imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー 「再現」テオ・アンゲロプロス監督1970年公開 2024年3月1日

監督初の長編映画である。

 

あらすじ

 

アルバニア国境近くのギリシャの山間の村で、夫がドイツに出稼ぎ中に、妻が村の農場警備員と浮気をする。帰宅した夫と偶然に鉢合わせ、2人で夫を殺し、遺体を埋める。

夫の行方不明が噂になり、警察が予断を持って事件を構成し、村人はうわさ話をする。

 

時系列に書くと以上であるが、この監督の特徴である時間軸の前後の移動がある。

この話は実話に基づいており、かつギリシャ神話をなぞらえてもいる。

 

殺人自体の描写はない。つまり2人のどちらがどのような役割を負ったかは不明である。つまりそこは重要ではない、ということだ。



ギリシャ神話になぞらえているようだが、どこをどの様にかは私には不明である。不倫、不貞の妻殺し、近親相姦、親子殺し、ギリシャ神話には考えられるすべての関係がある。

監督にとってギリシャ神話は同監督の他の映画と同じく、物語の前口上に過ぎないと思う。



舞台は絵に描いたように美しい村である。地震が少ないのだろう、家壁、塀のすべてが、スレートの石を積み上げて作られている。この映画が白黒映像なのは、表情を印象付ける以外に、スレート積みの横線を強調するためだと思う。こんな集落がまだ残っているのなら是非行ってみたい。

石灰岩が侵食された切り立った山間も美しい。樹木が少なく山肌が美しい。

大水が出ないのだろう、河川敷に大木が疎林で生えていて、明るく開放的である。雪解け水なのか、水量も豊かである。

 

この美しい風景に反比例して人々の暮らしは貧しい。生活の糧は、斜面を利用した狭い畑と、果樹、そしてヤギの放牧ぐらいだろう。石灰岩地形なので土地は痩せている。多くの人が出稼ぎに行き、若者は村を捨てていく。

「昔はまだましだった」と村人が言ったが、近代化に取り残されて、若者が都市に出稼ぎに出てしまうのだろう。舞台の設定は、公開時と同じ1970年だ。高度成長が続いた日本でも、集団就職で「3ちゃん農業」という言葉がはやった。近代化は過疎化を促進したのである。

 

そして村人たちの共同体偏重志向、似た言葉を使えば封建性がある。この映画で主体的に行動しているのは妻だけである。軽食屋を営み、3人の子供を育て、夫を殺した後の始末も率先して引き受けている。結局は罪のすべてをかぶる。

それに対して共犯の警備員は可能な限り罪を負うことから逃げる。妻の兄が事情を聴きに来た時、妻に言った言葉、「大変なことをしてくれた」は妻本人ではなく家の名誉、つまり自分のことを一番に考えている。そして妻が逮捕されたとき、村の女たちが駆け寄り「人殺し」と妻に襲い掛かる。掟破りの制裁だろうか。

 

つまり監督が表現したいのは、景色こそ美しいが、主体性のない人達が、貧しいまま生きている、という日常だ。これは監督のギリシャ批判である。監督は1975年「旅芸人の記録」で、外国に翻弄された現代ギリシャを嘆いたが、その5年前の本作では、ギリシャ人自身の主体性の無さを批判しているのだ。ギリシャの後進性、貧しさについて外国、特にイギリスに原因があるが、ギリシャ人にもその責任があるのだとその矛先を向けている。

 

これとは別の主題がある可能性もある。

「浮気な妻は殺すしかない、でないとこちらが殺される」と村人が言ったように、現場で夫と鉢合わせてしまった妻は、殺される前に、自己防衛として警備員と一緒にやむなく殺したのだろう。警察はそのことを重々知っているにもかかわらず、警察が作ったストーリーに合わせて2人に自供を強いている。妻が判事に突然掴みかかったのはその怒りが爆発したからだ。

 

この作品が作られたのは、1967年から1974年の、クーデターで成立した軍事独裁政権の時代だ。政党を解散させ、共産党を非合法化した。反体制派の国外追放、投獄、拷問が日常だったようだ。この時はアメリカが政権を支援した。

独裁政権が自分の都合よくストーリーを組み立てて、反体制派を逮捕、投獄した。それへの批判と考えられる。

 

映画の日本の題は「再現」で、英語では「Reconstruction」(再構成)で、原題のギリシャ語では「Αναπαράσταση」で、グーグル翻訳で見ると、(表現)になっている。

では何を再現、再構成するのか、といえば、

1 本当にあった事件の内容を映画で再現する

2 もしくは映画の中で起こった殺人事件を警察が再現する、かのどちらかだろう。

もうひとつギリシャ神話を再現することも考えられるが、これはあり得ない。

上記の考察から、「再現」とは、警察のでっち上げを意味しているだろう。

 

だとしたらこの映画の主眼は、軍事独裁政権による反体制派へのでっち上げの逮捕批判で、別の読み方として、ギリシャの人々の後進性批判も用意されているのだと思う。

 

この監督の最初期の作品に見られるのは、反権力とギリシャ愛国だ。「再現」以降の作品もこれらがテーマになる可能性が高い。

 

同監督の「旅芸人の記録」の映画評はこちら

 

https://imakokoparadise.blog.jp/archives/24409556.html

 

追記

 

・ 主人公の妻を演じたトゥーラ スタソポロウはこれが映画デビュー作で1970年のテッサロニキ映画祭で最優秀助演女優賞を獲得している。なぜ助演なのか不明である。どう見ても主演女優だが。どっしりとした覚悟の決まった人物を演じている。当時38歳での受賞であった。2006年没。

 

アメリカがギリシャを重視したのは、ユーゴスラビアブルガリア共産国と接しているからだ。事情は韓国と同じく、共産圏の防波堤として重視した、ということになっている。

共産圏と接して無くても介入したと私は思うが。

 

・ この集落は丘の上にある。なぜ水の利便性の悪い丘の上に家を建てたのだろう。毎日の水くみが大変だったろう。谷間は冬の雪が深かったのかもしれない。もしくは深く浸食した川が急斜面を作っていて、川の近くに平地を確保できなかったのかもしれない。いずれにしても条件の悪い居住地だ。

外国旅行をしていると、たまにこんな集落を見かける。