1990年代後半から2000ゼロ年代前半の頃、まだ日本の経済が元気だった頃、こんなことを思っていた。
ここまで豊かになったのだから、今のようにあくせく働かず、もう少し心にゆとりをもって生きれる経済政策に変更してもいいのではないか、と。
今となっては贅沢な時代だったが、私はいまだに別の経済活動、もう少し具体的に言うと、新自由主義のアメリカのような過当な競争社会ではなく、また経済的弱者である途上国から可能な限り搾取する市場主義ではない、もう少し穏やかな、人を傷つけない経済活動があればいいな、と思っている。
しかし外国と貿易をしながら、そんなことが可能なのか、という疑問もあった。
今朝ぼんやり考えていると、以下のようなことが頭の中で形作られてきた。
貿易をする限り、外国との間で富の流入と流出がある。富の原資は労働である。お金をいくら刷っても、そこに労働という価値の裏付けが無ければ、お金に価値は付かない。
外国の人が買いたくなるような物を日本人が作れなければ、輸出は減る。日本は食糧とエネルギーの自給率が低い、つまり日本人が買いたいものが外国にはたくさんある。故に輸入は増える。
結果、経常収支が赤字になる(厳密に言えば、資本収支とサービス収支もある)。赤字になるとは、日本人が働いて創った価値の一部が海外に流れて外国人が消費するということだ。日本人が作り出した価値を、日本人が消費できなくなる。
つまり国内の富の総量が減少する。働いただけの量を消費できない。
つまり消費が抑制される。国内市場が縮小する。当然労働市場も縮小する。つまり失業率が上がったり、賃金が上がらなかったり、総労働時間が減少したりする。つまり所得は減少する。故に税収が減る。故に政府や自治体の財政収支が悪化する。結果、住民サービスの質が低下する。具体的には、介護や医療の質が落ちる。サービス利用料が値上げされる。
という一連のことが起きると思う。
貿易をする限り、それは今の日本には選択の余地がないだろう、経常収支を黒字にさせなければならない、のだと思う。
だとすれば、貿易相手国と同じ土俵で競争するしかないのではないか、と思う、残念ながら。
もちろん同じ土俵といっても、戦略はあるだろう。レッドオーシャンではなくブルーオーシャンで競争するとか。
ある個人がユートピアで暮らすことは出来るが、国全体の経済体制がユートピアを前提に組まれることは日本では出来ないのだ。
追記
◎ 日本は資本収支が大幅な黒字である。逆に貿易収支は大幅な赤字になっている。貿易収支が赤字なのは、円安で原油輸入の価格が上がっていることもあるが、根本的には、世界の人が欲しがるような商品を日本人が作れていないからだ。簡単に言うと、日本には売るものが無いのだ。ここを何とかしなければならないと思う。
今のところ資本収支は黒字だが、海外で収益を上げている資本はもともとは貿易によって得た利益からの転用だろうから、今後、貿易収支の赤字が恒常化すると、海外の資本も減少していき、それに応じて利益も減少していくだろう。
◎ 途上国を旅行して、その国の経常収支を見ると、膨大な赤字であることがある。それはつまり、その国の人たちが働いて作り出した富が、大量に外国、実際は先進国、最近だと産油国に流出して、先進国の人たちがその富を消費し、途上国の人たちが消費できていないことを意味する。
だから貧しくて当然なのだと思う。せめて自分たちが作り出した富を自分たちで消費できればもっとましな生活ができるのだろうと思う。