imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー 「狩人」テオ・アンゲロプロス監督1977年公開 2024年3月13日

3時間近くの映画である。簡単なあらすじは

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E4%BA%BA_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

凡そのあらすじは、1977年の新年を祝うために集まった名成り功遂げた6人の名士が大みそかに雪原で狩りをしているとき、1949年に死んだ共産党軍兵士の死体を見つける。その遺体を前に、過去に仲間を裏切り、あるいは政治対立者を非合法に殺した過去を6人がそれぞれ回想する。

翌日の元日にその遺体を再び雪原に埋め戻す。

 

回想シーンは1949年のギリシャ内戦の共産党敗北から、選挙で選ばれたパパンドレウ首相を国王が追放する1965年までである。

それはつまり視聴者にその期間のギリシャの歴史の学習を強いる。

 

簡単に歴史を記せば、

1924年に始まった第2共和政が1935年に王政に戻されたのち王政自体は1973年まで続く。その体制の中で、1946年から49年までのギリシャ内戦では共産党軍の敗退で終わる。以降良好な経済成長が続き、1965年、国王と首相の、軍に対する意見の相違から首相が辞任し政治が流動化、1967年に将校によるクーデターが発生、軍事政権が1974年まで続く。途中1973年、更なるクーデターにより王政が廃止され軍事独裁政権になるが、1974年に崩壊、選挙により1975年から第3次共和制が始まり、現在に至る。

 

つまり映画が撮影されたのは7年間の軍事政権が終わって間もない頃である。今から振り返れば、共和政が存続することを知っているが、当時はクーデターの再来は大きな懸念だったろう。そのためにも国民を啓蒙しておきたい気持ちが監督にはあったと思う。多くの国民が軍事政権を拒否すれば、クーデターは失敗するからである。

 

そういう意味でこの映画は、まず国民向けに作られたと思う。ギリシャの細かな現代史が外国人に興味を惹く内容とは思えない。

 

もう少し映画内容に立ち入ると、

 

6人の狩人たちは共産党員への裏切りや非合法行為によって今の地位を手に入れた。別の言い方をすれば、人権弾圧の政権に加担することで今の地位を築いた。

「民主主義の選挙で選ばれた政治家など碌なことはしない、軍事政権が良かった」と映画の冒頭で主人公の一人の実業家が言っている。

ところが1975年に共和制になったとたん、私はずっと民主主義者でした、と豹変する。主人公の一人で政治家のパパンドレウは「今までもずっと民主主義者だった」と遺体の前で言ったが、他の狩人たちに上着を脱がせられると、過去の裏切りが姿を現す。

監督は、こういう人たちにも気を付けよう、と国民に呼びかけてもいるだろう。



監督には外国政府、ここではアメリカの意を汲んで、もしくは直接に外国から指導されて自己利益の為に国民を不幸にした人たちに対する怒りがある。ギリシャを不幸にした敵は外国だけではなく、身内にもいたのだ、という怒り、告発。

 

これが監督の主題だと思う。題名の「狩人」は共産主義者、民主主義者をハントする、という意味だろう。

 

私の感想

監督の意識は国内に向けられていて、全く外国に向いてないと思う。外国に向く、とは、より抽象化が出来て、外国でも応用可能な見方が出来る、という意味である。

確かに外国にも売国奴日和見主義者や、、、がいるだろうが、それも表現するためにこの長尺の映画を撮ったとは思えない。

監督はこの2年前に「旅芸人の記録」を公開して世界的に評価された。にもかかわらず意識している観客はギリシャ人なのである。

固有性を突き詰めると普遍性に通じる、ということはあるけれど、監督はそれを狙ってない。監督の興味の中心は相変らず国内の民主主義の擁立、ギリシャ愛国だと思う。

 

今後つまり1977年以降、ギリシャの民主主義政権が安定すれば監督の興味がどう移っていくのかが楽しみである。

 

監督が前提にしていた資本主義と共産主義の経済・政治での対立は、今となってはそれ自体は時代遅れになってしまった。私たちはこの前提で映画を観れない。

私がこの映画を観ると、共産党のほうが共同体意識が強いように感じるが、その前提もなかったのだろう。弱者だったから、追い詰められていたから共同体に頼るしかなかった。





追記

 

  • 6人の狩人の一人に政治家のパパンドレウがいるが、彼の父親はゲオルギオス・パパンドレウで、3期首相を務めた。モデルとなった当人アンドレアス・パパンドレウはこの後つまり1977年以降、2期首相を務める。その息子ゲオルギオス・パパンドレウは2009年に首相になり、隠された莫大な政府債務を公表してギリシャ債務危機、更にはユーロ危機を引き起こし有名になった。

 

  • 1972年公開の同監督「1936年の日々」を観た。監督が初めて書いた長編映画の脚本である。

あらすじは、労働党の議員が演説中に射殺、犯人の身代わりになった保守党お抱えスパイが投獄され、口封じの為に獄中で射殺される。

 

製作当時の軍事政権批判である。まだ脚本に慣れてなかったのか、当時の軍事政権への怒りが強かったからか、内容が単調でつまらない。

 

ここでも監督の主題は、反民主主義への怒りとギリシャ愛国である。より抽象的なものへの志向は感じられない。

エッセイ 中国人の不思議 2024年3月6日

私は2014年から19年まで外国旅行をしていた。その時々に中国人旅行者にあったが、彼らにはひとつの特徴があった。

 

外国を旅行していると、何となく心細いものである。ひとり旅行ではなおさらだろう。気置きなく自国の言葉で、自国の常識で気軽に話したくなる。

フランス人もフランス人旅行者を見かけると親しげに話しかける。ドイツ人もそうであった。韓国人も、そしてもちろん日本人もそうであった。

 

外国にはかつて日本人宿という宿泊施設があった。オーナーは日本人のことも、外国人のこともあるが、ほぼ日本人だけが客として利用していた。

 

なぜ日本人宿が存在するかというと、まずは言葉の壁がある。英語をうまく喋れない人が多いので、出来れば日本語で情報交換をしたい。日本語でまったりと喋りたい。とにかく日本語だと、流れるように話せるので楽なのである。外国語だと一つ一つの会話にも緊張を強いられる。

次に常識の壁がある。日本人宿だと、日本の常識が通用するのだ。話の内容はもちろん、トイレも洗面台もベッドも日本の常識を信じてよい。便座を倒したまま男が小用を足すことはないし、共用トイレに裸足で行って、そのまま部屋に戻ってベッドに上がることもない。靴を履いたままベッドに上がることもないだろう。トイレに便座がないということもない。不潔さに神経をすり減らす必要が無いのだ。

 

日本人宿の他に、韓国人宿もあるし、アマゾン川のイキトスという町ではLa Casa Del Frances という宿に泊まったことがあるが、もともとはフランス人宿だったと思う。

 

さて中国人である。中国人旅行者は、同じ中国人旅行者を見てもまったく知らぬ顔なのである。始めのうちは、たまたまそういう人なのか、と思っていたが、同じことが続くので、その理由を考えてみた。

アジアでは中国人旅行者が多い。そもそも母数が大きいので、1%が旅行に出掛けたとしてもかなりの数になる。なのでしばしば顔を合わせるので、いちいち話しかける気持ちにならないのではないか。

と思っていたが、中央アジアやアフリカなど中国人をあまり見ない国々でも、中国人はお互いに知らぬ顔なのである。

 

結局、とりあえずの結論として、個人主義の国なのかな、ということになった。

 

帰国後、中国人の、正確に言えば漢民族の民族性について知る機会があった。

彼らは血縁ネットワークを重視する文化で、血縁関係さえあれば、全く知らない人でももてなし、それが世界各地のネットワークとしてつながり、商売に有利に働く、ということであった。顔も見たことのない若者が訪ねてきても、血縁者であれば面倒を見るのである。

逆に言うと、同じ民族だからと言って親近感を持たない、ということだろう。

 

それを知ったとき、旅行中に見かけた、中国人のあの不思議なふるまいが腑に落ちた。血縁関係の無い中国人は、同じ中国人と言えど赤の他人だったのである。

他に血縁ネットワークを重視する民族はユダヤ人だそうである。

 

追記

 

・ 今のところ中国人旅行者の大部分は団体旅行者である。なので観光地で見かける旅行者は団体旅行者が多いだろう。観光地で見かけるほど、安宿に中国人がいないのは、個人旅行は高くつくので、ある程度のお金持ちしか、個人旅行はまだ行けないからだ。インドのコルカタの安宿で出会った若い女の中国人ははつらつとしていて、身なりも私より良かった。

 

・ 以前ブログに書いたかもしれないが、日本人宿はほとんど今は消滅している。なぜなら

1 日本人旅行者に頼らなくても、ホテル検索サイトに出せば、世界中の客を対象にできるようになった。

2 日本が経済先進国から脱落したので、つまりお金持ちでなくなったので、かつ外国に興味を持つ日本人が減ったので、日本人旅行者の数が減って、それだけでは宿を維持できなくなった。

 

今でも存在する有名日本人宿は、私の知る範囲では

インドのサンタナ、ここはバラナシやプリ、コルカタニューデリーなど何軒かある。やり手のインド人が経営する、客はほぼ日本人だけの宿。

エジプトのカイロにあるSafari Guesthouse。エジプト人が経営する、今でもまだ客の半分ほどが日本人の宿。

グアテマラのシェラ(ケツァルテナンゴ)にある、中南米を旅行する日本人には非常に有名なタカハウス。とても親切な日本人が経営するほぼ日本人だけが客の宿。

 

旅行の目的は人それぞれである。なので日本人宿を利用するか、しないかは目的によってそれぞれだろう。ただ、世界を見てみたい、と思っている人が、日本人宿を多用するのはせっかくの機会を逃してもったいないと思う。



映画評 レビュー 「再現」テオ・アンゲロプロス監督1970年公開 2024年3月1日

監督初の長編映画である。

 

あらすじ

 

アルバニア国境近くのギリシャの山間の村で、夫がドイツに出稼ぎ中に、妻が村の農場警備員と浮気をする。帰宅した夫と偶然に鉢合わせ、2人で夫を殺し、遺体を埋める。

夫の行方不明が噂になり、警察が予断を持って事件を構成し、村人はうわさ話をする。

 

時系列に書くと以上であるが、この監督の特徴である時間軸の前後の移動がある。

この話は実話に基づいており、かつギリシャ神話をなぞらえてもいる。

 

殺人自体の描写はない。つまり2人のどちらがどのような役割を負ったかは不明である。つまりそこは重要ではない、ということだ。



ギリシャ神話になぞらえているようだが、どこをどの様にかは私には不明である。不倫、不貞の妻殺し、近親相姦、親子殺し、ギリシャ神話には考えられるすべての関係がある。

監督にとってギリシャ神話は同監督の他の映画と同じく、物語の前口上に過ぎないと思う。



舞台は絵に描いたように美しい村である。地震が少ないのだろう、家壁、塀のすべてが、スレートの石を積み上げて作られている。この映画が白黒映像なのは、表情を印象付ける以外に、スレート積みの横線を強調するためだと思う。こんな集落がまだ残っているのなら是非行ってみたい。

石灰岩が侵食された切り立った山間も美しい。樹木が少なく山肌が美しい。

大水が出ないのだろう、河川敷に大木が疎林で生えていて、明るく開放的である。雪解け水なのか、水量も豊かである。

 

この美しい風景に反比例して人々の暮らしは貧しい。生活の糧は、斜面を利用した狭い畑と、果樹、そしてヤギの放牧ぐらいだろう。石灰岩地形なので土地は痩せている。多くの人が出稼ぎに行き、若者は村を捨てていく。

「昔はまだましだった」と村人が言ったが、近代化に取り残されて、若者が都市に出稼ぎに出てしまうのだろう。舞台の設定は、公開時と同じ1970年だ。高度成長が続いた日本でも、集団就職で「3ちゃん農業」という言葉がはやった。近代化は過疎化を促進したのである。

 

そして村人たちの共同体偏重志向、似た言葉を使えば封建性がある。この映画で主体的に行動しているのは妻だけである。軽食屋を営み、3人の子供を育て、夫を殺した後の始末も率先して引き受けている。結局は罪のすべてをかぶる。

それに対して共犯の警備員は可能な限り罪を負うことから逃げる。妻の兄が事情を聴きに来た時、妻に言った言葉、「大変なことをしてくれた」は妻本人ではなく家の名誉、つまり自分のことを一番に考えている。そして妻が逮捕されたとき、村の女たちが駆け寄り「人殺し」と妻に襲い掛かる。掟破りの制裁だろうか。

 

つまり監督が表現したいのは、景色こそ美しいが、主体性のない人達が、貧しいまま生きている、という日常だ。これは監督のギリシャ批判である。監督は1975年「旅芸人の記録」で、外国に翻弄された現代ギリシャを嘆いたが、その5年前の本作では、ギリシャ人自身の主体性の無さを批判しているのだ。ギリシャの後進性、貧しさについて外国、特にイギリスに原因があるが、ギリシャ人にもその責任があるのだとその矛先を向けている。

 

これとは別の主題がある可能性もある。

「浮気な妻は殺すしかない、でないとこちらが殺される」と村人が言ったように、現場で夫と鉢合わせてしまった妻は、殺される前に、自己防衛として警備員と一緒にやむなく殺したのだろう。警察はそのことを重々知っているにもかかわらず、警察が作ったストーリーに合わせて2人に自供を強いている。妻が判事に突然掴みかかったのはその怒りが爆発したからだ。

 

この作品が作られたのは、1967年から1974年の、クーデターで成立した軍事独裁政権の時代だ。政党を解散させ、共産党を非合法化した。反体制派の国外追放、投獄、拷問が日常だったようだ。この時はアメリカが政権を支援した。

独裁政権が自分の都合よくストーリーを組み立てて、反体制派を逮捕、投獄した。それへの批判と考えられる。

 

映画の日本の題は「再現」で、英語では「Reconstruction」(再構成)で、原題のギリシャ語では「Αναπαράσταση」で、グーグル翻訳で見ると、(表現)になっている。

では何を再現、再構成するのか、といえば、

1 本当にあった事件の内容を映画で再現する

2 もしくは映画の中で起こった殺人事件を警察が再現する、かのどちらかだろう。

もうひとつギリシャ神話を再現することも考えられるが、これはあり得ない。

上記の考察から、「再現」とは、警察のでっち上げを意味しているだろう。

 

だとしたらこの映画の主眼は、軍事独裁政権による反体制派へのでっち上げの逮捕批判で、別の読み方として、ギリシャの人々の後進性批判も用意されているのだと思う。

 

この監督の最初期の作品に見られるのは、反権力とギリシャ愛国だ。「再現」以降の作品もこれらがテーマになる可能性が高い。

 

同監督の「旅芸人の記録」の映画評はこちら

 

https://imakokoparadise.blog.jp/archives/24409556.html

 

追記

 

・ 主人公の妻を演じたトゥーラ スタソポロウはこれが映画デビュー作で1970年のテッサロニキ映画祭で最優秀助演女優賞を獲得している。なぜ助演なのか不明である。どう見ても主演女優だが。どっしりとした覚悟の決まった人物を演じている。当時38歳での受賞であった。2006年没。

 

アメリカがギリシャを重視したのは、ユーゴスラビアブルガリア共産国と接しているからだ。事情は韓国と同じく、共産圏の防波堤として重視した、ということになっている。

共産圏と接して無くても介入したと私は思うが。

 

・ この集落は丘の上にある。なぜ水の利便性の悪い丘の上に家を建てたのだろう。毎日の水くみが大変だったろう。谷間は冬の雪が深かったのかもしれない。もしくは深く浸食した川が急斜面を作っていて、川の近くに平地を確保できなかったのかもしれない。いずれにしても条件の悪い居住地だ。

外国旅行をしていると、たまにこんな集落を見かける。

エッセイ メモ魔 2024年2月24日

私はメモ魔である。なぜならすぐ忘れてしまうからだ。

 

というのが今まで周囲にしてきた説明である。が、実はもう少し奥行きがある。

 

私は2つのことが同時にできない。するのが難しい。2つのタスクを覚えておく、かつ並列に処理するのが難しいのである。ひとつのことに気をとられていると、ほぼ必ずもう一つのことを忘れてしまうのだ。

この癖を知っているものだから、一つのタスクを実行しているとき、頭の中で、えーっと、他にも何かすることがなかったっけ、と思いながらそのタスクを実行している。当然そのタスクの効率は落ちてしまう。気もそぞろで実行しているのだから。

覚えておくタスクが3つあるともうお手上げである。頭の中がぐちゃぐちゃなのだ。

 

そういう事態を避けるために、私はすぐにメモを取ることにしている。

 

次に挙げる私の癖は、上記の話とは関係ないように思うかもしれないが、

 

調理の時、私はすぐに量る癖がある。とにかく量る。目分量が嫌いである。意識上の理由は、目分量だと味の再現可能性が失われるからだ。が、心の奥ではこうなっていると思う。目分量で量るとき、このぐらいか、もう少しか、と迷う時間が嫌なのである。そんなことに時間をかけるのなら、さっさと量って、別のことに集中したいのだ。

調理とは、小さなタスクが集まった複雑な一つのタスクである。これをしながら、あれもやって、と言うように。

 

2つのことが同時にできない私には、調理はとてもハードルの高いタスクである。量るという行為は、タスクの複雑さを少し減らす行為なのだ。だから量るのだと思う。

 

以上、上記2つのことを合わせて考えると、以下のようになると思う。

 

人は自分の情報処理能力に応じて外部情報を処理する。処理能力を超えるとフリーズしてしまう。

処理能力を超えた情報を扱う時は外部装置を使うしかない。それは人でもモノでもいいだろう。

で、私はそれを実践しているのである。より実感に沿った表現をすれば、円滑な社会生活を送るためには、そうせざるを得ないのである。

 

より抽象化すれば、認知コストを下げる為に、外部装置を使う、ということになると思う。

 

認知コストの高い人は、下げれるところで下げるしかない。

思い付き 仮説 英米の繁栄はEUのお陰か 2024年2月23日

思い付いたのだが、仮説にまでなっていない。その根気がない。

 

英米の自由市場重視主義、リバータリアニズム、小さな政府指向、とEUの共同体重視、コミュニタリアニズム、どちらかと言えば大きな政府指向は、経済、社会における両者の対立軸になっている。

 

もし世界中が、英米の自由市場重視主義になったら、つまり可能な限り自由競争を進め、政府は可能な限りそこに介入しない、貧富の格差はある程度放置する、となったら、英米の儲けは今より減るのではないかと思う。

 

というのも、今のEUは多めの課税をかけて、自由競争を少し抑え、共同体にお金を分配して、どちらかというと共同体を大切にしている。簡単に言えば、英米より少し効率の悪い経済体制になっている。

 

本来ならEUは域内経済を守るために関税を高くしたいところだが、英米主導のグローバリズムの流れの中で、表向きそれが出来ない。また自らもグローバリズムのお陰で世界から利益を得ている。

 

結果、経済効率の少し悪いEUの富が少しずつ英米に流れ出している。

 

というのが、今回の思い付きである。

エッセイ 牛車と馬車 雑感 2024年2月21日

先日 「ピータールー」という映画を観た。その中でロンドンからマンチェスターにやって来た弁士は馬車に乗っていた。

そういえば 日本では特権階級が乗る馬車というものがないなと思った。

 

ここでは人を運ぶことを目的とした日本の乗り物について考える。荷物を運ぶ馬車は、馬借という職業をはじめ、古くから日常にあった。

 

日本には乗り物として牛車があった。よく知られているのは御所車である。御所車に限らず、牛車は長距離の移動には使われなかった。なぜなら牛は歩くことを常とする生き物ではないからだろう。長時間歩き続けることが出来ない。もちろん馬に比べて速くもない。御所車も御所周辺の移動にしか使われていない。



「ベンハー」の映画でおなじみの、戦車としての馬車は古代ローマ時代には既に使われていた。中世、近代を通してヨーロッパの特権階級は長距離移動に馬車を使い続けた。

 

なぜ日本では使われなかったのだろう。

 

路面を平らにならすのが手間だったのか。

山がちなので、馬車道を作るのが難しかったのか。

江戸時代では特権階級の長距離移動が大名行列を除いて稀だったのか。もちろん大名行列に馬車を使うと、御付きの者が付いていけない。

幕府の官僚たちが諸藩の見回りで長距離を移動したはずだが、馬車は使われなかった。官僚もまた武士だったので、日常的に心身を鍛え、乗馬の心得があって当然だったからか。またそれが奨励されていたからか。

(中国の清の時代には馬車は特権階級の長距離移動の手段として日常だった。中国は階級制度が無かったので、科挙に合格さえすれば誰でも官僚になれた。その多くは農民だった。武官ではなく、文官だったのである。)

徳川幕府としては、川に橋を掛けさせないのと同様に、防犯上、早く移動できる道を作らせない政策だったのか。

 

たぶん上のどれもが合わさって馬車の存在を不可能にしたのだと思う。

 

大阪夏の陣以降、江戸時代は末期まで戦争が無かったが、徳川幕府が早期に倒れ、幾つかの大藩が合従連合しながら相い争う時代が続いていれば、大砲を迅速に移動させるために道路の整備がなされただろう。主要道に平坦な道路が走り、結果、馬車の登場を促したと思う。

ただ19世紀に入っても統一国家が出来ていなければ、アメリカ、アジア、アフリカの多くの国が辿った歴史、つまり対立するそれぞれの国内勢力に外国が支援し、まず国民同士で戦わせ、戦力を使い果たしたところで、外国が乗り出して植民地にする、という歴史をたどったことだろう。

 

とはいえ、もし近代日本で戦争状態が続いていたら、日本の攻城戦法や築城思想や戦闘術や大砲や銃が発展していたことだろう。平安な江戸時代、これらの技術はほとんど進化しなかった。結果、世界に大きく後れを取った。

 

とはいえしかし、戦争が無かったお陰で、人は死なず、平安が続き、善政が続いた。江戸時代の平安は、現代の日本人のメンタリティーに大きな影響を与えていると思う。



追記

 

  • 文人である高位聖職者や、武士とはいえ、防犯上の理由も含めて藩主の移動には、駕篭という、人が担ぐ乗り物が使われた。つまり薩摩藩の殿様は、海路を除いて、人が江戸まで担いだのである。ヨーロッパ人が聞けば遅さと狭さにドン引きである。

 

  • 明治以降は日本でも馬車が使われるようになった。1869年(明治2年)には東京と横浜間を乗合馬車が走り始めた。これはバスの前身である。 沖縄では、1914年∼44年に馬車が馬車鉄道として使われたが、蒸気機関車の代わりに、貨車や客車を曳く動力に馬を使っている。 列車の前身である。もともとはサトウキビの輸送として計画された。1888年に開通した小田原馬車鉄道などもある。

なお、外国ではタクシーの前身は辻馬車、列車の前身に駅馬車があったようだ。

 

いずれも動力機関の発明、発達によって消滅した。

 

  • 以前、姥捨て伝説がある長野県川上村で、高原野菜の出荷のアルバイトをしたことがあるが、内燃動力が普及するまでは荷役として馬を使っていたそうである。使えなくなった馬は食べたのか、と聞くと、とんでもない、という顔をされた。殺せないので、山へ放しに行った、そうである。

ユダヤ人の歴史を思う 長大な叙事詩としてのユダヤ民族 2024年2月19日

イスラエルのガラント国防大臣が以下のように言っている。2月16日付のAP通信より

 

イスラエル軍はガザのナサール病院で70人の「過激派容疑者」を逮捕した。そのうち20人は10月7日の攻撃に参加した可能性がある。

また、国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)で働く12%にあたる1500人がハマス、またはイスラム ジハード グループに属し、うち230人が軍事部門に所属している。

 

それに対してUNRWAは、労働者の名前を定期的にイスラエルに報告している、と答えた。

 

https://apnews.com/article/israel-hamas-war-news-02-16-2024-21e09d731eb09f95bfea8e0ce3c0500c

 

イスラエルの主張によって、アメリカをはじめとした国々がUNRWAへの資金供与を停止している。

イスラエルは数週間前にも、病院を急襲し、入院中のハマス兵士を3人射殺している。(2人は兵士ではなかったかも)これはもちろん国際法違反である。

 

以下私が思うこと。

 

イスラエルは戦争当事国である。イスラエルの主張は当然イスラエルに有利な内容になっている。誇張や嘘が混じっている可能性が十分にある。

本来ならもう片方の当事”国”に確認する必要がある。しかしその地方政府であるハマスイスラエルの攻撃対象にされていて、調査能力はないだろう。掃討作戦の対象になっているのである。居場所が分かれば攻撃されるだろう。

ハマスの保健省が死亡者数を発表しているが、どのように組織が機能しているか私には分からない)

つまりイスラエルの言いたい放題である。かつアメリカをはじめとした支援国がそれを事実のように扱う。

 

防大臣が挙げた上記の数字も信憑性は定かではない。10月7日のテロを起こすまでは、ハマスはガザの政権政党だったのだから、公的機関や準公的機関で党員、支持者が働いていても何の不思議もない。だからUNRWAで多くの党員が働いていて、当たり前だろう。ガザは失業率が異常に高い。UNRWAは数少ない安定した雇用だったろう。有力な人たちの雇用が多いのは不思議ではない。

 

以上は前置きで、以下が私の実感である。

 

ユダヤ教徒は苦難の歴史を生きてきた。そして数千年に渡って差別、抑圧されながらも存続し続けてきたのである。多くの悲惨な経験をしてきたと思うが、19世紀後半からの東欧、ロシアでのポグロムは悲惨である。ただただ略奪、強姦、虐殺の対象になってきた。それに対するユダヤ人の反応は心痛いものだ。ロシアや東欧の人達の中に”幻想”の味方を見つけて、安心しようとしたのである。

 

そして今回のガザ戦争である。これだけのことをして、戦後、国際社会が、人々が、何事もなかったかのようにイスラエルを受け入れるとはとても思えない。存続可能性の基盤が失われつつあると思う。

数千年に渡って知恵を使って存続してきた民族が、僅か80年前に現在の地に念願の国を作ったとたん、それまで関係の悪くなかったアラブ人とのいさかいを抱え、ついには全く正当性のない大規模な戦争まで起こしてしまい、自らの存続を脅かしている。

 

ヒトという生き物の本質を見せつけられているような気持になる。



追記

 

病院でイスラエル軍に逮捕された人々は、ハマスの指揮系統や地下トンネルの情報を持っている可能性がある。今までに捕まった捕虜同様、これから拷問を含めた厳しい取り調べがあるだろう。

エッセイ ホテル検索サイトとその評価 2024年2月16日

外国を旅行しているとき、ある日本人旅行者が、ホテルに高評価を付ける代わりに、ホテル代を安くしてもらいましたよ、と言っていた。

私も何度かホテルから言われたことがあるし、現場を目撃したこともある。ホテルの壁に張り出してあるのを見たこともある。「高評価をつけてくれたら割引します」

 

大きなホテルでそんな話は聞いたことがない。小さなアットホームなホテルで起こる。ホテルのオーナーか、マネージャーが、宿泊者と仲良くなって、無料で食事を提供したり、一緒に出掛けたりする。で、出発するころにそれとなく切り出す。その時点ですでに仲良くなっているので、宿泊者は断りにくくなっている。

経験的に言えば、そのような客はもともとホテルになめられているのだが。

 

小さなホステルでもホテル検索サイトに登録できる。ハンガリーで予約して現地に行くと、ただの民家だったことがあって驚いたことがある。つまり大きなホテルと横並びで小さなホテルも表示される。判断の基準は、ロケーション、館内の写真、備品、口コミあたりだろう。つまり口コミは非常に大切である。その大切な口コミを僅かな金で買えるのである。

 

以上はホテル側からの視点である。では宿泊者、つまり旅行者からの視点ではどうか。

 

取引に応じれば、僅かだが、おいしい思いをすることが出来る。しかしその旅行者は、ホテル検索サイトの口コミを以降あてにしなくなるだろう。

 

他の旅行者にとってはどういう意味を持つか。口コミという、滞在した者にしか分からない貴重な情報が毀損されて、役に立たなくなっている。信じられなくなっている。口コミを信じて行ってみると、えっ、ということになる。

 

取引に応じる旅行者についてもう少し考えると、なぜ僅かな利益の為に他の旅行者を騙すことを是とするかというと、他の旅行者を旅行者仲間と思わないからだろう。旅行をしていろいろ苦労すると、他の旅行者を見ると同じ苦労をしている者同士、自然と仲間意識が生じる。それが生じないのだ。共感することが苦手な人たちなのである。程度の差はあれ、そのような人は学校でも、職場でも、趣味の会にでもいる。それが旅行中に生じているだけだ、ともいえる。

 

検索サイトについてもう少し抽象化すると、ホテルに限らず、病院や商品でも同じことが起こっている。商品については、ある程度の時間をかけて見る側にリテラシーが付いてきているので、そのまま口コミを信じる人は少ないだろう。今後、病院やホテルでも同じことが起こるはずだ。もう起こっているか。

世の中には、一定の割合で、損得勘定で口コミを書く人がいる。もうそれは避けようがない。外国のホテルの評価を日本語で書かれたのを見ると、同じ日本人という仲間意識が生じて、まさか日本人が日本人を騙さないだろう、と思ってしまうが、そういう前提はもうない。

だとしたら、すべての評価は、そのような人たちの存在を前提にして見なければならないだろう。簡単に言えば、身の回りのすべてにリテラシーをつけよう、ということだ。

抽象的に言えば、因果関係を一つ過去にさかのぼって、過去の視点で今を見て、今の認識を変える、ということである。

災害時のボランティアの自粛について 2024年2月13日

日本のニュースをほとんど見ないので、今、何が話題になっているかほとんど知らないが、昨日ユーチューブにこんな動画が上がっていた。

 

https://www.youtube.com/live/R7twuSC3ewY?si=0T8daccVrjHAsd6s

 

中森明夫氏の話である。長尺の動画で私が見たのは10分あたりからの部分だ。

今回の能登地震で、自治体や政府は、ボランティアは今は来ないで、と言っていた。

調べてみると、東日本大地震の時も、始めの数か月はボランティアを断っていたようだ。

 

今回、そんな中、名古屋のトルコ人グループや関東のクルド人グループがすぐに現地に行って炊き出しをした。

 

以上のことを聴いて私はこんなことを思った。

 

トルコ人クルド人はまっとうだと思う。被災した人々の姿を見て、日頃お世話になっている日本人が困っているのを見て、我がこと化し、共感してしまったのだ。で、何か自分にできることをしよう、ということになったのだと思う。

共感は頭で考えてするものではなく、勝手にしてしまうものだ。そして共感は社会が成り立つための基礎の基礎である。これがなければ家族でさえ成り立たない。

現地に行ったトルコ人クルド人にはそれがあると思う。

 

自治体や政府がボランティアの自粛を求めた時、ネットでは、自粛を当然視するような書き込みを見かけた。間抜けなボランティアが現地に行けば、袋叩きにしてやろう、という雰囲気を感じた。彼らは共感という人の心を失った人たちだと思う。

 

自治体や政府がボランティアの自粛を求めた。混乱した状況を管理しようとしたのだ。管理責任があるのだからその発想は当然だと思う。また何か問題が起こったとき、責任の所在を考えただろう。

しかし私は以下のことを思い出す。

新型コロナが流行ったとき(今でも流行っているが)、政府は法律に依らず外出の自粛を要請し、一部市民の自粛警察と一体となって、市民の自由を規制した。

今を楽しく過ごす、ことが人生で一番大切なことだ、という私の立場からすると、不本意に自由を奪われてつまらない人生を過ごすのと、死ぬ可能性が高くなっても、今を楽しく過ごすのでは、後者をとるのが当たり前である。

以上のことを考えた時、自治体や政府がボランティアの自粛を求めても、行きたい人は行き、被災者と交流したらいいと思う。被災者に食糧が必要なのはもちろんだが、自発的に助けに来てくれた人とのかかわりは、今を楽しく過ごす支えになると思う。もちろんボランティアも今を楽しく過ごせるだろう。それが生きるときに一番大切なことだと思う。

そして自治体や政府は自粛を要請はするが、ボランティアをとがめない、というのが、適度な統治だと思う。

 

追記

 

中森明夫氏のことをアイドル評論家だと思っていた。もちろんそれは正しいのだろうが、文明評論をするほどの幅広い知識を持っていることを知らなかった。

氏のするアイドル評論は、文明評論に基づいた、幅広い知識から俯瞰したものになっているのだろう。

意外であった。