何のために生きているのか、と考えることはもう無いが、生きていることに戸惑うことは相変わらずある。
例えば、
若い頃の自分の記憶と今の自分との整合性の無さ。
具体的に言えば、あの若かった頃の自分が、今の自分とどうしてもつながらない。あれはいったい何だったのか、という混乱。
今の自分が年老いていくことの不可思議さ。
つまり他人事と思っていた老いに対面しつつある時、それが私にとってどんな意味を持つのか、という困惑。
更には、自分の親しい人達がいつか死んでいく、という取り付く島もない事実の意味不明さ。
地球の過去から未来の歴史の中での、自分の居場所の不確かさ。
つまり地球の歴史を見渡した時、私の行為はどのように位置づけられるのか、莫大な時間と空間を感じた時の自分の存在の不確かさ、身の置き場の不安定さ。
過去から未来のヒトの歴史の中での自分の立ち位置の不明解さ。
つまり人類の盛衰の歴史における私の立っている場所と私の働き・機能の不明解さ。
以上を抽象化すれば、
・私を対象にするとき
過去の自分、未来の自分と今の自分との関係。その違和感をどうやって取りなすか、慰撫するか。違うのに同一人物である、と感じるための答え探し。
・世界を対象とするとき
時間と空間の中で、自分をどうやって位置付けるか。「どう生きて、どう死んでもいいでしょ」。それを肯定するための答え探し。
になると思う。
結局人生の悩みはこれに尽きるのではないかと思う。皆は同意しないかも知れないが。