imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

今際の際の私 死の間際の私が、ありのままに生きるように今の私に要請する

10年以上前、あるインスピレーションを突然得た。それは、今の私は幻想で、本当の私はすでに臨終の床にあり、今まさに死のうとしている。そして今までの人生を振り返り、もっとこうしておけば良かった、もっとああしておけば良かったと、後悔の念にさいなまれている。もしもう一度人生をやり直すことが出来れば、と心の底から願っている。もし人生をやり直せるなら、こうして生きよう、と死の床の中で夢想して立ち現れてたのが、今の私なのだ、と。

 

それ以来、「今際の際の私は、今の私に満足しているか」としばしば彼に問いかけるようになった。今際の際の私が満足するような生き方を今の私はしているのか、と。

 

先日アウシュビッツから生還したクランクルの「夜と霧」が引用されている文章を読んだ。

曰く、私たちが、生きる意味があるか、と問うのは、はじめから誤っている、人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているのだ。

曰く、人生から何を期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかなのである。

 

これを読んだとき、私の得たインスピレーションがより分かりやすい形で表現されている、と思った。

 

この二つの表現を抽象化すれば、自分の見栄や損得から解放された地平に立って、ありのままの自分を表現できているか、と言うことになると思う。

 

まさに「イエス」と言えるようになりたい。