深海火山に棲む細菌・古細菌 生命の起源

大陸プレートの生成分岐線には海底火山が存在し、噴火している。そこには火山噴出物が湧き出している。その噴出物のメタン・硫化化合物(硫黄を含んだ物質)を利用して、大気圏に生きる生物とは全く別の代謝で生きている生物がいる。

 

初めてその話を聞いたとき、生き物の多様性に驚いた。どうやってこんな所にまで生息域を拡げたんだろう、と。もともと岸近くに住んでいたのが、プレートの移動に伴って、深海に引き込まれたのか、海面に生息していた細菌が、少しずつ沈んでいったのか、見当がつかなかった。

 

最近、生物の本を読んだり、ネットで調べたりして分かったことは、地球外か、地球内かは別にして、生物の起源が、原始地球、40億年ほど前の地球から始まり、それが原始地球と環境が似ている現在の海底火山、そこに生息する細菌・古細菌に引き継がれている、という説があることだ。

 

だとしたら、私たちが本家で、あちらが分家なのではなく、あちらが本家で、こちらが分家だった、ということになる。

そして硫化化合物を酸化してエネルギーを得る方法が本家で、有機物(炭素化合物)を酸化してエネルギーを得る私たちも含めた、私たちが目にする多くの生物の代謝方法は分家、つまり本家から進化した可能性がある。

 

先輩だったんですか、という気持ちだ。

博物館のレプリカ レプリカを見て感情移入できるか

エチオピア国立博物館に行ったとき、人の進化に興味のある人なら誰でも知ってるであろうルーシーの化石と感動の対面を果した。横たわった形で安置され、透明のケースがかぶせてあった。不確かな記憶だが、説明ラベルには、レプリカと表示されていたと思う。

 

ルーシーに限らず、しばしば貴重な展示物はレプリカになっている。最初のころは多少興ざめしていたが、よくよく考えれば、研究者でもない私が、本物を見なければならない理由は何もない。粉末試料を作って検査したり、エックス線写真を撮るわけでもない。外見が酷似していればそれで十分に役に立つ。ああ、こういうものか、と眺めるのが関の山だろう。

 

しかし、偽物を見て、ヒトの黎明期に思いをはせれるのか。偽物を見て、ロマンを掻き立てられるのか。

 

それはこちらの気持ち次第なのだと思う。極端なことを言えば、その辺に転がっている石を見て、数千万年前にその石ができた時代に思いをはせることだって出来るだろう。こちらはレプリカではなく、オリジナルなのだから。

そのことを思えば、オリジナルそっくりに作られたレプリカを見て、ロマンを掻き立てるほうが容易だと思う。要はこちらの気持ち次第なのだから。

わざわざ現地に行き、入場料を払って、お膳立てされたレプリカの展示物を見る。そこまで雰囲気づくりをしたのだから、ロマンだって、掻き立てられると思う。

 

以上、あまり下調べをせずに、楽しみにして見に行った展示物がレプリカだった時、不満に思う人を時々見かけるので、そのことについて考えてみた。

 

追記  最初、タンザニアで見たトルカナボーイの化石がレプリカだったと思って、当時の写真を確認してみると、ラベルにはレプリカと書かれていなかった。記憶違いだったかと思って、ルーシーのラベルの写真を確かめようとして、初めて気づいたのだが、写真のアップロードに失敗していて、エチオピアの博物館で撮った写真すべてが見つからなかった。

私は、モロッコとイランで撮った建築の写真、数百枚のアップロードに失敗していて、気分が悪くなるので、なるべく考えないようにしているのだが、こんなところで思い出させられてしまった。軽い吐き気がする。

夢を叶えるということ ”100万本”のバラのテーマ

私は2度の帰国を含めて2014年から2019年まで外国旅行をした。

 

外国旅行は子供のころからの夢だった。私の子供のころは外国旅行はちょっと現実味のない話だった。旅行した人を誰一人知らなかったし、最も可能性が高そうなハワイ旅行では、飛行機のタラップを降りたら、首にレイを掛けられるという、子供にはちょっと現実離れした話しか伝わってなかった。

 

しかしテレビ番組の”クストー探検隊”や”野生の王国”は、胸躍らせて見ていたし、本当に行くつもりで見ていた。

学生のときに見たNHKの”シルクロード”にも深く感動し、必ず行ってやる、と思っていた。

 

今、ときどき旅行の写真を見るのだけれど、本当に幸せな時間を過ごしていたなぁ、と思う。夢のような時間だったと思う。

 

加藤登紀子が歌う"百万本のバラ”に、貧しい絵描きは孤独な日々を送った けれどバラの思い出は心に消えなかった という歌詞がある。若い頃この歌を聞いたときに、その後の人生をその思い出だけで送れるものか、と疑っていた。

 

しかし今ならそれが良く分かる。

 

クリントイーストウッド監督の”ミリオンダラーベイビー”も主題は同じだと思う。この瞬間に、人生のすべてを掛けれるか。

この映画では、全てを賭けた結果、失敗に終わったけれど、それでも後悔しないか、が問われていたと思う。

私の答えは明らかだ。

価値観の作られ方 価値の優先順位の決まり方

人によって価値観はさまざまである。ではその価値観、つまり価値の優先順位はどうやって決まっていくのか。

 

1 自分に自信がないから、人は自分に価値があると思いたい。

 

2 容姿や能力は人によってさまざまである。

 

3 以下具体的に考えていくと、

足の速い人は何に価値を置けば、自分に自信を持ちやすいか。もちろん足の速いことである。

では記憶力のいい人は? もちろん記憶力のいいことである。

容姿の美しい人は? マルチリンガルな人は? 仕事のできる人は? サッカーの上手な人は? 昆虫に詳しい人は? 喧嘩の強い人は? 異性の経験の数の多い人は?

 

数学が良くできて鈍足の人が、速く走れることに高い価値を置いているのは自己矛盾である。これでは自己肯定感を涵養できない。

歌の上手な人が、それに高い価値を置かないことも自己矛盾である。

 

4 以上、人は自分の得意なこと、自信のあること、人より秀でていると思っていることに高い価値を置く。自分のことを思い返せば明らかだと思う。

 

5 つまり、男前は男前に弱い、つまり一目置いてしまい、スポーツのできる人はスポーツのできる人に弱い、つまり一目置いてしまうのだ。

 

6 さらに言えば、残念なことだが、私たちが得意・自信があるが故に高い価値を置き、故に他者も高い価値を置いているだろうと思っているその価値は、それが得意でない人にとっては、それほど高く評価されていない。



人生の懐メロ

15年ほど前、私にとってユーチューブがまだ歌を聞く道具だった時、アップされた曲に書かれたコメントを時々読んでいた。その時気づいたのが、私から見ると、大した歌にも思えなかった多くの歌のコメントに、素晴らしい曲だ、という評価が書かれていたことだ。一体どういうことだろうと思って、いろいろ読んでいるうちに分かったことは、コメントの書き手が10代後半によく聴いていた歌だった、ということだった。

 

自分を振り返ってみると、私はどんな歌をよく口ずさむだろう。また口ずさんでいただろう、と思い返せば、吉田拓郎森田童子など、やはり10代後半によく聴いた歌なのだ。

 

ではなぜ10代後半に聞いた歌が、人生の懐メロになるのだろう。

思いつくのは、一番多感な時なので、多感な時の出来事やそのビビドな感情が、良く聴いていた曲に貼り付けられて記憶された、ということだ。出来事や感情が、歌詞のマッチする一部に添付され、折に触れてその感情が刺激されると、添付された歌が思い出される。そういう構造になっていると思う。

パレスチナ問題の解決法

二十年ほど前、テレビを見ていると、あるユダヤ教徒とおもわれるイスラレル人の若者のインタビューをやっていた。

いわく、世界に好かれて滅んでいくよりも、世界に嫌われても生き残ることを選ぶ、と。

どうしてパレスチナを併合するのか、に答えた文脈だったと思う。

 

それを聞いた時、少なくとも日本にいる私から見て、イスラエルは、知性的で、戦略的国家に見えた。どう見ても滅んでいく国家には見えなかった。

この危機感は、いったい何だろう。

 

そして思い至ったのが、ヨーロッパ人の根深いユダヤ差別だった。

 

不確かな記憶だが、2018年前後にあるニュースを読んだ。ニューヨークのユダヤ人組織が、私たちはイスラエルにいつか戻ることをやめて、ニューヨークに住み続けていいのではないか、という見解を公表していた。ニューヨークではユダヤ人差別を感じずに暮らしていけるようになっている。このままここに住んでも大丈夫ではないか、といった内容だった。

 

ユダヤ人が国際法に違反してパレスチナを併合しようとするのは、‘世界から’の差別による孤立から生き残るためには、パレスチナ人を犠牲にしても仕方がないのだ、という心理があると思う。

 

つまりパレスチナ問題の解決為には、まずヨーロッパ人こそが自分たちの差別意識を修正する必要があるのだと思う。

コメ食文化の塩加減 おかずの塩分濃度とご飯の量の関係

東アジアや東南アジアでよくみられる、ご飯とおかずの食べ方の特徴は、混ぜ食いである。おかずを口に入れた後、すぐにご飯も口に入れて一緒に食べる。つまりおかずが塩辛ければご飯をたくさん頬張り、塩味が弱ければご飯の量を減らす。そうやって全体の塩分濃度を調整して好みの塩辛さで食べるのだ。

インドのご飯を盛った定食も、東アフリカの粉食も、中東の食事も同じで混ぜ食いである。

欧米やその影響を受けた地域では、ご飯やパンが添え物になり、それぞれのおかずだけで食べれるように塩味が調節してある。

 

さて、混ぜ食いはある意味で便利な食べ方である。と言うのもおかずが塩辛ければご飯をたくさん食べ、塩味が弱ければ、ご飯を食べない、または減らせばいいからだ。多少おかずの塩加減を失敗しても、食べるときに個々人で調節できるのだ。

と言っても毎日調理をしていれば、おおよその塩加減は決定できる。わざと塩味を濃くしてご飯を多く食べることも、塩味を弱くしておかず中心に食べることもできる。

 

塩味ではないが、韓国の食事は辛いものが多いが、宮廷では辛い物を食べなかったそうだ。あえてご飯をたくさん食べる必要がなかったからだ。逆に庶民はとても辛い味付けにして少しのおかずでたくさんのご飯を食べておなかを膨らました。

日本でも庶民は、漬物や時には塩辛でたくさんのご飯を食べた。

 

一度に食べれる量は限られているので、豊かになるに従って、おかずの塩加減は弱くなり、食べるご飯の量は減り、おかずの量が増えた。つまりおかず食いになったのだ。

 

さてそれでは摂取する塩の総量は変わったのだろうか。ある人がおいしいと感じる塩分濃度と一度に食べれる量は一定だろうから、塩の総量は変わらないと予想される。

 

40∼50年前までは、東北地方は漬物を中心とした塩辛いものをよく食べていたので、脳卒中発生率が高かった。その後減塩が意識され、ご飯の副菜として常食していた漬物を減らし、脳卒中発生率も改善された。今では東北地方は納豆の高消費地帯になっている。

 

この例から考えると、塩の摂取総量は減ったのだろう。健康を意識して、塩味の薄い、もう一つおいしくない食事を過半数の人が食べ続けることは不可能だろうから、減塩してもほかのもので味を補っておいしく食べる方法があったのだろう。例えば出汁を利かせるとか、酸味や辛みを付けるとか。

逆に言えば、このような努力をしなければ、摂取する塩の総量は変わらないと私は予想する。今までと同じ料理を作って、ただ塩分を減らしただけなら、ただ食べるおかずの量が増えて、塩の総量は変わらないことになると思う。

 

以上、減塩を意識しておかずの塩を減らしても、今までと同じ料理を作っていれば、おかずをたくさん食べるようになるだけで、塩の摂取総量は変わらない。料理方法、または味付け方法を変えることによって初めて減塩が継続的に達成できるようになると思う。

サザエさん症候群の乗り越え方

私が子供のとき、日曜日の午後六時半からサザエさんを放映していた。朝起きた時には、これから丸一日遊べるぞ、とワクワクしてたのに、サザエさんが始まる頃になると、楽しみにしていた休日がもう終わったしまう、とどんよりしたものだ。

話はサザエさんに限らない。時間をかけて一生懸命に作った料理、いただきます、と言って気が付いてみると、残りあとわずか。あれほど時間をかけて楽しみにして作った料理が、もう僅かしかない。なんとも虚しい気持ちに襲われる。

抽象化すれば、楽しみにしていたものが、気が付けばあと僅かになり、無駄に時間を使ってしまったような、虚しい気持になる。

別の言い方をすれば、ある目的のために、一生懸命に準備をした。いざ目的を楽しもうとしたら、すぐに終わったしまった。虚しい。

 

なぜこんな気持ちになるかといえば、目的は天国だが、準備は地獄だからだ。

目的の為にいろんなことを我慢して準備をしたのに、いざ目的を楽しもうとすると、刻一刻と時間が過ぎていき、時間の経過が気になって心から楽しめない。

さらに人生に広げて言えば、明日のために、今日を犠牲にすることだ。そして明日になれば、また同じことを思うのだ。明日のために、今日を犠牲にしなければ、と。つまり永遠に明日はやってこない。修行人生。

あしたのジョーは、あしたの為に、その1、と言ってパンチを出して練習していたが、上記の人生を生きたのだと思う。あすなろ物語

 

ではどうすれば修行人生から逃れられるのか。

答えは簡単である。準備を修行と考えずに、準備も楽しめばいいのだ。つまり準備も目的に組み込むのだ。具体的に言えば、目的は楽しいものに決まっているが、準備期間も、どんどん目的に近づいている、と喜んで楽しめばいいのだ。どんどんおいしい料理の出来上がりに近づいている、嬉しいな、と。

 

最終的には、準備も目的も関係なく、その瞬間瞬間を楽しく生きる、そう自覚することが、楽しい人生を生きる究極の方法だと思う。言ってみれば、準備期間が人生すべてに拡大されたのだ。では肝心の目的は。楽しく生きることである。

 

以上のことができれば人生は天国である。そしてそれはそれほど難しいことではないと思う。

東京育ちと東京移住者 脳内マップの違い

私は三十代前半で東京に移住してきた。最初の年は東京の地名を言われてもそれがどこかさっぱり分からなかった。東京に住んでいる人なら誰でも知ってるような、雑司ヶ谷とか日暮里も全く分からなかった。地図を見ても漢字の読み方が分からなかった。福生も青梅も間違って発音していた。

しかし馴染みの場所ができると、そこから脳内マップを広げていって、面としてマップを作れるようになった。二年も住むと東京のおおよその場所は分かるようになり、行きつけの場所はかなり詳しく脳内マップを描けるようになった。友達とおしゃべりしていてもほとんど不便を感じなくなった。

ところがである。東京の郊外や、近隣県の話になると、たちまちかっての状態に戻ってしまう。地名を言われてもそれがどこかさっぱり分からない。近くのようなのだが、見当もつかない。

とはいえ十年も住むと、いろいろな用事で郊外にも足を延ばすようになり、東京周辺の脳内マップも充実してくる。

しかしところがである。関東にまで範囲を広げると、たちまちかっての状態に戻ってしまう。そうそう茨木や栃木や群馬や山梨に行くことはないのである。

この差はどこから来るのだろうと、東京育ちの人にいろいろ話を聞いてみると、子供のころの遠足や修学旅行、そして家族行楽と家族旅行、十代になってからは友達との旅行、と膨大な蓄積があった。

私は東京に住んでもうすぐ三十年になるが、関東圏の脳内マップは作れていない。

 

これの意味するところは以下のことだと思う。

私はふだん生活しているとき、自分の居場所を中心にして漠然と脳内マップを作っているが、それが東京どまりなのだ。

それに対して、東京育ちの人は、関東圏までの脳内マップを作れていると思う。つまりより広い空間を認識して暮らしていると思う。そして個々の地点には感情が伴った経験が貼り付けられている。あそこは景色がよかった、あそこの川は水がきれいだった,あそこで食べたソバは美味かった。感情を伴ったマップが広がっている。

 

結論

以上が脳内マップから見た東京育ちと東京移住者の違いと、その差が出る理由である。

 

追加

だからどうした、という話かもしれないが、次のことを考えてみると、どちらを志向したほうが良いか、分かり易いと思う。

例えば世田谷区から出たことのない人がいて、脳内マップが世田谷区に限定されているとする。その人が友達と喋っているとき、またニュースなどで世田谷区以外の話題になったとき、話の内容は理解できるが、そこが何処かも分からず、当然場所のイメージも湧かない。話への感じ方が無味乾燥に傾くと思う。

例えばスーダンの話をどれだけ一生懸命にされても、ほとんどの日本人にとってスーダンは行ったこともなく、故に場所のイメージも湧かず、どこにあるかも分からない。となればその熱意ある話に実感を持つことは難しいだろう。もっと言えば、興味を持てない。

世田谷区限定育ちの人は、世田谷区以外のすべての場所で似たようなことが起こっていると思う。

 

故に脳内マップは広いほうが実感を伴って話を聞きやすいと思う。興味を持って話を聞くことができ、ひいてはそれが知識として身に付きやすいと思う。

これを受け入れれば、話は地理に限らないことになる。いろんな分野について、感情が貼り付いた知識を持っていれば、いろんな話を興味を持って聞くことができ、楽しい人生が送れると思う。宗教でも、スポーツでも、料理でも、音楽でも。

 

東京を例に出したが、同じことが弘前でも、富士吉田でも言える。

季節は常に先行する 人は寒暖に悩まされ続ける

四季の変化は心を和ませる。春はウメ、夏はサルスベリ、これは最近のことだ。秋はヒガンバナ、冬はサザンカ

しかし夏に向かっては、常に暑さに悩まされ、冬に向かっては常に寒さに悩まされる。5月の五月晴れには既に汗ばんで夏を思い遣り、9月の雨の日には既に体をちぢこめて冬を思い遣る。

人はなぜ夏の盛りのずっと前から暑さに悩み、冬の盛りのずっと前から寒さに悩むのか。その理由を考えた。

 

1 体の慣れ 1月末ごろの小寒の時季になると、それまで続いていた気温の低下も終わり、気温は低位安定する。すると体がその気温に慣れてきて、以前ほどの寒さを感じなくなる。つまり気温が下がっていく時期は、その気温に体が慣れる前に気温が下がってしまうので、より寒さを感じてしまうのだ。夏に向かっても同じことが起こる。

 

2 服装の遅れ ある時点で着ている服装は昨日までの気温に合ったものだ。だから例えば気温下降局面では服装は常に後れを取ることになる。季節の変わり目に通りを眺めていると、オーバーを羽織ってる人がいるかと思えば、半袖で歩いてる人がいることにもなる。服装に限らず、寝具でも同じことが起こる。当然、気温上昇局面でも同じことが起こる。

 

3 三寒四温 冬から夏に向かって気温は同じ割合で上がっていない。ことわざに頼れば、3日寒い日があって、4日暖かい日がある。春に3日寒い日があるのは昨日までの気温と同じである。暖かい日が4日あったときに人は気温の変化を感じる。気温は波を描きながら上昇していく。上昇局面では、上の波の時に気温の変化を感じるのだ。5月に暑さを感じるのはそういう時だ。

 

以上3つの理由で、季節は人を先行してしまうのだと思う。いつまでたっても人は季節に追いつけない。別の見方をすれば、季節は、遅れがちな人を導き続けてくれているのだと思う。