imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

災害時のボランティアの自粛について 2024年2月13日

日本のニュースをほとんど見ないので、今、何が話題になっているかほとんど知らないが、昨日ユーチューブにこんな動画が上がっていた。

 

https://www.youtube.com/live/R7twuSC3ewY?si=0T8daccVrjHAsd6s

 

中森明夫氏の話である。長尺の動画で私が見たのは10分あたりからの部分だ。

今回の能登地震で、自治体や政府は、ボランティアは今は来ないで、と言っていた。

調べてみると、東日本大地震の時も、始めの数か月はボランティアを断っていたようだ。

 

今回、そんな中、名古屋のトルコ人グループや関東のクルド人グループがすぐに現地に行って炊き出しをした。

 

以上のことを聴いて私はこんなことを思った。

 

トルコ人クルド人はまっとうだと思う。被災した人々の姿を見て、日頃お世話になっている日本人が困っているのを見て、我がこと化し、共感してしまったのだ。で、何か自分にできることをしよう、ということになったのだと思う。

共感は頭で考えてするものではなく、勝手にしてしまうものだ。そして共感は社会が成り立つための基礎の基礎である。これがなければ家族でさえ成り立たない。

現地に行ったトルコ人クルド人にはそれがあると思う。

 

自治体や政府がボランティアの自粛を求めた時、ネットでは、自粛を当然視するような書き込みを見かけた。間抜けなボランティアが現地に行けば、袋叩きにしてやろう、という雰囲気を感じた。彼らは共感という人の心を失った人たちだと思う。

 

自治体や政府がボランティアの自粛を求めた。混乱した状況を管理しようとしたのだ。管理責任があるのだからその発想は当然だと思う。また何か問題が起こったとき、責任の所在を考えただろう。

しかし私は以下のことを思い出す。

新型コロナが流行ったとき(今でも流行っているが)、政府は法律に依らず外出の自粛を要請し、一部市民の自粛警察と一体となって、市民の自由を規制した。

今を楽しく過ごす、ことが人生で一番大切なことだ、という私の立場からすると、不本意に自由を奪われてつまらない人生を過ごすのと、死ぬ可能性が高くなっても、今を楽しく過ごすのでは、後者をとるのが当たり前である。

以上のことを考えた時、自治体や政府がボランティアの自粛を求めても、行きたい人は行き、被災者と交流したらいいと思う。被災者に食糧が必要なのはもちろんだが、自発的に助けに来てくれた人とのかかわりは、今を楽しく過ごす支えになると思う。もちろんボランティアも今を楽しく過ごせるだろう。それが生きるときに一番大切なことだと思う。

そして自治体や政府は自粛を要請はするが、ボランティアをとがめない、というのが、適度な統治だと思う。

 

追記

 

中森明夫氏のことをアイドル評論家だと思っていた。もちろんそれは正しいのだろうが、文明評論をするほどの幅広い知識を持っていることを知らなかった。

氏のするアイドル評論は、文明評論に基づいた、幅広い知識から俯瞰したものになっているのだろう。

意外であった。