私のアパートの共用通路には夜たくさんの昆虫が電灯に飛んでくる。朝にはその一部が死んで通路に転がっている。
以前は、〝卑しくも生き物ともあろうものが、こんな所で朽ちていって良いはずがない〟と思い、土に帰れ、と通路の外側の土に放り投げていた。
が今年の夏、ふと、死体を構成している原子が無くなるわけではなく、循環するのだから、結局どこで朽ちていっても、同じか、ということに気が付いて、死んだ昆虫たちをあまり投げなくなっていた。つまり小さい昆虫はそのままにしておいたのである。
が、今朝通路を歩いた時、死んだ昆虫たちを見てどうしても違和感が湧いてきた。
つまり、昆虫は物じゃないのだから、原子が循環してればいいという訳じゃないだろう。そこに魂が宿っていたのだから、そのように扱われて当然だろう、という当たり前の気持ちである。
それにしても魂とは何だろう、と部屋に戻ってから思った。一生懸命に生きようとする姿勢か。
もちろん昆虫たちもそのようにして生きてきた。そして私たちも。
みな苦しみながらも一生懸命に生き、生を全うして果てていくのである。それはやはり尊いことだと思う。
追記
人に限定する必要はないと思うが、全ての生き物は一生懸命に生きていると思う。もちろん人間もだ。怠け者に見える人や生きる気力が無いように見える人も心の中は一生懸命に生きている。よく目を凝らせば、嵐のように急かされているのが見えると思う。生き物はもともとそのように作られていると思う。