本を読もうと思っても、どうも気が乗らないときや、あれこれと理由をつけて先延ばしにすることがよくある。
どうして読書することがこんなに面倒臭く思うのだろう、と考えると、以下の理由に至った。
ここでの対象は、評論や自然科学、社会科学関連の書籍についてである。小説やエッセイは含まない。小説やエッセイを読むのが面倒臭いのは、ただその物語がつまらないからであろう。
読書とは以下の作業をすることだと思う。
1 内容を要約して、著者の言いたいことを理解する。もう少し具体的に言うと、論理構造を抽出して、理解する。
次に
2 理解したことを抽象化したあと、自分の知識に合うように変形して統合する。
で、何が不便かといって、内容を要約するのが面倒臭いのである。著者にはもちろん目的があっていろいろ書いているのだろうが、何故こんなにごちゃごちゃと書いてあるのだろう、と思う。
時々おバカな読者の為に実践してくれている書籍があるが、章の始まりか終わりに、要約なりまとめを書いてほしいのである。
骨子のほかにいろいろと書いてあるのは、著者のこだわりである。もしくは読者の便宜を図ってのことである。
それが個性であり、親切心だから、書いてもらってもいいのだが、要約が欲しい。
うーん、こんなことを思うのは私が年を取って読解力が落ちてきた、または根気が無くなってきたからか。しかし切実に思うのである。
補足
前後が緊密につながっていて、端折れない書籍がもちろんある。例えば橋本大三郎氏の書いたものはそうだと思う。