imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

地球の進化と生物の進化 2023年9月

地球が変わっていくことを進化と呼ぶのは違うかもしれない。突然変異も自然淘汰もないのだから。成長とか盛衰のほうがしっくりきそうだ。が、生物との類推で同じ言葉、進化を使おう。

 

地球は、宇宙も含めてよいが、時間の経過に従って、変化し続ける。その原動力はエントロピーだ。エントロピーとは、時間の経過に従って秩序が崩れていくことを言う。なぜだか私は知らないが、まず最初にビッグバンがあった。その後どんどん秩序が崩れているのだ。高いエネルギー状態(実際は高い秩序状態)からそれが放散して低いエネルギー状態へ。地球の高温の地核もいつかエネルギーを放散し終わり熱を発しなくなる。となればプレートの対流・循環がなくなり、大陸の移動も火山活動も止まる。太陽はヘリウムを核融合し続けて膨張しながらエネルギーを放散し、地球を生物の住めない惑星に変える。ほぼ燃え尽きた太陽は太陽の中心に向かって崩落し超高密度になって超新星爆発を起こす。しかしその新太陽系は、かつての太陽のエネルギー放散のため元の太陽系よりエネルギー状態が低いだろう。同じレベルの太陽系を作れない。

このように宇宙は高いエネルギー状態から徐々に低いエネルギー状態に移行していく。一方通行だ。この動きを誰も止められない。つまり必然である。しかし実際にどのようにランダムな状態になっていくのかは、マイクロには予想できない。

 

地球上の生物の進化は、突然変異と自然淘汰で進むが、突然変異とは、遺伝子の複製ミスのことだ。これは確率の問題である。人が操作することが出来ない。自然淘汰とは、環境への適応のことだ。適応とは、最も適応した種が生き残る、という理論上は必然である。環境とは、大陸がどのように動くか、それによって海流がどのように流れるか、大陸同士がぶつかったとき、どのくらい高い山が出来るか、山が雲をさえぎって、どれほど広い乾燥地を作り出すか、である。それとは別に、例えば中生代を終わらせた隕石の衝突なども、環境を形作る。つまり生物に与えられる環境は全くの偶然である。与えられた前提が偶然なのだから、たとえ適応が必然だったとしても、そして突然変異が確率の問題であることからも、進化の結果は偶然である。

 

つまり私達の人生は、必然と偶然が相互作用した結果の産物である。そのどちらにも意味はない。エントロピーという物理法則の必然と、環境と突然変異の偶然に支配されている。

 

地球という必然の死に物も、生物という偶然の生き物も、見かけ上、似たように推移するのが面白い。似たように、とは、まるで一つの最終目的があるように、という意味である。