imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 山猫 貴族社会と人生の終焉 ブログ

監督 ルキノ ビスコンティ

出演 バート ランカスター  アラン ドロン   クラウディア カルディナーレ

1963年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%8C%AB_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 

まずは、バートランカスターの演技が素晴らしかった。映画に重みを与えている。

それにしても公爵とはいえ、けた外れの豪華な生活には驚く。これだけの生活を農民たちはよく支えたものだ。とはいえその建築、装飾は非常に美しく、心惹かれる。

 

サルディニア王国がイタリア王国に拡張していく中、中産階級の勃興と貴族の没落が舞台の背景になっている。立憲君主制から共和制へと熱望した人々のエネルギーと、老いていく主人公の公爵を対比させている。

 

社会体制の視座で抽象化すれば、既得権益が動いた時の社会の混乱を、具体的個人を通して表現した、と言える。

 

監督が目指したのはこの辺りか。私にとってはあまり深掘りできる映画ではなかった。

 

シシリアは独特の歴史を持っているようだ。夏は暑く乾燥し、岩がちな島は作物の収量が少なく、貧しかった。だから自衛組織としてのマフィアが発達したのだろう。ウィキペディアで調べると、9世紀後半から外部勢力に支配され続けている。

 

今まで私はイギリスやフランスやドイツの歴史に興味はあったが、イタリアの歴史に興味が全くなかった。しかし今回この映画を観て歴史を少し調べると、なかなか面白かった。トリノ周辺の小王国が巧みな外交で少しずつ領土を広げ、最後にはローマまで占領してしまう。当時フランスの占領地だったローマがイタリアの占領地を望むのは仕方がないとして、田舎の王に支配されるのは複雑な心境だったろう。

 

ローマを支配することがキリスト教の保護者を意味するので、権力者はローマを支配したがる。神聖ローマ帝国のハプスブル家もローマにこだわった。オーストリアの帝国がローマを名乗れるのはローマを支配しているからだ。強い陸軍を擁したブルボン朝が当時ローマを支配していた。

同じことがイスラム教にも言える。初期の王朝アッバス朝の王の末裔を保護することがイスラムの守護者であるカリフを名乗る必要条件だった。オスマン帝国の王はエジプトを占領して、エジプトで保護されていたアッバス朝の末裔を引き継いだ時、カリフを名乗れるようになった。