imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ ホテル検索サイトとその評価 2024年2月16日

外国を旅行しているとき、ある日本人旅行者が、ホテルに高評価を付ける代わりに、ホテル代を安くしてもらいましたよ、と言っていた。

私も何度かホテルから言われたことがあるし、現場を目撃したこともある。ホテルの壁に張り出してあるのを見たこともある。「高評価をつけてくれたら割引します」

 

大きなホテルでそんな話は聞いたことがない。小さなアットホームなホテルで起こる。ホテルのオーナーか、マネージャーが、宿泊者と仲良くなって、無料で食事を提供したり、一緒に出掛けたりする。で、出発するころにそれとなく切り出す。その時点ですでに仲良くなっているので、宿泊者は断りにくくなっている。

経験的に言えば、そのような客はもともとホテルになめられているのだが。

 

小さなホステルでもホテル検索サイトに登録できる。ハンガリーで予約して現地に行くと、ただの民家だったことがあって驚いたことがある。つまり大きなホテルと横並びで小さなホテルも表示される。判断の基準は、ロケーション、館内の写真、備品、口コミあたりだろう。つまり口コミは非常に大切である。その大切な口コミを僅かな金で買えるのである。

 

以上はホテル側からの視点である。では宿泊者、つまり旅行者からの視点ではどうか。

 

取引に応じれば、僅かだが、おいしい思いをすることが出来る。しかしその旅行者は、ホテル検索サイトの口コミを以降あてにしなくなるだろう。

 

他の旅行者にとってはどういう意味を持つか。口コミという、滞在した者にしか分からない貴重な情報が毀損されて、役に立たなくなっている。信じられなくなっている。口コミを信じて行ってみると、えっ、ということになる。

 

取引に応じる旅行者についてもう少し考えると、なぜ僅かな利益の為に他の旅行者を騙すことを是とするかというと、他の旅行者を旅行者仲間と思わないからだろう。旅行をしていろいろ苦労すると、他の旅行者を見ると同じ苦労をしている者同士、自然と仲間意識が生じる。それが生じないのだ。共感することが苦手な人たちなのである。程度の差はあれ、そのような人は学校でも、職場でも、趣味の会にでもいる。それが旅行中に生じているだけだ、ともいえる。

 

検索サイトについてもう少し抽象化すると、ホテルに限らず、病院や商品でも同じことが起こっている。商品については、ある程度の時間をかけて見る側にリテラシーが付いてきているので、そのまま口コミを信じる人は少ないだろう。今後、病院やホテルでも同じことが起こるはずだ。もう起こっているか。

世の中には、一定の割合で、損得勘定で口コミを書く人がいる。もうそれは避けようがない。外国のホテルの評価を日本語で書かれたのを見ると、同じ日本人という仲間意識が生じて、まさか日本人が日本人を騙さないだろう、と思ってしまうが、そういう前提はもうない。

だとしたら、すべての評価は、そのような人たちの存在を前提にして見なければならないだろう。簡単に言えば、身の回りのすべてにリテラシーをつけよう、ということだ。

抽象的に言えば、因果関係を一つ過去にさかのぼって、過去の視点で今を見て、今の認識を変える、ということである。