よく知られていることだけど、知らず知らずのうちに私もその罠に落ちているので、再確認したいと思う。
人が判断をするとき、以上の行為をしていると思う。
1 まず自分の目の前にたくさんの事実(正しいとされる論理も含む)があって、判断をするのに必要だと思う事実をその中から選択する。
2 次にその事実から論理を組み立てる。
3 最後に、その論理から帰結される結論を得る。
ではどこに間違いの可能性が隠れているのか。
1 まず何よりも、目の前に必要な事実が並んでいない可能性がある。知らなかった。気が付かなかった。その可能性はいくらでもある。
これが間違う一番大きな理由だと思う。
2 事実の選択が不適切な可能性もある。しかしある程度経験を積めば、また全体が見えていれば、それほど大きな間違いはないと思う。
3 論理の組み立てミス。これも経験を積めば、間違う可能性はほとんどないだろう。事実が出揃えば、結論はまず一義的に決まってしまうように思う。
4 直接には間違うことと関係がないが、自分で事実を選択し、それを組み立て、結論を得ると、それに固執するものである。薄々は分が悪いな、と気づいてもなかなかそれを認められない。これは間違いが訂正されない大きな理由だと思う。
非常に漠然とした話であるが、自然科学の新発見は、若いときからの主張が後年に事実が確認されるということが多い。他にもいろんな人がいろんなことを言っているのだが、ほとんど主張を変えることなく年を取り、時期が来て誤りが確定する。
つまり自分が思いついた結論はなかなか手放せないのだと思う。
以上、繰り返すと、大事なものがそもそも生板の上に載ってない可能性がある。それは自分が知らないからだが、知らないが故に、誤りに気が付かない。
だから自分の得た結論は間違っている可能性がある、と言う前提に常に立つのが賢明だと思う。
なかなか難しいとは思うけれど。
新しい事実が出てきたら、木っ端微塵なのだから。