imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

読書するときに感じる不便 2022年10月

本を読もうと思っても、どうも気が乗らないときや、あれこれと理由をつけて先延ばしにすることがよくある。

どうして読書することがこんなに面倒臭く思うのだろう、と考えると、以下の理由に至った。

 

ここでの対象は、評論や自然科学、社会科学関連の書籍についてである。小説やエッセイは含まない。小説やエッセイを読むのが面倒臭いのは、ただその物語がつまらないからであろう。

 

読書とは以下の作業をすることだと思う。

1 内容を要約して、著者の言いたいことを理解する。もう少し具体的に言うと、論理構造を抽出して、理解する。

 

次に

2 理解したことを抽象化したあと、自分の知識に合うように変形して統合する。

 

で、何が不便かといって、内容を要約するのが面倒臭いのである。著者にはもちろん目的があっていろいろ書いているのだろうが、何故こんなにごちゃごちゃと書いてあるのだろう、と思う。

時々おバカな読者の為に実践してくれている書籍があるが、章の始まりか終わりに、要約なりまとめを書いてほしいのである。

骨子のほかにいろいろと書いてあるのは、著者のこだわりである。もしくは読者の便宜を図ってのことである。

それが個性であり、親切心だから、書いてもらってもいいのだが、要約が欲しい。

 

うーん、こんなことを思うのは私が年を取って読解力が落ちてきた、または根気が無くなってきたからか。しかし切実に思うのである。

 

補足

 

前後が緊密につながっていて、端折れない書籍がもちろんある。例えば橋本大三郎氏の書いたものはそうだと思う。