東京育ちと東京移住者 脳内マップの違い

私は三十代前半で東京に移住してきた。最初の年は東京の地名を言われてもそれがどこかさっぱり分からなかった。東京に住んでいる人なら誰でも知ってるような、雑司ヶ谷とか日暮里も全く分からなかった。地図を見ても漢字の読み方が分からなかった。福生も青梅も間違って発音していた。

しかし馴染みの場所ができると、そこから脳内マップを広げていって、面としてマップを作れるようになった。二年も住むと東京のおおよその場所は分かるようになり、行きつけの場所はかなり詳しく脳内マップを描けるようになった。友達とおしゃべりしていてもほとんど不便を感じなくなった。

ところがである。東京の郊外や、近隣県の話になると、たちまちかっての状態に戻ってしまう。地名を言われてもそれがどこかさっぱり分からない。近くのようなのだが、見当もつかない。

とはいえ十年も住むと、いろいろな用事で郊外にも足を延ばすようになり、東京周辺の脳内マップも充実してくる。

しかしところがである。関東にまで範囲を広げると、たちまちかっての状態に戻ってしまう。そうそう茨木や栃木や群馬や山梨に行くことはないのである。

この差はどこから来るのだろうと、東京育ちの人にいろいろ話を聞いてみると、子供のころの遠足や修学旅行、そして家族行楽と家族旅行、十代になってからは友達との旅行、と膨大な蓄積があった。

私は東京に住んでもうすぐ三十年になるが、関東圏の脳内マップは作れていない。

 

これの意味するところは以下のことだと思う。

私はふだん生活しているとき、自分の居場所を中心にして漠然と脳内マップを作っているが、それが東京どまりなのだ。

それに対して、東京育ちの人は、関東圏までの脳内マップを作れていると思う。つまりより広い空間を認識して暮らしていると思う。そして個々の地点には感情が伴った経験が貼り付けられている。あそこは景色がよかった、あそこの川は水がきれいだった,あそこで食べたソバは美味かった。感情を伴ったマップが広がっている。

 

結論

以上が脳内マップから見た東京育ちと東京移住者の違いと、その差が出る理由である。

 

追加

だからどうした、という話かもしれないが、次のことを考えてみると、どちらを志向したほうが良いか、分かり易いと思う。

例えば世田谷区から出たことのない人がいて、脳内マップが世田谷区に限定されているとする。その人が友達と喋っているとき、またニュースなどで世田谷区以外の話題になったとき、話の内容は理解できるが、そこが何処かも分からず、当然場所のイメージも湧かない。話への感じ方が無味乾燥に傾くと思う。

例えばスーダンの話をどれだけ一生懸命にされても、ほとんどの日本人にとってスーダンは行ったこともなく、故に場所のイメージも湧かず、どこにあるかも分からない。となればその熱意ある話に実感を持つことは難しいだろう。もっと言えば、興味を持てない。

世田谷区限定育ちの人は、世田谷区以外のすべての場所で似たようなことが起こっていると思う。

 

故に脳内マップは広いほうが実感を伴って話を聞きやすいと思う。興味を持って話を聞くことができ、ひいてはそれが知識として身に付きやすいと思う。

これを受け入れれば、話は地理に限らないことになる。いろんな分野について、感情が貼り付いた知識を持っていれば、いろんな話を興味を持って聞くことができ、楽しい人生が送れると思う。宗教でも、スポーツでも、料理でも、音楽でも。

 

東京を例に出したが、同じことが弘前でも、富士吉田でも言える。