imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ ひらめく、とは 2022年10月

あの人は独創性がある、などと世間でよく表現される、独創性とは、頭の中では具体的にどんな作業がされているのだろうか。

 

人は或る物を幾つもの集合に分類している。例えば、目の前にひとつのコーヒーカップがあったとして、まずこれをコーヒーカップ、という集合に入れているだろう。もう少し抽象度を上げると、液体を入れる容器、と言う集合にも含まれるだろう。他に、磁器でできたもの、取っ手が付いている物、不透明な物、落とすと割れる物、コンロで火にかけても燃えない物、等々いろいろな集合に入れることが出来る。つまり目の前のコーヒーカップをいろんな角度から抽象化することだ。抽象化するとは、ひとつ上、つまりひとつ大きな集合に入れることである。イヌなら哺乳類、と言うように。

 

独創性があるとは、人が思いつかないような集合に物やことを入れることである。

例えば、目の前のコーヒーカップを尿瓶と言う集合に入れたり、レゴと言う集合に入れて、レゴ作品の中に組み込んだり、宇宙にある物質と言う集合に入れたり、お菓子の型抜きと言う集合に入れたり。

 

つまり独創性とは、人が思いつかないような別の集合に或る物、或ることを編入できる人のことを言うと思う。

 

だからと言って、急に独創性のある人にはなれないだろうけど。