私はたぶんカフェイン依存症だと思う。朝起きた時に、コーヒーを飲まなければすべてが手につかない。幸いなことに、午後からコーヒーを飲むと夜に寝られなくなるので、1日1杯に納まっている。
10年以上カリタ ナイスカットミルという電動のミルを使ってきた。それまでは手挽きだったので、このミルで十分に満足していた。
それまでも気になっていたけれど、先日ふと挽いた粉を見ると、粗めに挽いたはずなのに、粒子の細かい、まさに粉がかなり目についた。
なんじゃ、こりゃ、と思ったのである。これでは粗く挽いた意味がない。
で、意を決して、みるっこを買ったのだ。
早速試してみたが、まず驚いたのが、粒度の均質なことである。今まで見たことのない粒の揃いようだ。ここまでとは思わなかった。
そこで次の段階である。買う前に一番気になっていたのは、果たして粒度の均質性はどの程度味に影響を与えるのか、だった。たいして与えない可能性も予想された。しかしそれはあくまで予想である。結果は分からない。
で、考えたのだ。今買わなければ、これからもずっと、つまり10年も20年も、この可能性のことを考え続けるに違いない、と。
それは人生の時間の無駄である。
さっそく粒度の揃った粉でコーヒーを淹れてみた。味に雑味が無かった。クリアーなのだ。今までと全く同じ淹れ方をしたのだけれど、全く違う味になった。たぶん粉から出る雑味が無くなったのだと思う。
味はすごく美味しいという訳ではない。今後、粒の大きさ・抽出時間などを調整して、自分好みの味に近づけていくことになる。それも楽しい作業になりそうだ。
今回の選択は当たりだった。当たり前だけれど、すべての選択が当たりになる訳はない。それぞれの選択は独立事象ではあるけれど、人生全体で見れば、当たれば当たるほど今後外れる可能性が増える。
つまり今回は当たりを素直に喜び、今後外れた時は、次回当たる確率が上がった、とまた喜べばいいと思う。
外れた選択肢についても、その時私が持っている全情報を駆使して最適な選択をしたのである。つまり必然だった。であるならば、通常程度のハズレであれば、運命として受け入れ、そのこと自体を楽しめればいい、と思う。
片腕や片足が無くなったとき、そう思えるかは不明だが。