imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ コーヒーを憎み、コーヒーを愛し 2023年10月

私はコーヒー依存症である。カフェインの依存症だと思うが、カフェイン含有飲料である紅茶や緑茶には反応しない。なのでコーヒー依存症なのだろう。

 

私は常々、死ぬときはコーヒー豆に埋もれて死にたい、と願っている。窒息死って苦しいんだろうなぁ、とは思うのだが。

 

さて、私は朝コーヒーを飲まないと落ち着かない。というよりも何もやる気が出ない。必需品である。

毎日自分で豆を挽いて飲み始めてもう30年近くになる。体中コーヒーに漬かっている気分である。

 

私はコーヒーを午後に飲むと寝つきが悪くなる。午前中に2杯飲んでも同じことが起こる。なので朝起きた時にコーヒーを1杯だけ飲む。そのあとは我慢している。

10年前に5年間外国旅行をしたときも苦労してコーヒー豆を仕入れて毎日飲んでいた。このバカげた習慣が無ければどんなに毎日が自由になるだろう、もっと有意義な時間を作れるだろう、と自分のコーヒー嗜好を恨んだ。

何度か止めようとしたことがあったが、我慢出来て1日であった。2日目には何とも力が入らずに何も手につかない。時間が無駄に過ぎるので、我慢できずに飲んでしまう。

 

だから最近までコーヒーのイメージは、やめたくてもやめられない負のイメージであった。

 

さて、私の毎日は、朝コーヒーが飲めることを楽しみにして起きる。夜寝るときは、明日のコーヒーが飲めることを楽しみにして寝る。

逆に言うと、コーヒーが無ければ私は朝起きないだろうし、明日のコーヒーの楽しみが無ければ夜寝る気にならないだろう。極端に聞こえるかもしれないが、これが私の実感である。朝に目覚めた時、さあ、コーヒー飲もう、とウキウキしながらいつも起きてきたのである。

 

ということを明白に意識した時、私はコーヒーに感謝したのだ。

私がいつもウキウキしながら朝起きられるのはコーヒーのお陰なのである。夜ウキウキした気持ちで布団に入れるのもコーヒーのお陰なのである。多かれ少なかれストレスのあった外国旅行で楽しい気持にさせてくれたのもコーヒーであった。見知らぬ街の見知らぬ宿屋の朝の共用スペースで穏やかな時間を過ごせたのもコーヒーのお陰であった。

素晴らしい人生を導いて来てくれたのが、実はコーヒーだったのである。

 

追記

 

少しウンチクを垂れると、カフェインは窒素Nを含んだ、植物が作り出した毒素だ。同じ毒素でもタンニンは窒素Nを含まず、炭素Cと水素Hと酸素Oで出来ている。

CとHとOは水と空気から入手できるので、生成するのにあまりコストがかからない。対してNは地中にいる菌類から得るので貴重である。

故に多くの植物は動物から身を守るためにタンニンを生成して武装しているが、カフェインで武装している種は少ない。

コーヒーは高い代価を支払ってカフェインで武装している数少ない種である。

人間は仕方のない生き物で、その毒を加工して嗜好品として楽しんでいる。コーヒーとしては予想外の展開だ。

 

有名な話だが、地球が寒冷化して森林が減少し食料が乏しくなった時、ヒトはチンパンジーとの競争に負けて森林からサバンナに出て行った。チンパンジーはタンニン分解酵素を持っていて、果実の他に新芽を食べることが出来たが、ヒトはそれを持ってなかったので、果実しか利用できなかったのである。

今となっては、加工して茶葉を作り、タンニンを楽しんでいるのだが。