imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

なぜヒンズー教徒にはインド人しかいないのか もしくはなぜヒンズー教は他の地域に拡がらないのか

ヒンズー教に全く詳しくないが、私は以下のように予想する。

 

信仰はより多くの人に共有されるほど普遍化していく。 より多くの人に信仰されるためにはより多くの人が同意できる価値・正しさが必要だからだ。

 

もともとヒンズー教北インドの支配民族が信仰していたバラモン教が母体である。彼らは支配地を広げる過程で、被支配者にバラモン教を信仰させようとしただろう。しかし多くの信仰がその民族と固有の関係を結んでいるように、バラモン教ももともとはそれを信仰していた民族と固有の関係を結んでいたはずだ。例えば日本書紀古事記の記述を信じ、万世一系を信じたとしても、それは日本人と固有の関係を結んでいるので、外国人が天皇を宗教的に信仰する動機づけにならない。それと同じようにバラモン教も支配民族と固有の関係を結んでいただろうから、被支配民が信仰する動機づけがない。信仰を強制してもうまくいかず、統治に支障をきたしただろう。そこで被支配民族の信仰している神をバラモン教に取り入れていったのだと思う。ヒンズー教最高神の一つ、シバ神には多くの化身・アバターがいる。それらは占領地の神を取り入れていった結果だと言われている。ゾウの形をしたガネシャもその一つだ。

支配民族は支配地を広げて、次々と被支配地の神を取り入れて、被支配民も信仰できる宗教に変容していった。より多くの人の信仰を集めようとすると、その内容はより普遍的になる。これが普遍的宗教のできる原動力だ、と思う。

 

キリスト教は世界的に信仰されている。それは普遍的価値を持っている証明になるが、なぜキリスト教は普遍的価値を持ったのか。キリスト教の母体はユダヤ教である。もともとはユダヤ教古代イスラエル人を神に選ばれた民族と説いていた。故に古代イスラエル人の末裔ではない人々はユダヤ教を信仰する動機づけを持たない。故に古代ローマではユダヤ教は広がらなかった。そこに支配民族・国家ではなく、ある個人が、より多くの人が信仰できる、より多くの人が救われる、つまり普遍性を持った宗教を、ユダヤ教を変容することによって作ったのだと思う。その普遍性に目をつけて、被支配民の信仰に利用したのがローマ帝国だった。そのことによって、キリスト教はひろく広がっていった。

 

インド亜大陸全土に支配地を拡大した結果、多くの地元の神を取り入れて全ての被支配民が信仰できる宗教になった。インド亜大陸のほぼすべてが、ヒンズー教徒になった。

 

なぜヒンズー教徒はインド人なのか。

学問的には決着がついていると思うが、ここから2つの可能性がある。

 

1 土地の名前がインドであった。その亜大陸をインドと呼ぶ習慣がまずあった場合。

ヒンズー教徒はその土地にしかいなかったので、ヒンズー教徒は全員インド人になった。

喩えると、ローマ帝国の勢いがあまり強くなかったために、国教にはなったものの、国外の人々が信仰するだけの魅力を感じなかったので、ローマ帝国内だけの宗教として存続したバージョンである。

 

実際はその後、新たな支配民として異民族のイスラム教徒が侵入してきたが、被支配民つまりヒンズー教徒に改宗させる動機を提示できなかった。結果、被支配民の多くはヒンズー教徒のままであった。その後支配者がいなくなった時、再びヒンズー教が主流の宗教になった。

現在インド国民の中の約2割がイスラム教徒である。いずれにしてもインド亜大陸の外側にヒンズー教徒はいない。(例外はインドネシアの各地域、例えばバリ島など)

 

ヒンズー教徒をインド人と呼んだ場合。

これは中世から現代の用法、「ユダヤ教徒」をユダヤ人と呼ぶのと同じ概念だ。もしこちらだとしたら興味深い。この場合は、ヒンズー教徒にインド人しかいないのは当たり前になる。(実際にはネパールにヒンズー教徒がいるが)

 

補足

1 インドの語源を調べると、サンスクリット語インダス川をSindhuと呼び、それが最古の語源になっている。下ってBC5世紀のヘロドトスの記述に、古代ペルシャ語由来のHindušという語が見える。

つまり土地の名前が先にあったのだ。

 

2 日本人はヒンズー教徒になり得るか。

 

シバ神のアバターだったと思うが、釈迦も含まれている。故に仏教徒の日本人がヒンズー教徒になるのは不可能ではないが、動機が弱すぎると思う。実際に改宗するためには、インドに占領されて、ヒンズー教の中の釈迦を信じざるを得なくなる状況が必要だと思う。今のところほぼ不可能だろう。

 

万世一系について

 

一般的には、万世を日本人のみと考えるが、全世界の人、という解釈もあり得る。つまり神の代から天皇の代になり、その子孫が世界中に広まった、という考えである。外国人にとって、ほとんど説得力を持たないが、本居宣長を始祖とする国学にはその主張が含まれている。

 

補足

全くの知識不足ですが、今のところ考えたことを書いてみました。