imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

死ぬまで続く単調な日常は、人生に何を与えるか

子供のころ、おなかが減ったときに、どうしてその辺に転がっている石ころが食べれないのだろう、と不思議に思っていた。どうして数の少ない特定の物しか食べれないようになっているのか不思議だった。

 

二十歳前後の学生時代、毎日三度の食事をとるのがめんどくさかった。腹いっぱい食べたら、数日は食べなくて良いのではないかと、何度か試してみたが、必ず次の日には腹が減り、血糖値が下がり、体が震えるのだった。

 

1人暮らしを始めた貧乏生活で、毎日コインシャワーを利用していた。時間をかけてすごくきれいに髪の毛を洗ったら、しばらく洗わなくてもよいのではないか、とよく思った。もしそうならば、どれほど楽だろう、と。  しかしどれほどきれいに髪を洗っても、二日後にはべとついて気持ち悪くなった。

 

若い頃、部屋の掃除をしてる時、しばしば虚しくなった。どれだけきれいに掃除をしても、二日もすれば、床に埃が溜まってくる。この作業を永遠に繰り返さなければならない、と思うと、何ともやるせなくなった。

 

同じようなことは洗濯についても思った。一度だけ時間をかけて、すごくきれいに服を洗えば、二度と洗わなくて済むとしたら、丸一日かけても洗濯をし続けるだろう、と。しかし服を着続ける限り、必ず服は汚れていくのである。

 

健康オタクだったころ、ビタミンやミネラルの必要摂取量を調べて、毎日の食生活を組み立てたことがあった。その時に驚きと共に知ったことは、水溶性ビタミンの体での滞留時間がとても短いことだった。例えばビタミンCは摂取後3時間あたりで血漿中の濃度がピークになり、その後低下していく。つまり使われなかったビタミンCはただ尿から排出されるのである。24時間後はゼロである。水溶性であるビタミンB群も似たようなものだった。それを知ったとき、軽いショックを受けた。何故そんな不便なことになっているのかと。これでは毎日食べ続けなければならない。なぜこのような不便な進化をしたのか理解できなかった。

 

私たちは毎日同じことを繰り返さなければ、健康的な生活を送ることが出来ないし、生きていくことさえもできない。もちろんそのことに根源的な意味は無いだろう。たまたまそうなっているだけだ。

しかしこれからも同じことをして生きていかなければならない、ことを知ることは、人生に覚悟を与えると思う。

どれだけきれいに部屋を掃除しても、明日は必ず汚れているのである。そのことを知っていれば、むやみに力を入れて掃除をすることもなく、明日も同じことをするんだな、と思いながら、ただ淡々と掃除をするだけになる。

食べるときも同じである。明日もこうやって食べるんだろうな、明日からもこうやって、ずっと食べ続けていくんだろうな、と思いながら、いま穏やかな気持ちで食べるだけである。

 

永遠に続く日常は、人生をうんざりさせるのではなく、人生の覚悟を決めさせてくれると思う。そういうきっかけを与えてくれるものだと思う。