imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 有料の書籍と無料のネット情報 2024年5月8日

以下は自然科学、社会科学について当てはまる。人文科学、特に文学には当てはまらない。

 

最近はネットの無料サイトでもかなり詳しい情報が手に入るようになった。かなり、というか、入門者には十分な情報量だろう。

生成AI、例えばチャットGPTが公開されてからは、頻繁に誤回答を繰り返しはするが、ますますネットで容易に情報を入手しやすくなった。

 

では書籍の役割は終わったのか。

 

書籍の良いところは体系的に書かれていることだ。私の興味のある箇所は、書籍の中の一部分なのだけれど、全体の中でのその一部分の位置づけが分かる。メタ認知しやすいのである。別の言い方をすれば、私の既存の知識に、新たに獲得した知識が接地しやすい。

ここが書籍の持つ優位性だ。

もちろん本気になればネットのあちこちから無料で全体を拾い出すことは出来るだろうが、時間が掛かり過ぎるし、そもそも全体の範囲が分からないから調べにくい。

 

故に今のところ、書籍、ここでの意味は、体系的に書かれた文章、は相変らず役に立つ。

無料だからと言って、ピンポイントの詳細な説明ばかりをネットで読んでいると、自分の知識体系に接地できず、獲得した知識が砂上の楼閣になる可能性がある。

 

以上が読者側から見た書籍の利便性である。では作者から見るとどうか。

 

作者が著述して何かを公にしたいと思うのは、訴えたいことがあるからだ。多くの場合、体系的なことではなく、思い付いたピンポイントの部分だろう。しかしそれでは書籍として耐えられない。文字数が少なすぎるのである。

故に書籍化することを前提にすれば、ある程度の文字数が必要になる。その手段として採用されるのが、その周辺を合わせて体系化したり、歴史を辿ることである。つまり平面的にまたは時間的に拡大する。

このようにして嵩増しするしかない。

 

ではなぜ書籍化したいのかと言えば、稼げるからである。もちろん著述で稼ぐことは悪いことではない。訴えたいピンポイントだけを公開してよいのならネットにSNSやブログなりの形で上げればよい。しかしそれでは稼げないのだ。

 

以上が作者側から見た書籍の有意性だ。

 

さて、これからもこの有料書籍の優位性は保たれるのか。逆に言えば、ネットに体系的な文章が無料で載ることはあるのか。



今でもデジタル書籍が出版されていて、端末で書籍を読めるようになっている。しかし私の実感では、今一つ普及していないように思う。それはたぶん、リアル書籍とデジタル書籍の値段がほとんど変わらないからだ。それならばリアルの書籍を買おう、と読者が思うからだろう。それは私たちが紙の臨場感に引きずられているからだ。しかし早晩この感覚は乗り越えられ、デジタル書籍への抵抗感も薄れていくだろう。便利さに抗しきれた文明はないからだ。(マヤ文明がその唯一の例外の可能性を秘めているが)

つまりいずれ今の書籍はデジタルに移行していくだろう。稼ぐために体系的に書かれた書籍を有料でデジタルで読むようになる。

図書館の本も、著作権保護の問題がクリアーされれば、つまりデジタルのコピーブロックのセキュリティーが上がっていけば普及するだろう。

 

私はデジタル書籍の値付けがどのように決定されているのかを知らないが、紙も製本も不必要なのだからもっと値段を下げられるのではないかと思っている。そうなれば読者のデジタル移行が促進されるだろう。

 

つまり今後有料で体系的な文章をネットで読めるようになる。そして相変わらず無料では体系的な文章を読むことは出来ないだろう。なぜなら体系的な文章を無料で書く動機付けを作者が持ちにくいからだ。

 

繰り返しになるが、体系的に知識を拡大することは大切だが、体系的な知識を叙述することには手間暇がかかる。手間暇がかかるからリターンを求める。故に有料化する。それはリアルでもデジタルでも関係がない。

 

インターネットの出現によって、多くのサービスが無料化した。高音質を求めなければ、ほどんどの曲をユーチューブで聴ける。講演者にこだわらなければ、高名な学者の講義も見れる。日常生活を楽しむ程度のニュースはポータルサイトで無料で閲覧できる。

 

しかしユーチューブもフリーミアムになりつつある。入り口は無料だけれど、もっと楽しもうとすると課金される。

生活時間を侵食して、手間と暇をかけて作った作品は、その費用を回収しなければならない。

故に手間暇かけて作られた作品は今後も有料であり続ける。ということを私たちは覚悟しておく必要があると思う。

インターネットが普及してからのこの30年、多くのコンテンツが無料で楽しめるようになっていった。私たちはこの無料の拡大傾向が今後も続くという期待を漠然と持っているが、以上の理由から、ある限界を超えると、この傾向は頭打ちになると思う。

 

追記

生成AIはまだ不完全だが、体系的に学問を生成・記述できる可能性がある。となればサブスクリプション方式など僅かの利用料で体系的な文章を読めるようになるかもしれない。

 

デジタル書籍の販売は、アマゾンやソフトバンク楽天、他にリアル書籍の出版社が有名だが、ブログサイトでも有料で短い文章を読むことが出来る。

体系的に書かれた文章は古くから有料だったが、ピンポイントで書かれた短い文章の有料化は、大きくはないが新しい市場になりうると思う。もちろん既にそれは実現されているが、普及していない。普及しない一つの理由は、内容が全く見れないことにある。ブログサイトを見ると、100円など安くで有料の文章が売られているが、何が書かれているのか全く分からないのである。これでは例え100円と言えども買う気になれない。

短い文章の有料化の普及には試し読みが出来ることが不可欠である。

これを取り入れると、投稿者も、読者も、そして購読による売り上げも伸びると思う。