imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

型が決まると便利になり、型が決まるとつまらなくなる 2022年9月

よりよい生活を求めている人は多いと思う。より良いとは、快適や便利あたりを意味しているだろう。便利とは、労力の節約、時間の節約のことだろう。

 

ひとつのことに習熟していくと、労力や時間の無駄が減少し、型が出来上がっていく。

例えばハイキングである。バックパックの荷物の詰め方、持っていく道具の選択、寒暖に合わせた服のレイヤー、お弁当の内容、コースの選び方、コースの歩き方。回を重ねるごとにより良い型が出来上がっていく。

例えば料理のレシピである。ある料理を繰り返し作ると、材料の選択、調理の順番と方法、段取り、の型が出来上がっていく。

 

出来上がった型が便利であればあるほど、型から外れられなくなる。わざわざ不便を求める人はいないだろう。

 

しかしそれに反比例して行為がつまらなくなる。当たり前である。すべてが予測通りなのだから。

 

時々ピザを焼いて食べるのだけれど、作り始めたころは、生地にどんな粉を使うと美味しくなるのか、生地の上に乗せる具は何がいいのか、生地だけ先に少し焼いて後から具を載せるのがいいのか、その時間はどのくらいか、等いろいろ試すのが楽しくて、ウキウキしながら作っていたものだ。その時々の記録をつけて、より良いレシピを完成させていく。今ではすべての手順が決まって、美味しくはなっても、少しも楽しくないのである。

 

私はコーヒーが好きで、ドリップコーヒーを自分で淹れて飲んでいるが、何故か毎回味が違う。思った通りの味にはめったにならないので、心はモヤモヤするのだけれど、今回はどんな味だろう、と毎回ワクワクしながらコーヒー豆に向えるのである。

 

型が固定されることによって得られる快適さと、型が固定されることによって増大するつまらなさとは、どうバランスをとればいいのだろう。

 

全く記録を取らず、過去の経験を参照しなければ、毎回新しい気持で、つまりウキウキしながらことに当たれるかも知れないと思う。しかしそれでは甚だ効率が悪くなる。毎回のように同じ失敗をすることになるかも知れない。それは不便であろう。

 

型に従う便利さと、型からはみ出る楽しさのバランスは、各人いろいろ思うところがあるかもしれないが、私が思うところは以下のことである。

 

バランスをどうするかは根本的な解決にならないと思う。この二つを抽象的に統合すると、その瞬間瞬間に意識を集中して楽しむ、になるのではないか。

つまり分かり切ったのもとして惰性でことに当たるのではなく、その瞬間瞬間を楽しむのである。好きなことが出来るこの瞬間が最高に幸せである、と。しかしこのときの、楽しむ、はワクワクではありえない。未知に踏み出していないからだ。それは、満ち足りた感情、しみじみ楽しい、のようなものになると思う。

 

そのような気持ちで日常のタスクに当たれば、つまらなさから解放されると思う。

つまり、今ここに意識を集中して、満ち足りた気持ちを感じるのである。それは何をするときでも同じだろうと思う。

 

この基本があったうえで、日々の小さな改良を楽しめばいいと思う。