imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ ブログという落書き 2024年4月18日

かつて大学のトイレは落書きで溢れていた。もちろん猥雑な記述もあったが、真面目に書かれた政治的記述もあった。学生運動勧誘の文章もあったと思う。

 

不特定の人たちに自分の書いた文章を読ませるためには、かつては出版か、ビラとして配るか、壁新聞、落書きぐらいしかなく、ビラや壁新聞、落書きは手間や場所の問題があり、かつ手書きの文字は信憑性が低く見られた。落書きは言わでもがな、である。出版はハードルが高く、専門家が専門知識を持って書くものとイメージされていた。

 

しかしインターネットの普及、IT技術革新のお陰で、誰でも簡単に無料でブログを書き、公開できるようになった。

 

差別、誹謗中傷、著作権の侵害、がなければ何でも書ける。書き手はもちろん普通の人である。専門知識を持っていない。辻褄も合わせる必要がない。独りよがりでもよい。0.01%の人しか興味のないことを書いてもよい。手前みその小説を書いてもよい。ほぼ何でもありである。

 

書かない手はないと思う。

 

かつて大学のトイレは落書きで溢れていたけれど、今でも同じだろうか。トイレの壁より、書く面積も圧倒的に広く、しかも時系列に並べていくこともできるブログのほうが満足度が高いと思う。トイレの壁に書いている場合ではないのである。