imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

料理について 料理がうまいことと、美味しい料理を作れること

私は料理するのが好きだ。特に新しいレシピを見て、どんな味で、どんな感じに仕上がるのかを、想像していると、うきうきしてくる。

作りなれた料理でも、まず全体の流れをシュミレーションして、次に材料をそろえ、材料を切って段取りを整え、加熱をして、調味していくのだけれど、イメージ通り出来上がるか、次回のための改良点が何かあるか。そういうことどもを考えるのがなんとも楽しい。

料理中によく思うのだけれど、料理がうまいことと、美味しい料理が作れることは別のことだと思う。良いレシピがあれば、どんな人でもたいていの料理はおいしく作れる。ハンバーグの良いレシピがあれば、誰でも美味しいハンバーグを作れるだろう。カレーライスの良いレシピがあれば、誰でも美味しいカレーライスを作れるだろう。

では料理がうまいとはどういうことか、と言うと、頭の中で料理を組み立てられることだと思う。レシピを見ただけで、料理の味まで想像できて、さらには作ったことのない料理を頭の中で組み立てられることだ。つまり実際に作らなくても、頭の中の操作だけで、味や食感が想像できることである。

私にはこの能力がない。

レシピを見ながら料理を作ることに慣れてくると、同じ料理ならレシピを見なくても作れるようになってくる。別の素材を入れるなど、多少の応用も利くようになってくる。

しかし気を抜きすぎて、シュミレーションをきちんとせずに料理を始めると、あっ、あの素材も入れよう、あっ、あの調味料を使ってみよう、などと、料理中に追加の作業が始まり、手順が狂ってしまい、私の経験では、ほとんどの場合想像通りには仕上がらない。特に炒め物で時間が長引くと、素材に熱が入りすぎてしまって、悲しい結果になる。

料理は、シュミレーションと段取りが命なのである。つまり多くの肉体労働と同じなのである。

ということは、手順よく料理を作れる人は、ワーキングメモリーを使う肉体労働をうまくこなせると思う。逆に言えば、仕事で段取りのできる人はその気さえあれば、美味しい料理が作れると思う。