日本の報道機関が流すニュース見て思うことがある。
1 官邸記者クラブ 以前から言われていることだが、大手メディアの担当記者は官邸を批判できない。今でも続いているのか知らないが、安倍首相のときは、週に一回、首相を囲む会、という名目で、大手の新聞記者と首相が食事会をしていた。仲良くして、情報をいただこう、ということである。つまり大手新聞社の政治記事は、官邸の都合の悪いことが書けないのである。こういう人たちが書くニュースを真に受けるのはどうかしている。こういう人たちが書くニュースを判断の基準にするのはどうかしている。テレビの政治報道も同様である。テレビと新聞は系列でつながっているのだから。
2 外国のニュース 外国に関するニュースは話題になった時だけ報道されるが、それ以外はほとんど見かけない。今、エチオピアで紛争が起こっているが、断片的に報道されているだけである。新聞を読み比べているわけではないが、紛争に至る歴史を丁寧に解説することもしていないと思う。
BBC・ロイター・ニューヨークタイムズ・アルジャジーラなど多くの報道機関が、このところ毎日のように詳細にエチオピアのニュースを流している。
日本の報道を見ている限り、情報が少なすぎて、何が起こっているのか自分で判断できない。日本の報道を見ている限り、世界は、脈絡もなく、突発的に何かが起こっていつの間にか記憶から消えていく不可思議な対象でしかない。興味を喚起するのが難しい。
その理由をここでは考えないけれど、国民の外国への関心が薄い、から報道も力を入れないのだろう。力を入れないから報道がつまらないのだろう。
結果として、何が起こっているのか良く分からない、理解を超えた出来事が断続的に起こる不思議な世界のままだ。