imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

フランスの首切断事件

フランスの中学校で表現の自由を学習するために預言者モハメッドを風刺する漫画を教材に使った教師が殺された。
教室内のイスラム教の生徒には、 君たちの感情を害したくはないので教室から出て行っても良い、といったようだ。

西側の感覚で言えばテロという言葉が相当するだろうが、イスラム教徒からすると彼の家族ではなく罪を犯した当人を罰しているのだろうからテロという言葉はふさわしくないかもしれない。

なぜこの白人のキリスト教徒の教師は表現の自由を議論する教材としてあえて社会的弱者である移民の宗教を教材として使ったのだろう。例えばキリスト教のタブーに触れるような教材でもよかったのではないか。なぜキリスト教ではなくイスラム教のタブーだったのだろう。
大きく見ればこの400年、イスラム教徒たちはキリスト教徒たちに占領され収奪され利用され続けている。被害者として抱く彼らの心情を加害者は思いやる必要があると思う。

私が見た限り、フランスでは表現の自由を守れという表現が街に溢れているようだ。
抽象的な正しさを金科玉条のように掲げ、自分たちの加害者性に自覚のない彼らにうんざりしていたところ、こんな記事を見つけた。

カナダのトルドー首相の発言

"freedom of expression is not without limits"
更に
"We owe it to ourselves to act with respect for others and to seek not to arbitrarily or unnecessarily injure those with whom we are sharing a society and a planet."

つまり
アプリオリ表現の自由などない
そして
隣人を尊敬し、傷つけないようにする責務を私たちは負っている

一国の首相の勇気ある発言だと思う

フランスの首切断事件

フランスの中学校で表現の自由を学習するために預言者モハメッドを風刺する漫画を教材に使った教師が殺された。

教室内のイスラム教の生徒には、 君たちの感情を害したくはないので教室から出て行っても良い、といったようだ。


西側の感覚で言えばテロという言葉が相当するだろうが、イスラム教徒からすると彼の家族ではなく罪を犯した当人を罰しているのだろうからテロという言葉はふさわしくないかもしれない。


なぜこの白人のキリスト教徒の教師は表現の自由を議論する教材としてあえて社会的弱者である移民の宗教を教材として使ったのだろう。例えばキリスト教のタブーに触れるような教材でもよかったのではないか。なぜキリスト教ではなくイスラム教のタブーだったのだろう。

大きく見ればこの400年、イスラム教徒たちはキリスト教徒たちに占領され収奪され利用され続けている。被害者として抱く彼らの心情を加害者は思いやる必要があると思う。


私が見た限り、フランスでは表現の自由を守れという表現が街に溢れているようだ。 

抽象的な正しさを金科玉条のように掲げ、自分たちの加害者性に自覚のない彼らにうんざりしていたところ、こんな記事を見つけた。


カナダのトルドー首相の発言


"freedom of expression is not without limits" 

更に

"We owe it to ourselves to act with respect for others and to seek not to arbitrarily or unnecessarily injure those with whom we are sharing a society and a planet."


つまり

アプリオリ表現の自由などない

そして

隣人を尊敬し、傷つけないようにする責務を私たちは負っている


一国の首相の勇気ある発言だと思う

江戸時代の武士の覚悟

先日山形県に旅行に行った。 米沢に行ったおり、以下の看板を見かけた。
要約
戊辰戦争の時、会津藩が友藩米沢藩に援軍の要請をするため二人の使者を送った。 二人の到着を知った米沢藩が早速城内に招き入れ話を聞いたが、既に米沢藩の情勢が変化していて援軍を出すことができなか。
その決定を知った年長の使者は以下の辞世の句を残し切腹した。享年31歳

神かけて誓いことのかなわねば 再び家路思はざりけり

有名な戦国大名最上義光の居城があった山形市にも行った。山形城から東に15分ほど歩いたところに東北地方でも有数の大型木造建築の専称寺がある。この寺は最上義光の次女駒姫を祀ったものだ。
時の関白豊臣秀次が当時東北一の美少女と言われた駒姫に目を付け、渋る義光に、是非側室に,と言い寄り承諾させる。駒姫が京都に着いた年、秀次が謀反の疑いで切腹を命じられ、側室達も連座して三条河原で処刑された。駒姫はまだ正式な側室になっていなかったと言われる。
晩年の秀吉に実子ができたため、養子である秀次が邪魔になり謀反の疑いをかけて失脚させた。そのあおりを受けての処刑である。
享年15歳
辞世の句
罪なき身を世の曇りにさへられて共に冥土に赴くは五常のつみもはらひなんと思ひて

罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき

これら伝えられているところを聞けば、見事な覚悟の決まり方である。

もし日本が昇り調子の時にこのような歴史の寓話を聞けば、覚悟は無くなっていっても豊かな暮らしは続いていくんだなと思えるが、下り坂の時にこのような話を聞くと、彼我のあまりの覚悟の決まり方の違いに、手遅れになったもう取り戻せないものを思ってしまう。

江戸時代の武士の覚悟

先日山形県に旅行に行った。  米沢に行ったおり、以下の看板を見かけた。

要約

戊辰戦争の時、会津藩が友藩米沢藩に援軍の要請をするため二人の使者を送った。 二人の到着を知った米沢藩が早速城内に招き入れ話を聞いたが、既に米沢藩の情勢が変化していて援軍を出すことができなか。

その決定を知った年長の使者は以下の辞世の句を残し切腹した。享年31歳


神かけて誓いことのかなわねば 再び家路思はざりけり


有名な戦国大名最上義光の居城があった山形市にも行った。山形城から東に15分ほど歩いたところに東北地方でも有数の大型木造建築の専称寺がある。この寺は最上義光の次女駒姫を祀ったものだ。

時の関白豊臣秀次が当時東北一の美少女と言われた駒姫に目を付け、渋る義光に、是非側室に,と言い寄り承諾させる。駒姫が京都に着いた年、秀次が謀反の疑いで切腹を命じられ、側室達も連座して三条河原で処刑された。駒姫はまだ正式な側室になっていなかったと言われる。

晩年の秀吉に実子ができたため、養子である秀次が邪魔になり謀反の疑いをかけて失脚させた。そのあおりを受けての処刑である。

享年15歳

辞世の句

罪なき身を世の曇りにさへられて共に冥土に赴くは五常のつみもはらひなんと思ひて 


罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき


これら伝えられているところを聞けば、見事な覚悟の決まり方である。 


もし日本が昇り調子の時にこのような歴史の寓話を聞けば、覚悟は無くなっていっても豊かな暮らしは続いていくんだなと思えるが、下り坂の時にこのような話を聞くと、彼我のあまりの覚悟の決まり方の違いに、手遅れになったもう取り戻せないものを思ってしまう。


江戸時代の武士の覚悟

先日山形県に旅行に行った。 米沢に行ったおり、以下の看板を見かけた。
要約
戊辰戦争の時、会津藩が友藩米沢藩に援軍の要請をするため二人の使者を送った。 二人の到着を知った米沢藩が早速城内に招き入れ話を聞いたが、既に米沢藩の情勢が変化していて援軍を出すことができなか。
その決定を知った年長の使者は以下の辞世の句を残し切腹した。享年31歳

神かけて誓いことのかなわねば 再び家路思はざりけり

有名な戦国大名最上義光の居城があった山形市にも行った。山形城から東に15分ほど歩いたところに東北地方でも有数の大型木造建築の専称寺がある。この寺は最上義光の次女駒姫を祀ったものだ。
時の関白豊臣秀次が当時東北一の美少女と言われた駒姫に目を付け、渋る義光に、是非側室に,と言い寄り承諾させる。駒姫が京都に着いた年、秀次が謀反の疑いで切腹を命じられ、側室達も連座して三条河原で処刑された。駒姫はまだ正式な側室になっていなかったと言われる。
晩年の秀吉に実子ができたため、養子である秀次が邪魔になり謀反の疑いをかけて失脚させた。そのあおりを受けての処刑である。
享年15歳
辞世の句
罪なき身を世の曇りにさへられて共に冥土に赴くは五常のつみもはらひなんと思ひて

罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき

これら伝えられているところを聞けば、見事な覚悟の決まり方である。

もし日本が昇り調子の時にこのような歴史の寓話を聞けば、覚悟は無くなっていっても豊かな暮らしは続いていくんだなと思えるが、下り坂の時にこのような話を聞くと、彼我のあまりの覚悟の決まり方の違いに、手遅れになったもう取り戻せないものを思ってしまう。

笑いとその起源について

笑うという行為は2つに分けられる。 

1 一つは微笑むことで、擬態語で言えばニコニコ。発声は伴わない。

2 もう一つは楽しい気持ちを表現することで、擬態語で言えばワッハッハ。  こちらが漫才に関係する笑いになる。


私たちが漫才を聞いて笑う時、 どのような状況で笑ってしまうのだろうか。人間の笑いは複雑に分化し適応しているので、全てには当てはまらないが、大きく分けると2つになると思う。 

1  型と逸脱

2   緊張と解放


それぞれを説明すると

1 全員が了解している型・常識・既存のストーリーがあり、これがツッコミの立ち位置になる。  ボケはそこに勘違いや間違いを対置する。 お間抜けなのだ。 そこに笑いが生まれる。 

 その変形として、世間に流布してる変な話がツッコミの立ち位置になることもある。その時は ボケがお間抜けを装って道理のあることを言う。


2 まず失敗や理不尽なことがあって、後ろめたい・気まずい・怒りの感情が起こり、両者の間に緊張が生じる。または片方が板挟み状態に陥る。 そして開き直り・不本意な受容をすることによって緊張を解消する。 そこに笑いが生まれる。この場合も、後ろめたい・気まずい・怒りの感情が生じるためには、型・常識が共有されていることが必要となる。


以上、笑いが生じるためには前提が必要で、その前提は型・常識が共有されていることだ。型・常識が共有されてなければ、そこからの逸脱も、それを前提にした緊張も生じ得ないのでお笑いは生まれない。


では上記の笑いをなぜ獲得したのか。2種類の笑いの起源は何か。

1  型から逸脱したときの笑いは、ヒトがサバンナに出て自衛の為に百人前後の集団を作って移動していたとき、掟を守らせる1 つの効率的な手段として獲得したのだと思う。掟という型から逸脱したしたとき、制裁つまり怒り・暴力を用いないで修正させることができた。今で言う嘲笑に通じる。この方法は集団を維持するのにより効率的だったはずだ。

2  緊張から解放されたときの笑いについては、元々の解放の仕方は不本意な受容だったと思う。そのことによって両者の緊張を緩和した。それは両者のゆるやか一体感を醸造しただろう。始まりは、定住社会後に見知らぬ者同士が出会ったときに獲得した。片方の笑顔の受容が場を形成し、もう片方の受容も引き出しやすくした。不必要に対立して上下関係を確定するのではなく、緩やかではあるが対等の場を作り出した。


では笑いを含む、笑うことの起源は何か。

最初に触れたように笑うことには2種類ある。

無音のニコニコと有音のワッハッハだ。

有音で笑うことの起源は、子供同士が遊び、じゃれあって楽しい気持ちのときに思わず口から漏れ出た音が起源だと思う。

遊び戯れる事によって、思ったように動ける身体感覚を獲得することは、狩りをするときや捕食者から逃げる時に不可欠だ。故にこの遊びの行動を強化する為に快感情を添付した。楽しいという気持ちだ。遊んでいるときの楽しい気分のときに思わず出た声が笑い声の始まりで、その時の顔の表情が笑顔だった。


ではこの有音で笑うことはどのようにヒトの進化に作用したのか。

チンパンジーも戯れている時に有音で笑うが、基本的には受け身の個体、つまり追いかけられている側が有音で笑うらしい。ここから推測すれば、有音で笑うことは下位にある個体の緩やかな下位の同意の声として認識されたのではないかと思う。楽しい雰囲気の中での上下関係の緩やかな確認。 これによって集団内での無益な争いが避けられ、かつ敗北によって下位の個体に強いストレスを与えなくて済む。 結果、集団の団結力を強化したはずだ。それは生き残るのに優位に働く。


では無音で笑うことはどのようにヒトの進化に作用したか

無音で笑うことつまり笑顔、の始まりは有音で笑うことと同じだと思う。そして子供が戯れ遊んで、楽しむときの声と顔が、楽しい、を意味するようになったとき、その表情だけが独立して1つの意味を獲得した。感情を表現するようになった。

ところで、不同意を表現するのは容易だ。 例えば自分の食べ物を取られそうになった時、不同意を表現するには噛み付けば良い。しかしよりストレスの少ない方法は唸り声を出すことだ。すぐに相手は事態を了解するだろう。または体の動き・ジェスチャーでもいいだろう。今までと違う動きをすれば不同意の表現になる。掟の確認はこれで済む。

ところが、同意を表現するのはそれよりも手間取る。言葉を除けば服従の態度を取るか、グルーミングのような表現が最も簡単な方法だろう。しかしどちらも時間がかかるし、上位の個体が服従の態度は取れない。よりストレスの少ない、より簡単な方法として笑顔が取り入れられたのだと思う。笑顔は楽しいという快感情の表現だった。そのプラス価値を、同意という意味に転用したのだ。


無音であるということは顔と顔が向き合っている必要がある。 音と違って見なければ分からないからだ。ヒトは相手の同意を確認するために、しばしば顔を見るようになった。 表情を読む、という行為の始まりは笑顔が導いたと思う。

笑いとその起源について

笑うという行為は2つに分けられる。
1 一つは微笑むことで、擬態語で言えばニコニコ。発声は伴わない。
2 もう一つは楽しい気持ちを表現することで、擬態語で言えばワッハッハ。 こちらが漫才に関係する笑いになる。

私たちが漫才を聞いて笑う時、 どのような状況で笑ってしまうのだろうか。人間の笑いは複雑に分化し適応しているので、全てには当てはまらないが、大きく分けると2つになると思う。
1 型と逸脱
2 緊張と解放

それぞれを説明すると
1 全員が了解している型・常識・既存のストーリーがあり、これがツッコミの立ち位置になる。 ボケはそこに勘違いや間違いを対置する。 お間抜けなのだ。 そこに笑いが生まれる。
その変形として、世間に流布してる変な話がツッコミの立ち位置になることもある。その時は ボケがお間抜けを装って道理のあることを言う。

2 まず失敗や理不尽なことがあって、後ろめたい・気まずい・怒りの感情が起こり、両者の間に緊張が生じる。または片方が板挟み状態に陥る。 そして開き直り・不本意な受容をすることによって緊張を解消する。 そこに笑いが生まれる。この場合も、後ろめたい・気まずい・怒りの感情が生じるためには、型・常識が共有されていることが必要となる。

以上、笑いが生じるためには前提が必要で、その前提は型・常識が共有されていることだ。型・常識が共有されてなければ、そこからの逸脱も、それを前提にした緊張も生じ得ないのでお笑いは生まれない。

では上記の笑いをなぜ獲得したのか。2種類の笑いの起源は何か。
1 型から逸脱したときの笑いは、ヒトがサバンナに出て自衛の為に百人前後の集団を作って移動していたとき、掟を守らせる1 つの効率的な手段として獲得したのだと思う。掟という型から逸脱したしたとき、制裁つまり怒り・暴力を用いないで修正させることができた。今で言う嘲笑に通じる。この方法は集団を維持するのにより効率的だったはずだ。
2 緊張から解放されたときの笑いについては、元々の解放の仕方は不本意な受容だったと思う。そのことによって両者の緊張を緩和した。それは両者のゆるやか一体感を醸造しただろう。始まりは、定住社会後に見知らぬ者同士が出会ったときに獲得した。片方の笑顔の受容が場を形成し、もう片方の受容も引き出しやすくした。不必要に対立して上下関係を確定するのではなく、緩やかではあるが対等の場を作り出した。

では笑いを含む、笑うことの起源は何か。
最初に触れたように笑うことには2種類ある。
無音のニコニコと有音のワッハッハだ。
有音で笑うことの起源は、子供同士が遊び、じゃれあって楽しい気持ちのときに思わず口から漏れ出た音が起源だと思う。
遊び戯れる事によって、思ったように動ける身体感覚を獲得することは、狩りをするときや捕食者から逃げる時に不可欠だ。故にこの遊びの行動を強化する為に快感情を添付した。楽しいという気持ちだ。遊んでいるときの楽しい気分のときに思わず出た声が笑い声の始まりで、その時の顔の表情が笑顔だった。

ではこの有音で笑うことはどのようにヒトの進化に作用したのか。
チンパンジーも戯れている時に有音で笑うが、基本的には受け身の個体、つまり追いかけられている側が有音で笑うらしい。ここから推測すれば、有音で笑うことは下位にある個体の緩やかな下位の同意の声として認識されたのではないかと思う。楽しい雰囲気の中での上下関係の緩やかな確認。 これによって集団内での無益な争いが避けられ、かつ敗北によって下位の個体に強いストレスを与えなくて済む。 結果、集団の団結力を強化したはずだ。それは生き残るのに優位に働く。

では無音で笑うことはどのようにヒトの進化に作用したか
無音で笑うことつまり笑顔、の始まりは有音で笑うことと同じだと思う。そして子供が戯れ遊んで、楽しむときの声と顔が、楽しい、を意味するようになったとき、その表情だけが独立して1つの意味を獲得した。感情を表現するようになった。
ところで、不同意を表現するのは容易だ。 例えば自分の食べ物を取られそうになった時、不同意を表現するには噛み付けば良い。しかしよりストレスの少ない方法は唸り声を出すことだ。すぐに相手は事態を了解するだろう。または体の動き・ジェスチャーでもいいだろう。今までと違う動きをすれば不同意の表現になる。掟の確認はこれで済む。
ところが、同意を表現するのはそれよりも手間取る。言葉を除けば服従の態度を取るか、グルーミングのような表現が最も簡単な方法だろう。しかしどちらも時間がかかるし、上位の個体が服従の態度は取れない。よりストレスの少ない、より簡単な方法として笑顔が取り入れられたのだと思う。笑顔は楽しいという快感情の表現だった。そのプラス価値を、同意という意味に転用したのだ。

無音であるということは顔と顔が向き合っている必要がある。 音と違って見なければ分からないからだ。ヒトは相手の同意を確認するために、しばしば顔を見るようになった。 表情を読む、という行為の始まりは笑顔が導いたと思う。

意識と身体性 仮説

ゴキブリは脳を除いた残りの神経系だけで記憶ができるとされている。 それは以下のことによって証明された。  頭を切断したゴキブリを垂直にぶら下げ、伸びた後ろ足の先端に刺激を与える。 刺激を与えられた後ろ足はすぐに縮まるが時間が経つとまた伸びてくる。 再度同じ刺激を与える。 これを繰り返すと足が伸びなくなってくる。 この現象によって記憶があるとされている。


私たちは運動をすると気分が高揚する。 体が意識に刺激を与えているのだ。 

また体のある動きが記憶を呼び覚まし意識を変えることがある。 


以下、仮説

記憶とはニューロンシナプスの回路によって保持されていると考えられている。

非常に突拍子もない思い付きだが、筋肉を動かすために脳から筋肉組織までをつなげている神経系が、記憶の回路の一部として使われているのではないか。 

体の動きが記憶の一部を構成し、その記憶が意識に影響を与える。

意識と身体性 仮説

ゴキブリは脳を除いた残りの神経系だけで記憶ができるとされている。 それは以下のことによって証明された。 頭を切断したゴキブリを垂直にぶら下げ、伸びた後ろ足の先端に刺激を与える。 刺激を与えられた後ろ足はすぐに縮まるが時間が経つとまた伸びてくる。 再度同じ刺激を与える。 これを繰り返すと足が伸びなくなってくる。 この現象によって記憶があるとされている。

私たちは運動をすると気分が高揚する。 体が意識に刺激を与えているのだ。
また体のある動きが記憶を呼び覚まし意識を変えることがある。

以下、仮説
記憶とはニューロンシナプスの回路によって保持されていると考えられている。
非常に突拍子もない思い付きだが、筋肉を動かすために脳から筋肉組織までをつなげている神経系が、記憶の回路の一部として使われているのではないか。
体の動きが記憶の一部を構成し、その記憶が意識に影響を与える。

意識と無意識のあいだ 覚書

無意識とは意識が介入できない場所だと思われている 

だけど無意識はある程度介入できると思う より正確に言えば介入はできないかもしれないが変容はできると思う 

具体的には

無意識に一番近い意識の層は当然介入できる つまりゆったりした気持ちになって自分が変えたいと思うことを心に思い浮かべる 

すると意識に一番近い層の無意識が影響を受ける 心に思い浮かべることを何度も繰り返していくとこの無意識の層が強く影響を受ける

意識に一番近い無意識の層が強く影響を受けるとさらにその奥の無意識の層が影響を受け始める 以下同じようにしてより深い無意識に影響を与えられる