くどく感じるのはもちろん私の主観で、以下を読んでください。
私は煮炊き物が好きだ。特に簡単に作れる炒め煮を仕事からの帰宅後によく作って食べる。肉を入れないときはニンニクや出汁ジャコを始めに入れるときもあるが、調味は酒と醤油のみである。
それがなんとも美味しいのである。どうして酒と醤油だけでこんなに美味しくなるんだろう、と不思議に思いながら食べている。
”北条氏政の汁かけ飯”ではないが、何故かたいていご飯が少し残ってしまう。そのために漬物などを用意しているのだが、夏場は市販のキムチを買って利用している。甘いので食べやすいのである。
で、ひとくち目のキムチは美味しいのだけれど、回を進めるとすぐに飽きてくる。味がくどいのである。
考えてみるに、以下のようではないか、と思う。
人が何を美味しく感じるかは、研究されつくしている。その調味方法も十分に開発されている。その安価な生産方法も十分に開発されている。
となれば、商品として安く量産しようとすれば、それを使えばよい。
人によって味覚には幅がある。つまり、その調味料・添加物を丁度の量で使うと、足りないと感じる人がいる。それでは他社の商品に乗り移られる可能性がある。故に、少し強めに味をつけるのだと思う。少なめに使うのはもちろん、適度に使うのも怖いのである。
結果、ひとくち目こそ美味しいが、ふたくち目以降くどく感じて飽きてしまうのである。
普通の調味料で作った家庭料理は旨味が通常足りない。野菜だけの料理であれば尚更である。しかし、手作りの料理は、美味しいであろう、美味しくあって欲しい、という予断が働く。自分や大切な人の作った料理なら尚更である。
そこで口の中で旨味を探すのである。そこに認知バイアスもかかって美味しく感じるのだ。
想像で美味しさを盛っているので、飽きもなかなか来ない。
家庭料理はそのような良いことがある、と思う
追補
”氏政の汁かけ飯”については以下のウィキペディアのページの「逸話」の章を参照。
真意のほどは定かではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E6%94%BF#%E9%80%B8%E8%A9%B1