imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 中国人の不思議 2024年3月6日

私は2014年から19年まで外国旅行をしていた。その時々に中国人旅行者にあったが、彼らにはひとつの特徴があった。

 

外国を旅行していると、何となく心細いものである。ひとり旅行ではなおさらだろう。気置きなく自国の言葉で、自国の常識で気軽に話したくなる。

フランス人もフランス人旅行者を見かけると親しげに話しかける。ドイツ人もそうであった。韓国人も、そしてもちろん日本人もそうであった。

 

外国にはかつて日本人宿という宿泊施設があった。オーナーは日本人のことも、外国人のこともあるが、ほぼ日本人だけが客として利用していた。

 

なぜ日本人宿が存在するかというと、まずは言葉の壁がある。英語をうまく喋れない人が多いので、出来れば日本語で情報交換をしたい。日本語でまったりと喋りたい。とにかく日本語だと、流れるように話せるので楽なのである。外国語だと一つ一つの会話にも緊張を強いられる。

次に常識の壁がある。日本人宿だと、日本の常識が通用するのだ。話の内容はもちろん、トイレも洗面台もベッドも日本の常識を信じてよい。便座を倒したまま男が小用を足すことはないし、共用トイレに裸足で行って、そのまま部屋に戻ってベッドに上がることもない。靴を履いたままベッドに上がることもないだろう。トイレに便座がないということもない。不潔さに神経をすり減らす必要が無いのだ。

 

日本人宿の他に、韓国人宿もあるし、アマゾン川のイキトスという町ではLa Casa Del Frances という宿に泊まったことがあるが、もともとはフランス人宿だったと思う。

 

さて中国人である。中国人旅行者は、同じ中国人旅行者を見てもまったく知らぬ顔なのである。始めのうちは、たまたまそういう人なのか、と思っていたが、同じことが続くので、その理由を考えてみた。

アジアでは中国人旅行者が多い。そもそも母数が大きいので、1%が旅行に出掛けたとしてもかなりの数になる。なのでしばしば顔を合わせるので、いちいち話しかける気持ちにならないのではないか。

と思っていたが、中央アジアやアフリカなど中国人をあまり見ない国々でも、中国人はお互いに知らぬ顔なのである。

 

結局、とりあえずの結論として、個人主義の国なのかな、ということになった。

 

帰国後、中国人の、正確に言えば漢民族の民族性について知る機会があった。

彼らは血縁ネットワークを重視する文化で、血縁関係さえあれば、全く知らない人でももてなし、それが世界各地のネットワークとしてつながり、商売に有利に働く、ということであった。顔も見たことのない若者が訪ねてきても、血縁者であれば面倒を見るのである。

逆に言うと、同じ民族だからと言って親近感を持たない、ということだろう。

 

それを知ったとき、旅行中に見かけた、中国人のあの不思議なふるまいが腑に落ちた。血縁関係の無い中国人は、同じ中国人と言えど赤の他人だったのである。

他に血縁ネットワークを重視する民族はユダヤ人だそうである。

 

追記

 

・ 今のところ中国人旅行者の大部分は団体旅行者である。なので観光地で見かける旅行者は団体旅行者が多いだろう。観光地で見かけるほど、安宿に中国人がいないのは、個人旅行は高くつくので、ある程度のお金持ちしか、個人旅行はまだ行けないからだ。インドのコルカタの安宿で出会った若い女の中国人ははつらつとしていて、身なりも私より良かった。

 

・ 以前ブログに書いたかもしれないが、日本人宿はほとんど今は消滅している。なぜなら

1 日本人旅行者に頼らなくても、ホテル検索サイトに出せば、世界中の客を対象にできるようになった。

2 日本が経済先進国から脱落したので、つまりお金持ちでなくなったので、かつ外国に興味を持つ日本人が減ったので、日本人旅行者の数が減って、それだけでは宿を維持できなくなった。

 

今でも存在する有名日本人宿は、私の知る範囲では

インドのサンタナ、ここはバラナシやプリ、コルカタニューデリーなど何軒かある。やり手のインド人が経営する、客はほぼ日本人だけの宿。

エジプトのカイロにあるSafari Guesthouse。エジプト人が経営する、今でもまだ客の半分ほどが日本人の宿。

グアテマラのシェラ(ケツァルテナンゴ)にある、中南米を旅行する日本人には非常に有名なタカハウス。とても親切な日本人が経営するほぼ日本人だけが客の宿。

 

旅行の目的は人それぞれである。なので日本人宿を利用するか、しないかは目的によってそれぞれだろう。ただ、世界を見てみたい、と思っている人が、日本人宿を多用するのはせっかくの機会を逃してもったいないと思う。