imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

人生という作品

人生は奇跡の塊である。人・もの・状況との奇跡の遭遇の連続である。奇跡とは、自己制御できないことを含意する。自己制御できる範囲だけで見れば、人生はベストの選択の連続であろう。すべての人の、どの選択についても、二番目以下の選択をする理由はあり得ない。つまり今の人生はベストの選択の連続の結果としてある。つまりベストの人生なのだ。

 

しかし自己制御できない範囲も含めて人生を見れば、そもそもベスト、つまり良い・悪いという尺度で人生を測ることが出来ない。なぜなら、自己制御できない無数の可能性の中の一つに過ぎない或る遭遇、その連続の人生を、ありえた他の無数の人生と比べようがないからだ。つまり、良い・悪いという評価が成り立たない。

であるなら、与えられたすべてに満足する。与えられたすべてを受け入れて楽しむ、というのが賢明な態度だと思う。

 

自己制御可能な範囲内では、選択の自由があるように見える。その選択の結果として、日本では多くの人が不本意同調圧力に屈していると思う。外から与えられた前提(奇跡の遭遇)が圧倒的に多い人生の中で、自己制御が効く部分はわずかしかない。その僅かな部分でさえも同調圧力に屈して自分らしい選択を放棄している。その僅かな部分は最大限に活用したいと思う。つまり、したいことをする、である。そこに同調圧力という更なる制限は不要だと思う。

 

外から与えられた奇跡の遭遇、つまりその前提に、どう接するかは自分次第である。

外から与えられた前提を素材と考えれば、その素材でどんな作品を作るかも自分次第である。

 

人生は奇跡によって織りなされつつある未完の作品だと思う。

今日、遭遇する奇跡に、どう接して、どんな作品を作るかは将に自分次第なのだ。その視点から見れば、人生に制約はない。誰に気兼ねすることも無く、望んだ通りの作品を仕上げていけばよい。

 

人生は奇跡、と言うことについては以下のブログを参照してください。

https://hiroto-pilato.at.webry.info/202105/article_6.html