原油が発見されるまで、バグダッドなどを除けば、基本アラブは貧しい地域だった。故にその王国の王様たちも大金持ちとは言えなかった。ところが原油が発見されて以降、例えばサウジアラビアでは1938年に発見、オマーンでは1964年、UAEでは1960年半ば以降生産が本格化し、徐々に財政が改善していった。上記3国は、今では日本よりも1人当たりのGDPが高い。もちろん王様は大金持ちである。一夜にして、という表現は正しくないが、突然大金持ちになったのである。
ちなみにイランはアラブではない。アケメネス朝ペルシャから始まる大文明地域である。
それが意味するところは、夢が突如叶えられるようになったのだ。欲しい物は何でも買える、ことになった。で、王様たちは、正確に言えば、王族たちは、食べたいものを食べたいだけ食べたのである。キャビア、フォアグラ、世界の珍味。列を成して美食の国に遠征したのである。
その結果、多くの王族が、腎臓や肝臓を害した。
肝臓病や腎臓病で死んだサウジアラビアの王様を探したが見つからなかった。とことん贅沢をした王様はいなかったのか。
で、王様は以下の問題に直面することになったのである。
欲望を如何に自制するか。
自制するには目的が必要である。理由が必要である。ただ我慢するだけでは長続きしない。
いま我慢する不快より、将来得る快が大きくなければならないのだ。前頭葉を使う必要がある。
年老いても健康でありたい、と希望することも自制につながる。将来の子供たち、孫たちの姿を見たい、という楽しみも自制につながるだろう。若しくはこれから王国を発展させるのだ、という希望も自制につながるだろう。
少し抽象化すれば、未来に楽しみを見いだせることが必要だろう。つまり希望する未来を受動的に待つ。敢えて言えば、生き甲斐か。
若しくは実現したい価値が未来にあることが必要だろう。つまり能動的に外界に働きかける。夢の実現である。
ここまで抽象化すると、ことはアラブの王様だけの問題ではなくなり、私たちの問題になる。先進国の国民が日常的に抱えている問題である。
私はカフェイン依存症ではないか、と思っている。朝起きるとまずコーヒーが無いと始まらない。飲み終えると、もう1杯欲しくなる。しかし2杯飲むと寝つきが悪くなるので、飲むかどうするか悶々と悩む。飲まないでいると生じる何とも落ち着かない不快さ、それを上回る快適さを未来に探さなければならない。
タイの東北地方の私の友達は、今日コーヒーを飲もうか、紅茶を飲もうか、それとも緑茶にしようか、などと悩まない。水一択である。
アラブの王様問題は、選択できるという豊かな生活の実現が、別の悩みをもたらしたのである。
私達は、未来の為に今を我慢する。生き甲斐や夢を作って今を乗り切るのだ。
しかしそれでは悲しいので、考える順番を替えて、まず生き甲斐や夢を作り、それに近ずくために今をウキウキしながら送る、というのが良いと思う。