斎藤幸平の「人新生の資本論」を読んだ。30年後に今の生活水準を維持するのはほぼ無理だ、と言うことを知った。
私はもともと環境野郎である。レジ袋が有料になるずっと以前から買い物袋を持ち歩いていた。リサイクルが出来るゴミはかなりの手間をかけて分別する。食べ物は可能な限り食べて、資源を有効利用し、かつ生ごみを減らしている。
いま直面している二酸化炭素の増加は、そのような手段では到底回避できないことを知った。
その上で思うところがある。
少し前、ユーチューブでこんなことを言っている動画を見た。
レジ袋を受け取らないで、持参の買い物袋を持ち歩くことは、地球温暖化に全く意味がない、と。それはただの自己満足、免罪符に過ぎないと。
私はこの発言にはくみしない。以下その理由を上げる。
1 人が何かを始めるとき、まず自分の身近なところで、出来るところから始める。そうせずにはいられないからだ。例えば、子や孫の為に、この環境を残そうと切に思ったなら、まず出来るところから始めるだろう。マクドナルドでナプキンを大量に使ったり、買い物でレジ袋を大量に消費する人が、環境維持を切に願っている、と言うことを見たことがない。
まずが出来るところから始めて、それをしながらいろいろ考えて、より有効な手段を実行していけばいいのだ。
ごみを減量するということは、はじめの一歩として、とても重要だと思う。
将棋日本一を目指している子供が、入門書を読んでいるとき、「そんな本を読んでも絶対に日本一には成れないよ」と言っているように聞こえる。
2 レジ袋を受け取らないことは、地球温暖化を止めることに影響を与えないが、今問題になっている海洋生物への、プラスチックやビニール由来のマイクロプラスチックの減量に影響を与える。問題は地球温暖化だけではないのである。何かを変えることは、必ず何かに変化を及ぼす。大きな目的を達成できないかもしれないが、小さな目的のために、出来ることからしていけばいいのだ。