imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

笑いとその起源について

笑うという行為は2つに分けられる。
1 一つは微笑むことで、擬態語で言えばニコニコ。発声は伴わない。
2 もう一つは楽しい気持ちを表現することで、擬態語で言えばワッハッハ。 こちらが漫才に関係する笑いになる。

私たちが漫才を聞いて笑う時、 どのような状況で笑ってしまうのだろうか。人間の笑いは複雑に分化し適応しているので、全てには当てはまらないが、大きく分けると2つになると思う。
1 型と逸脱
2 緊張と解放

それぞれを説明すると
1 全員が了解している型・常識・既存のストーリーがあり、これがツッコミの立ち位置になる。 ボケはそこに勘違いや間違いを対置する。 お間抜けなのだ。 そこに笑いが生まれる。
その変形として、世間に流布してる変な話がツッコミの立ち位置になることもある。その時は ボケがお間抜けを装って道理のあることを言う。

2 まず失敗や理不尽なことがあって、後ろめたい・気まずい・怒りの感情が起こり、両者の間に緊張が生じる。または片方が板挟み状態に陥る。 そして開き直り・不本意な受容をすることによって緊張を解消する。 そこに笑いが生まれる。この場合も、後ろめたい・気まずい・怒りの感情が生じるためには、型・常識が共有されていることが必要となる。

以上、笑いが生じるためには前提が必要で、その前提は型・常識が共有されていることだ。型・常識が共有されてなければ、そこからの逸脱も、それを前提にした緊張も生じ得ないのでお笑いは生まれない。

では上記の笑いをなぜ獲得したのか。2種類の笑いの起源は何か。
1 型から逸脱したときの笑いは、ヒトがサバンナに出て自衛の為に百人前後の集団を作って移動していたとき、掟を守らせる1 つの効率的な手段として獲得したのだと思う。掟という型から逸脱したしたとき、制裁つまり怒り・暴力を用いないで修正させることができた。今で言う嘲笑に通じる。この方法は集団を維持するのにより効率的だったはずだ。
2 緊張から解放されたときの笑いについては、元々の解放の仕方は不本意な受容だったと思う。そのことによって両者の緊張を緩和した。それは両者のゆるやか一体感を醸造しただろう。始まりは、定住社会後に見知らぬ者同士が出会ったときに獲得した。片方の笑顔の受容が場を形成し、もう片方の受容も引き出しやすくした。不必要に対立して上下関係を確定するのではなく、緩やかではあるが対等の場を作り出した。

では笑いを含む、笑うことの起源は何か。
最初に触れたように笑うことには2種類ある。
無音のニコニコと有音のワッハッハだ。
有音で笑うことの起源は、子供同士が遊び、じゃれあって楽しい気持ちのときに思わず口から漏れ出た音が起源だと思う。
遊び戯れる事によって、思ったように動ける身体感覚を獲得することは、狩りをするときや捕食者から逃げる時に不可欠だ。故にこの遊びの行動を強化する為に快感情を添付した。楽しいという気持ちだ。遊んでいるときの楽しい気分のときに思わず出た声が笑い声の始まりで、その時の顔の表情が笑顔だった。

ではこの有音で笑うことはどのようにヒトの進化に作用したのか。
チンパンジーも戯れている時に有音で笑うが、基本的には受け身の個体、つまり追いかけられている側が有音で笑うらしい。ここから推測すれば、有音で笑うことは下位にある個体の緩やかな下位の同意の声として認識されたのではないかと思う。楽しい雰囲気の中での上下関係の緩やかな確認。 これによって集団内での無益な争いが避けられ、かつ敗北によって下位の個体に強いストレスを与えなくて済む。 結果、集団の団結力を強化したはずだ。それは生き残るのに優位に働く。

では無音で笑うことはどのようにヒトの進化に作用したか
無音で笑うことつまり笑顔、の始まりは有音で笑うことと同じだと思う。そして子供が戯れ遊んで、楽しむときの声と顔が、楽しい、を意味するようになったとき、その表情だけが独立して1つの意味を獲得した。感情を表現するようになった。
ところで、不同意を表現するのは容易だ。 例えば自分の食べ物を取られそうになった時、不同意を表現するには噛み付けば良い。しかしよりストレスの少ない方法は唸り声を出すことだ。すぐに相手は事態を了解するだろう。または体の動き・ジェスチャーでもいいだろう。今までと違う動きをすれば不同意の表現になる。掟の確認はこれで済む。
ところが、同意を表現するのはそれよりも手間取る。言葉を除けば服従の態度を取るか、グルーミングのような表現が最も簡単な方法だろう。しかしどちらも時間がかかるし、上位の個体が服従の態度は取れない。よりストレスの少ない、より簡単な方法として笑顔が取り入れられたのだと思う。笑顔は楽しいという快感情の表現だった。そのプラス価値を、同意という意味に転用したのだ。

無音であるということは顔と顔が向き合っている必要がある。 音と違って見なければ分からないからだ。ヒトは相手の同意を確認するために、しばしば顔を見るようになった。 表情を読む、という行為の始まりは笑顔が導いたと思う。