しい 甘い紅茶とよく合う 建物の入り口が別で、かつ階上なので従業員に行き方を聞かなくては辿り着けない

かっては日本人宿だったが、旅行サイトに登録してからは多くの外国人が泊まるようになっている

ロケーション
鉄道駅前の再開発済みの地域に隣接して昔ながらの商店街になっている 周囲にはレストランや長距離バスの営業所がたくさんあり非常に便利

昼間は商店街の歩道に露店が立ち並び、人通りも多く治安の悪さは感じなかった
しかし1年前は治安が悪かったということなので事前に政情を確認した方が良い
夜は商店が閉まるので通りが真っ暗になる

近所のレストラン
Swanga Restaurant
PR9G+2W Nairobi, Kenya
小奇麗なレストラン オフィスの昼休みに会社員がよく食べに来てた 見た目も綺麗で美味しい

PR8F+XX Nairobi, Kenya
この場所に昔ながらのレストランカフェがある だだっ広いホールで店内は地元の人で結構混んでいる ゆっくりできる メニューもある

行き方
タンザニアやイシオロ方面からバスで来た場合、郊外のバス停に停まることが多い そこから歩いて5分ぐらいのところに中心地行きのバス停がある 9番のバスに乗れば行く 分からなければ周りの親切そうな人に聞けば良い 30sh 宿の100 mそばまで行く
バス停の場所 PRCX+7X Nairobi, Kenya

タンザニアの国境から早朝バスで行くとナイロビには夜着くことになる 不安であるならIsioroあたりで途中下車して数泊してから午前中に出発すれば夕方にはナイロビに着く
バスは座席予約なので途中乗車でも必ず座れる
イシオロのホテル
Mocharo Lodge Accommodation single room with hot shower 1200sh
少し高いが清潔で居心地のいいホテル 受付も非常に親切だった

イシオロのレストラン
Bagdad county hotel
9H2M+35 Isiolo, Kenya
ランチ200sh ボリュームがありカレー?が美味しかった

もしくはケニア山ふもとの町でゆっくりするのもいいと思う

バーベキュー

両親が田舎に引っ越した時、帰省すると、バーベキューを庭でよくした。 ドラム缶を縦半分に切って、炭焼小屋でもらってきた炭を入れて、猟師から買ったイノシシ肉を焼いた。 最初のうちこそ珍しく楽しかったが、夏の昼間は暑さを避けるため、夜は蚊を避けるため、冬は暖を取るために肉を焼いては家に持って行って食べるようになった。 そのうち焼く係が一人か二人だけ外に出て、残りは家の食卓で待つようになった。 つまり普通の食事になったのだ。
バーベキュー自体を冷静に味だけで食べると、実はそれほど美味しくない。 火の通りや調味料が不均一で、しばしば焼きすぎている。
だからバーベキューで焼いた肉や野菜を食卓に座って食べるとあまり美味しくない。
美味しくないのでバーベキューはそのうち下火になった。

今から思えばバーベキューとは何かが分かっていなかったのだと思う。 当時は炭や薪を使って肉を豪快に焼く調理法をバーベキューだと思っていた。 だから焼いた肉を持って家に入っても何も変わらないと思っていたのだ。
しかしバーベキューの本意は、いつもと違った空間でみんなとおしゃべりしながら食べることにあったのだと思う。
更に言えば、おしゃべりをして楽しむことが本意で、その舞台装置として非日常の空間と調理法があったのだ。

心揺さぶる外国旅行 または非日常での自己崩壊

大学を卒業した1986年春、私は人生初めての外国旅行に出かけた。 最初の目的地はタイだったが、地球の歩き方のタイ版はまだ刊行されていなかった。東南アジア版と言うくくりで刊行されていた。
バンコクのホテルもレストランもわずかしか紹介されておらず、とりあえず最安値の宿を目指して出かけた。 もちろん予約などできない。
バンコクの空港に着いて飛行機のドアを出た途端、生温かいそして独特の甘い匂いの空気に包まれた。
バンコクでは見るもの聞くものすべてが珍しかった。 知らない料理だらけで、どうやって作るのか全く見当がつかなかった。 熱帯の暑さの中、異様に元気なタイ人が街に屋台街に溢れていた。 私は彼らに圧倒された。タイ人に混じって満員のバスに汗をかきながら乗っているだけで、腹の底からどうしようもなく笑いがこみ上げて来た。 タイ人に紛れて街に溶け込んでいるのがとにかく楽しくて仕方がなかった。
私は初めての外国旅行の地、タイに魂を鷲づかみにされた。 非日常の世界(彼らにすれば日常なのだが)で、体から自分を溢れ出させた人たちに気おされた。 強烈な何ものかを心に刻印された。

数年前に久しぶりに外国旅行に出かけた。 旅行の方法が全く変わっていた。大金の所持方法、 飛行機の予約、宿の予約、安くて美味しいレストランの探し方、目的地までの交通手段の探し方と乗り方、街の地図情報、片言の旅行者会話、天気予報。
その気になれば行く前に全ての行程を予約することもできた。
とても便利になっていてつくづく技術の進歩に感心した。

しかし今回の旅行はあの時の旅行ほど激しく心を揺さぶられることはなかった。 理由の一つは年を取って感覚が摩滅していたのだろう。 初めての経験ではなかったということもあるだろう。 旅行先の人々が豊かになって、日本と似たような価値観を持つようになっていた、ということもあるだろう。
しかし最大の理由は便利になったことだと思う。 行く前におおよその予測できるのだ。 予測できればできるほど不安は減っていく。 快適なのだ。 その分、人との関わりが激減した。
快適の中身は
1 出費の抑制。 高い交通機関や宿を避けれるようになった。
2 体力消耗の抑制。 大きな荷物を持って、しばしば猛暑の中、人に尋ねて歩き回らなくて済むようになった。
3 騙されて腹が立つことの抑制。 行く前に多くの情報に接することで、騙されることが格段に減った。
このことと引き換えに心揺さぶられる体験ができなくなったのだと思う。 では心揺さぶられる体験のために、この3つの快適を諦めることができるか。 私には到底できない。 一度手に入れた便利さを手放すことは非常に困難だ。

この時代に初めて外国旅行をする若者は、心揺さぶられる経験をするという点でかなりハンディを負っていると思う。 腑抜けになるような経験をするのはかなりハードルが高い。 それが今の若者に熱狂的な旅行フリークが減っている一つの理由だと思う。
かって外国旅行は非日常の自己崩壊を経験する重要な場の1つだった。 そのような場が社会から1つ1つ消滅している。

私を食い尽くすようなビビッド感は今でも私の心の中にある。