imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ アゼルバイジャンとアルメニアの交渉を喜ぶ 2023年12月10日

https://eurasianet.org/armenia-azerbaijan-issue-landmark-joint-statement

 

https://www.bbc.com/japanese/66863587

 

アゼルバイジャンアルメニアが平和条約を前提にした交渉を始めたらしい。旅行者として訪問し、良い印象を持った国が仲直りの席に着くことが素直にうれしい。

 

アルメニアへはジョージアから定期バスで2018年8月に入国し、10日ほど滞在した。アルメニアは西をトルコと国境を接しているが、たびたびのトルコ軍による虐殺の評価をめぐって責任問題が紛糾し、外交関係がない。また東のアゼルバイジャンとはナゴルノ・カラバフの帰属の紛争当事国なので仲が悪かった。北のジョージアと南に僅かに接するイランとは良好な関係だ。陸封国で、ほとんどの物資はジョージア経由で北のロシアから入ってくる。ロシアからのトラックが続々と国境を渡っているのを見た。(私の記憶では、その後ロシアはジョージアと帰属を争っている南オセチアアブハジアを自国への編入宣言をしたので、物資の移動が滞っているかもしれない)

 

アルメニアは不思議な国である。オスマン帝国ロシア帝国がたびたびの戦争(露土戦争)で国境が変更しているとき、同じ東方正教ジョージア人に対しては大規模な虐殺が起こらなかったのに、アルメニア人に対してはトルコ人からの大規模な虐殺が何度か起こった。あるジョージア人に聞いたら、アルメニア人は自分たちの文化に拘ったからだ、といったが、それが本当の理由かどうか分からない。私の印象では、今でもトルコ人アルメニア人を見下しているところがあると思う。アルメニア人は商売上手の気風があって、アルメニア商人は小アジアでは有名だが、それが原因の一つかもしれない。もしくは差別されているから、商売上手になったのかも知れない。

あまり知られていないが、キリスト教を国教にした最初の国である。

 

首都のエレヴァンは、治安のよい、落ち着いた街だった。昼食にしばしばパン屋でパンを買って食べた。

 

アゼルバイジャンジョージアからミニバスで8月半ばに入国し首都バクーに6日間滞在した。入国時、パスポートにアルメニアのスタンプが押してあるといろいろ聞かれる、との情報もあったが、何の問題もなく入国できた。

 

産油国で、立派なヨーロッパ風の石造りのビルが立ち並んでいた。アルメニアとは経済力の違いを感じた。

カスピ海岸に、おもちゃのような小さな油井のやぐらが無数に立ち並んでいるのを見て、学校で習った通りだ、と感動した。そのほとんどが稼働していた。

 

産油地層と関係あると思うが、かつてはあちこちからガスが出ていたようで、そこに火を灯して、聖なる場所とした。イランと同じく拝火教ゾロアスター教)が盛んであった。今でもその場所が残っている。

 

ジョージアアゼルバイジャン大使館でアゼルバイジャンのビザを申請し、発行までに1週間ほど掛かったが、それ以降なら何時取りに行ってもいいだろうと、地方を旅行していると、携帯に電話が掛かってきて、もうビザが出来ている、とわざわざ教えてくれた。大使館員のその親切さにとても感銘を受けた。ビザを取りに行ったとき、名札で本人であることを確認し、その親切に感謝の気持ちを伝えると、渋面だったその大使館員がにこりと笑って頷いた。日本の大使館でもこんな親切はないのではないかと思う。

 

ここでも外食はお手軽なパンやケバブを食べた。ケバブは味が単調で、かつ肉々しいので基本私は食べないが。




今回の交渉はお互いいろいろ思惑があるだろう。国際関係はパワーポリティックスだから仕方がない。

しかし紛争を継続して軍事費の出費を積み上げるより、国境を解放して貿易を盛んにするほうが、ずっとウィンウィン関係だと思う。将来に不幸になる人もずっと少ないだろう。