imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 新 なぜ西ヨーロッパではパンが主食にならないか ブログ

例えば日本人が「おかず」という言葉でイメージするのは、ご飯のお供である。伝統的な食べ方では、おかずを少し口に入れ、その塩加減に応じた量のご飯を口に入れる。塩味が薄ければ少しのご飯、塩味が強ければたくさんのご飯。この「おかず」に対応する言葉が「ごはん」「主食」だと思う。

例えばこの単語のイメージを英語で探すと、「side dishes」か「ready made side dishes」あたりになると思うが、これに対応する言葉は私の語感では「main」だ。しかし”今日の夕食の「main」は何ですか ”と英語で聞かれた時、「ごはん」だ、と答えるのは変である。「main」とは肉とか魚とか、食べ応えのあるものだ。

この違いは、食文化が違うからだろう。

 

スペインの支配を受けた中南米やヨーロッパの都市部の食堂には、ワンプレートディッシュをよく見かける。ひとつ皿に肉または魚、サラダ、そしてパンまたは白飯またはパスタ、地域によってはマッシュポテトやフライドポテトがのっている。パンや白飯が添え物になっているのだ。

 

ヒトが誕生して以降、人口増加を決定する要因は常に食料だった。ヒトは日常的に飢餓と隣り合わせで生きてきた。飢えをしのげれば何でも食べたのである。農耕の発明は人口を爆発的に増大させた。

カロリーから見て、単位面積当たりのコメの収穫はムギより多いので、米作地帯は麦作地帯より人口が多かった。

経済先進国でさえ、飢餓を克服したのは大雑把に言って、つい100年ほど前のことだろう。それまではカロリーのある食べ物が重要だったのだ。それは米、麦、トウモロコシ、ジャガイモ、タロイモなどである。

 

カロリーを稼ぐための主食としてのパンはわざわざふわふわにする必要がなかった。ずっしりとしたパンを焼き、スープなどと一緒に食べた。

つまり、かつては麦作地帯も米作地帯と同じように、主食とおかずの区別があったと思う。もちろん今でも貧しい地域はその区別があるだろう。

おかずを少し口に入れて、パンをたくさんほお張る。トルコに行けば、今でもそんな食べ方を見ることが出来る。朝の食堂に入れば、スープだけを注文して後はテーブルに備え置きされたパンを山盛り食べる人たちがいる。

 

しかし経済的に裕福になって穀類でカロリーを取る必要が無くなってくると、米食でも、麦食でも同じことが起こる。カロリーに占める主食の割合が減って、おかずの割合が増えるのだ。それは当たり前だろう。ずっしりしたパンやご飯よりおかずのほうが美味しいのだから。

日本でも以前に比べておかずの塩味が薄くなった。それは結果として一緒に食べるご飯の量を減らす。おかず食いになったのである。別の見方をすれば、主食の地位の低下である。

 

麦食地帯でも同じことが起こっただろう。パンの割合が減った。しかし、ここで米食地帯とは違うことが起きた。パンが主食の座から降りたのだ。おかずになったのである。

 

ここからは仮説である。

 

ご飯には起こらなかったことが、なぜパンには起きたのか。

 

1 ご飯はそれだけでは食べられない。塩味が無いからだ。対して、パンには薄く塩味が付いている。もともとは塩入れなかったかもしれない。おかずに塩味をつければそれで良かった。しかし粉量に対して2パーセントほど入れても違和感はない。そこで

 

2 パンは発酵食品だ。塩の入ったパンは上手く発酵させれば、それだけで、またはバターをつけると美味しく食べられる。発酵することによって、糖が分解されて旨味がでる。ここがご飯と決定的に違う。ご飯に塩を入れてもひとくち目は美味しいかもしれないが、食べ続けられないだろう。パンは単独で食べられる食品になったのだ。

実際、フランスの貴族はそれだけで美味しく食べられるフランスパンを作り出した。

これでパンが主食から離陸する準備が終わった。

 

これをさらに後押ししたのが

 

3 ジャガイモの存在だ。米食地帯では、主食はコメしかない。米食地帯でジャガイモも主食として併用している地域を私は知らない。たぶんおかずとの相性が悪いのだと思う。ごはんに合うおかずがジャガイモには合わない。ジャガイモ自体の味が強すぎるのだ。逆に言えば、ジャガイモは塩さえあれば、それだけで食べられる可能性を持っている。

ヨーロッパでは寒い地方は小麦が穫れず、伝統的にライ麦などを食べてきたが、アメリカ大陸からジャガイモが伝わると、ライ麦の不足分としてジャガイモが食べられるようになった。例えばジャガイモはアイルランドの人口を増加させた。ジャガイモも主食になったのだ。絶対的な主食の座からパンは降ろされたのだ。主食はパンでもジャガイモでも構わない。しかもそれぞれ単独でも食べることが出来る。

 

以上、主食としてのパンは、まず富裕化によって食事での相対量を減らした。

次に発酵食品としてのパンの特性が、主食とおかずのセットから離脱を可能にした。

最後にジャガイモの登場が、主食としてのパンの地位を更に引き下げた。

 

これらのプロセスを経てパンは主食の座から解放されたのだと思う。

 

追記

 

フランスパンは小麦の味と香りを最大に引き出している。これをご飯に求めれば、日本の場合、ごはんに梅干しが相当すると思う。塩おにぎりは塩だけでご飯を食べさせる。始めはコメの味が引き立って美味しいが、後半は塩味を感じなくなって美味しくない。それをミニマムで改良するとご飯に梅干しになる。ご飯と僅かの梅干しを一緒に口に入れると、コメの味が引き立ってとても美味しい。後半は梅干しの量を増やせば慣れに対応できる。

 

数年前、旨いお米に高級な卵を使った卵かけご飯が流行ったが、もしコメの味を味わいたければ、卵をかけるとおジャンになる。梅干しが一番である。しかし梅干しだと商売にならなかったのだろう。