imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー 「狩人」テオ・アンゲロプロス監督1977年公開 2024年3月13日

3時間近くの映画である。簡単なあらすじは

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E4%BA%BA_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

凡そのあらすじは、1977年の新年を祝うために集まった名成り功遂げた6人の名士が大みそかに雪原で狩りをしているとき、1949年に死んだ共産党軍兵士の死体を見つける。その遺体を前に、過去に仲間を裏切り、あるいは政治対立者を非合法に殺した過去を6人がそれぞれ回想する。

翌日の元日にその遺体を再び雪原に埋め戻す。

 

回想シーンは1949年のギリシャ内戦の共産党敗北から、選挙で選ばれたパパンドレウ首相を国王が追放する1965年までである。

それはつまり視聴者にその期間のギリシャの歴史の学習を強いる。

 

簡単に歴史を記せば、

1924年に始まった第2共和政が1935年に王政に戻されたのち王政自体は1973年まで続く。その体制の中で、1946年から49年までのギリシャ内戦では共産党軍の敗退で終わる。以降良好な経済成長が続き、1965年、国王と首相の、軍に対する意見の相違から首相が辞任し政治が流動化、1967年に将校によるクーデターが発生、軍事政権が1974年まで続く。途中1973年、更なるクーデターにより王政が廃止され軍事独裁政権になるが、1974年に崩壊、選挙により1975年から第3次共和制が始まり、現在に至る。

 

つまり映画が撮影されたのは7年間の軍事政権が終わって間もない頃である。今から振り返れば、共和政が存続することを知っているが、当時はクーデターの再来は大きな懸念だったろう。そのためにも国民を啓蒙しておきたい気持ちが監督にはあったと思う。多くの国民が軍事政権を拒否すれば、クーデターは失敗するからである。

 

そういう意味でこの映画は、まず国民向けに作られたと思う。ギリシャの細かな現代史が外国人に興味を惹く内容とは思えない。

 

もう少し映画内容に立ち入ると、

 

6人の狩人たちは共産党員への裏切りや非合法行為によって今の地位を手に入れた。別の言い方をすれば、人権弾圧の政権に加担することで今の地位を築いた。

「民主主義の選挙で選ばれた政治家など碌なことはしない、軍事政権が良かった」と映画の冒頭で主人公の一人の実業家が言っている。

ところが1975年に共和制になったとたん、私はずっと民主主義者でした、と豹変する。主人公の一人で政治家のパパンドレウは「今までもずっと民主主義者だった」と遺体の前で言ったが、他の狩人たちに上着を脱がせられると、過去の裏切りが姿を現す。

監督は、こういう人たちにも気を付けよう、と国民に呼びかけてもいるだろう。



監督には外国政府、ここではアメリカの意を汲んで、もしくは直接に外国から指導されて自己利益の為に国民を不幸にした人たちに対する怒りがある。ギリシャを不幸にした敵は外国だけではなく、身内にもいたのだ、という怒り、告発。

 

これが監督の主題だと思う。題名の「狩人」は共産主義者、民主主義者をハントする、という意味だろう。

 

私の感想

監督の意識は国内に向けられていて、全く外国に向いてないと思う。外国に向く、とは、より抽象化が出来て、外国でも応用可能な見方が出来る、という意味である。

確かに外国にも売国奴日和見主義者や、、、がいるだろうが、それも表現するためにこの長尺の映画を撮ったとは思えない。

監督はこの2年前に「旅芸人の記録」を公開して世界的に評価された。にもかかわらず意識している観客はギリシャ人なのである。

固有性を突き詰めると普遍性に通じる、ということはあるけれど、監督はそれを狙ってない。監督の興味の中心は相変らず国内の民主主義の擁立、ギリシャ愛国だと思う。

 

今後つまり1977年以降、ギリシャの民主主義政権が安定すれば監督の興味がどう移っていくのかが楽しみである。

 

監督が前提にしていた資本主義と共産主義の経済・政治での対立は、今となってはそれ自体は時代遅れになってしまった。私たちはこの前提で映画を観れない。

私がこの映画を観ると、共産党のほうが共同体意識が強いように感じるが、その前提もなかったのだろう。弱者だったから、追い詰められていたから共同体に頼るしかなかった。





追記

 

  • 6人の狩人の一人に政治家のパパンドレウがいるが、彼の父親はゲオルギオス・パパンドレウで、3期首相を務めた。モデルとなった当人アンドレアス・パパンドレウはこの後つまり1977年以降、2期首相を務める。その息子ゲオルギオス・パパンドレウは2009年に首相になり、隠された莫大な政府債務を公表してギリシャ債務危機、更にはユーロ危機を引き起こし有名になった。

 

  • 1972年公開の同監督「1936年の日々」を観た。監督が初めて書いた長編映画の脚本である。

あらすじは、労働党の議員が演説中に射殺、犯人の身代わりになった保守党お抱えスパイが投獄され、口封じの為に獄中で射殺される。

 

製作当時の軍事政権批判である。まだ脚本に慣れてなかったのか、当時の軍事政権への怒りが強かったからか、内容が単調でつまらない。

 

ここでも監督の主題は、反民主主義への怒りとギリシャ愛国である。より抽象的なものへの志向は感じられない。