沈黙の3部作の3番目の作品である。
11歳の姉と5歳の弟が、実はそこにはいない父をドイツに訪ねるロードムービーである。
映画を観る必要がない、と思わせるほど詳しいあらすじ
https://zilge.blogspot.com/2008/11/88.html?m=1
簡単なあらすじ、と言っても結構詳しい
https://ameblo.jp/gat0m0/entry-12387196112.html
お金もパスポートも持っていない姉弟が父が住むと信じたドイツにギリシャから会いに行く、というそもそも絶望的な旅である。
雑感
旅一座が解散するが、これは共産主義的、理想的な社会が幻滅に終わったことのメタファだろう。1980年代は軍事独裁政権から解放されて、民主政治が続き、経済も上向きだった。理想社会だと思われ、長く渇望していた民主政治が、実際に実現した時、幻滅に終わったのである。
姉のヴォーラは「シテール島への船出」に出てくる主人公アレキサンドロスの、自分のことしか考えない姉ヴォーラの子供時代かもしれない。
閉鎖精神病棟の患者が、「羽根が濡れて飛べない」と姉弟に言ったが、それは「蜂の旅人」の娘の言葉、「私を飛び立たせて」を思い出させる。また羽根が濡れているのは霧のせいだろう。
終盤に国境を小舟で密入国しようとして撃たれる場面がある。音だけ聞こえるのだが、機関銃ではなく、ロケット砲である。何か意味を持たせているのかも知れないが、不自然である。
最後の場面は死後の世界である。霧の中で安らかに対岸に上陸し、丘の大木に向かってゆっくり歩き、大木を抱擁する。
母親は子供たちに全く無関心であった。姉弟は二人だけの世界を生きている。二人は道中いろんなことを経験し、成長していくが、最後は死んで安らかになる。
この映画が製作されたときは、まだソ連は存在していた。
巨大な手が海からヘリコプターで引き上げられる描写があるが、何を意味するのか私には全く分からなかった。ソ連もまだ崩壊していないのにまさかレーニンの手ではあるまい。
いろんな表現でメタファが意図されているが、一つのまとまったイメージを作り得ていない。ギリシャ自身のメタファだろうが、バラバラである。
この映画ではっきりしているのは、主人公たち姉弟はギリシャのメタファではないことだ。最後に死んでしまってはメタファとして不適格だ。姉弟の経験する客体がギリシャのメタファの可能性がある。死にゆく馬、嘆く花嫁、解散する旅一座。もしくはギリシャを表現することを監督はもうあきらめてしまったのかも知れない。
総じて、満たされない監督の、過剰表現のように私には映った。
映像は相変わらず荘厳で美しい。