imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー 「牯嶺街(フーリンチェ)少年殺人事件」エドワード・ヤン監督 1991年製作 2023年10月

今回は下書きをせずに、書きながら考えを進めてみたい。つまりダラダラ書く、という意味である。

 

登場人物が多く、人間関係が複雑で、しかも馴染みのない漢字の名前なのでいつまで経っても人を特定できず、ストーリーを追うのが難しかった。

鑑賞後、以下のサイトのあらすじを読んで、ようやく話の筋を理解した。

 

https://cinemarche.net/drama/abrightersummerday/

 

映画自体の説明は

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%AF%E5%B6%BA%E8%A1%97%E5%B0%91%E5%B9%B4%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

作品時間の長さという意味でも、人間関係の複雑さという意味でも、大作である。

 

舞台は1960年前後の台北である。蒋介石の国民党が中国本土から追い出されてまだ10年しか経っておらず、社会が落ち着いていない印象だ。再度大陸に侵攻するつもりだったようで、道路を日常的に戦車が走っていたりと、今の北朝鮮のように軍事国家化している。

 

と、時代背景を書くのは簡単だが、いざ映画の主題を考えるとなると、私には難しい。

監督にとっての主題は、

不安定な社会の中で生きざるを得なかった、それでも一生懸命に生きた子供たちへの共感。それぞれが一生懸命に生きた中で、ある者たちは抜き差しならず破滅せざるを得なかったことへの共感かもしれない。子供たちは大人の苦悩を代弁して生きた。

それとも、お互いのことを大切に思っているにもかかわらず、その分かり合えなさ、か。皆それぞれ限界の中で生きているので、どれだけ一生懸命に生きても、その限界に応じた世界しか見えない。だから分かり合えなさは必然である、というメッセージかも知れない。

もしくは中学生が好きな人を殺してしまうまでの思いつめた気持ちを表現したかったのか。この監督は「恋する惑星」を撮っているので、その可能性がある。いや間違っていた。これはウォンカーウァイだった。

 

では肝心の私にとってこの映画の主題は何だろう。

それぞれの時代は時間軸で見ると継続しているが、ある時代から別の時代を見ると、全く別の社会に見える。その時代の空気感を具体的に表現すれば、この映画のような細部になる。そのときは前提として当たり前だったことが、時代が移ると前提も変わり、異世界の出来事のように感じる。近いうちに大陸を侵攻するのが前提の時は、大陸のスパイは溢れているように見え、拷問は日常化する。戦争を経験し、近い将来に戦争を予定していれば、人の命は軽くなり、子供たちにもそれが伝播する。

台湾では1949年から1987年まで戒厳令(三権の一部を軍にゆだねること)が敷かれていた。つまり人権の抑圧が常態化していた。

ひとつの時代には、そのときは見えない、意識できない前提がいくつもあり、人々はそれに立脚して判断・行動しているが、時代が移り、前提が変われば、人々の行動も変わる。しかし多くの人は前提が変わったことを意識できず、故に自分の行動が変わったことにも気付かない。

私がこの映画から学ぶことはこんなところだろうか。

身近な例を出せば、30年前は、今のような拝金主義では日本はなかったと思う。損得より価値を大切にする人が身の回りにいた。前提が変わったのだと思うが、少しずつ変わったので、そのことが意識できない。私自身も少しずつ変わっていったので気付かない。30年前の映画を観た時に、そのことに気付くのである。



追記

 

  • 1960年当時は、まだまだ日本家屋が残っていたようで、今の私から見ると、柱も太く、どれも立派な屋敷である。こんな広く開放的な家に住めたらさぞかし気持ちがいいだろうな、と思わせる。もちろん宗主国民が日本家屋には多く住んでいただろうから、恵まれた住環境だったはずである。

で、日本人の私から見ると、日本家屋は台湾の気候風土に適していたのだろうか、ということが気になるのである。西日本の家屋は湿度と気温が高い夏の気候に対応している。台北の年間降水量は2400ミリ前後と日本より多く(東京は1500ミリ)、日本家屋は湿度には対応できそうだ。あとは基礎が腐食しないかどうかだろう。シロアリも心配だ。

 

また敗戦後、武装解除されたときに、日本刀のように魂が宿っていると信じられた武器は敵軍に提出するに忍びなく、やむなく屋根裏に置いていったのだろうか、など有らぬほうにも注意が行ってしまう。後ろ髪をひかれただろうな、と思う。いくら屋根裏のような所で見つけたからといって、日本刀を中学生が振り回すことにも違和感がある。台湾人だから文化が違うので仕方が無いが。

 

  • 「キネマの天地」と同じく、ひとつの時代を証明する映画として存在し続ける作品かも知れない、と思う。

「キネマの天地」とは日本映画黎明期の映画関係者の高揚感を描写、それがひとつの時代を活写してしまっている。映画の説明は

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%A4%A9%E5%9C%B0

 

  • それにしても同じ年代の台湾を描いたと思われる侯孝賢監督の「トントンの夏休み」や「風櫃の少年」とは社会の雰囲気の描かれかたが全く違う。