imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 生き物にとっては大自然も大都会も同じだろう 2022年12月

例えばヒヨドリである。新宿など、都市でも見かける野鳥である。食性は果実、花蜜、ひなは昆虫などである。

野鳥が必要とするのは、食事と安全な場所である。ヒヨドリの場合、公園や庭園があれば、食事は確保できる。ヒヨドリの天敵は、ヘビや猛禽類、ネコだろうから、都市は比較的安全である。

問題になるのは、人が作り出す音や開け過ぎた環境や排気ガスや夜の電灯だろう。

これらをクリアーできたからこそ、ヒヨドリムクドリやカラスは都市に生息している。

 

しかし何とかクリアーしたのと、ほとんど苦も無くクリアーしたのとではかかるストレスが違うだろう。

 

で、私たちは、野生である生き物のヒヨドリを見て、何とかクリアーしたのだと想像し、こんな騒々しいところでかわいそうだな、とか、こんな空気の悪いところで大変だろうな、と思い遣るのである。

 

例えば1000年前の人が今の新宿に住めば、ストレスによって精神を病んでしまうだろう。しかし現在そこに住んでいる人が何とか環境をクリアーして生きているわけではないだろう。1000年の間には進化は起こらないだろうから、環境に体が慣れたのだろう。ヒヨドリも同じことが起こっている可能性があると思う。

ネコ以外の天敵はほぼいない。そのネコも誰かが餌をやっていることが多い。食事は公園などで確保できる。食と安全性だけで見ればかなり住みやすいところだと思う。問題は人が作り出す雑多なことどもだが、人がそれをクリアーしているように、ヒヨドリもクリアーしている可能性がある。

 

人が都市の生き物を哀れに思うのは、二つの勘違いから起こっていると思う。

 

大自然は住みやすい。

少し考えれば分かるが、それは大間違いである。生物の関係から言っても、そこは緊密な生態系で成り立っている。つまりそれなりの数の天敵がいるのである。弱い個体は淘汰される。また食事や巣をかける場所の競合が、都市に進出できない他の種とも起こる。

また地形の多様性が川や沼、谷、尾根を作り、それぞれに適応した植物が生える。ある動物はそれを利用でき、ある動物はそれを利用できない。

かたや野生動物にとって、都市は人が作り出した生活空間のニッチである。それが快適かどうかは別にしても、まだ誰も活用していなかった空白地帯だったのである。

 

2 人にとって不快なことは生き物にとっても不快である。

暗くて湿気た場所に住むドブネズミは人が作り出した生活空間、つまり下水管の環境に適応している。

これを読んでいる人の想定を超えてしまうかもしれないが、つまり哺乳類は人の不快がある程度妥当するかも知れないが、生き物を昆虫まで広げると、それは全く成り立たない。人には信じられない環境にも適応している。菌類まで広げれば、言はでもがな、であろう。

人の快・不快が他の生き物にも妥当するかどうかはそれぞれの種による。

 

で、結局、何をウダウダ言ってるかというと、人間は人間の視点で世界を見ているが、他の生き物は他の生き物のそれぞれの視点で世界を見ている。人の価値がすべての生き物に通用するわけがないのである。

それは常々意識しておくことが、すべての生き物にとって大切だと思う。