子供の幼い時の写真を見ると、なぜ胸が痛くなるのか

自分の息子や娘の幼い頃の写真を見て胸が痛くなった経験は、多くの人が持っていると思う。 私は長らくその原因が、ちゃんと子育てが出来なかった、という後悔から来ているものだと思っていた。 きちんと子育てできた人はこのような後悔を持つことがないのだろう、と思っていた。

ある時、子育てをきちんとできていた、と仮定したら、どういう気分になるか思考実験をしてみた。が、やはり胸が痛くなった。その時に分かったことは、どうしたって胸が痛くなるようだ、ということだった。

その原因を考えると、
1 100%完璧な子育てなどありえないから。 つまり後悔は必ず付きものなのだ。

2 後悔とは別のところも刺激されているから。

以下2について考えた。

幼い子供の笑顔や姿の向こうに、子供の無垢さを見ているのだと思う。 ではなぜ子供の無垢さを見ると胸が痛くなるのか。
子供の無垢さの向こうに、自分の中の幼い頃の無垢さ・純粋さを見ているのだと思う。 今はすでに失われてしまった無垢さを見て、胸が痛くなっているのだと思う。

付け加えれば、写真は、自分の子供でなければ何故か胸が痛くならない。 他人の子供の写真を見ても、そのような感慨が起こらないのだ。 また自分自身の子供時代の写真でもそれは起こらない。別の感情が立ち上がってしまうからだ。
ある人物の向こうに無垢な自分を見るためには、とても繊細な設定が必要なのだと思う。

話が飛ぶが、夕焼けを見て何とも言えない切ない気持ちになるのは、無垢だった子供の頃に見た夕焼けを思い出すからだと思う。その夕焼けの記憶が、今はすでに失われた自分の無垢さを呼び起こすのだと思う。

更に話を飛ばせば、自分の最も奥深いところにある、自分の核となっているもの、無意識に常に参照する原点は、無垢な自分だと思う。