imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ トルコとギリシャの関係改善交渉の開始を喜ぶ 2023年12月10日

https://amp.dw.com/en/turkeys-erdogan-vows-new-era-in-ties-with-greece/a-67655942

 

永年の不仲な両国が歩み寄り始めた。とても喜ばしい。

 

もともとはオスマン帝国の、今からすれば圧政がギリシャ人には不満であった。ヨーロッパの介入があって、弱体化したオスマン帝国から、バルカン半島の中では最も早く独立し、領土も少しずつ広げていったが、トルコには遺恨がある。

逆にトルコには、第一次大戦敗北で帝国解体のどさくさに紛れて、失地回復を謳って侵略してきたギリシャが許しがたい。首都アンカラ近くまで押し寄せたギリシャ軍を反撃し、本土から追い出したのが、初代大統領で英雄のケマル・アタチュルクだ。最後まで残ったギリシャ勢力をイズミルまで追いつめ、そしてお馴染みの大虐殺が起こった。

 

トルコの地中海岸の町フェティエから船に乗って、対岸にあるギリシャロードス島に1週間滞在したことがある。2017年5月のことだ。

 

ヨーロッパは予約なしで宿探しすると、安宿が見つからないとき、高いホテルに泊まることになる、と聞いていたので、ロードス島の宿も予約してから行った。

当時予約するのにエクスペディアをよく使っていたのだが、確かトルコ国内からギリシャの予約が取れなかった。その話をロードス島の宿の穏やかなオーナーに話すと、吐き捨てるように、あいつらは何を考えているか分からない、と言った。それはとても印象的であった。

 

不仲だからだと思うが、両国の国境が僅かしか開いておらず行き来するのに不便だった。移動するのに大回りした覚えがある。

 

トルコはイスラム教で封建的なイメージが強いが、東に行くほどヨーロッパの影響が強くなる。フェティエも開放的な雰囲気の町だった。

 

ロードス島聖ヨハネ騎士団が1309年から1522年まで本拠を置いたところである。のちのマルタ騎士団のことである。スレイマン1世の攻撃に耐え切れず城を明け渡すとき、住民への被害を最小にする約束と引き換えに、無血開城した。騎士団はその後マルタ島に本拠を移す。

城砦は非常に立派である。

 

トルコは言うまでもなく地域の大国である。トルコのエルドアン大統領は、オスマン帝国の栄光よ、もう一度、という国民の夢を焚きつけて大統領に居続けている。

ギリシャは何と言っても限定付きとはいえ、民主主義の発祥地である。プライドもあるだろう。

今までお互い譲り合えなかった。

 

今回の交渉はお互いいろいろ思惑があるだろう。国際関係はパワーポリティックスだから仕方がない。

しかし今回の歩み寄りは、ギリシャにとっては大国トルコをあてにした経済の回復、トルコにとっては世界の中での足場の政治力の安定、あたりだと思う。

いずれにしてもコールドウォーよりウォームリレーションである。つまらない意地で発展を阻害するより、ウィンウィンに決まっている。

 

心から両国の関係改善を望む。