マイブームの終わり

20年ほど前にマイブームという言葉が流行った。 確かに何かに取り憑かれたように、あることに熱中することがある。 そこまでいかなくとも、なんとなく毎日反復してしまう行為がある。 マイブームとはうまく表現したものだ。

私は、元来生野菜はほとんど食べないが、去年の秋頃からキャベツの繊切りを食べ始めた。 それが今年の2月まで続いた。 マイブームである。 このブームは食中毒によって終止符が打たれた。
平安文化に興味があって伊勢物語枕草子を、寝る前に布団の中で読んでいたことがあった。 マイブームである。 このブームは実家に帰った時、読む本が手元になくなって終わりを告げた。
数十年、朝起きるとまずコーヒーを飲むという習慣があった。 人生の半分を占めるマイブームである。 このブームも食中毒によって魅力のないものに変わってしまった。

振り返ってみると、マイブームが終わる原因は内発的なものではなく、外部からの要因によって強制的に終了したことが多かった。
マイブームが終わった時の感慨は、どうしてあんなことに固執し続けていたんだろう、である。 振り返ればそれほど価値があるとも思えないものに、昨日もやったからという理由だけで継続してきたのだ。

にもかかわらず自発的にマイブームを止めるのは難しい。 習慣化は不安要素を減らし、新しいことは不安要素を増やす。一度できてしまった世界は居心地がいいのだ。
大きな書店に行って覗く本棚の場所はいつも決まっている。 それ以外の本棚に行くことはまずない。
しかし意識して別の本棚の前に敢えて立つと、そこにもやはり興味深い本が並んでいるのだ。

日に3度の食事をするというのは終わりのないマイブームのようなものだ。 つまり日常生活、規則正しい生活はある意味終わらないマイブームだ。 強制的に終わらせるような外的要因があれば、どうしてあんなことに固執し続けていたんだろう、と思うに違いない。
全ての人にとって、終わりのないマイブームが強制的に終わる時とは臨終の時だ。 いまわの際で思うことは以下のような感慨になると思う。

どうしてあんなに人目を気にしていたんだろう。 人目を気にせずにもっとやりたいことをやってウキウキしたかった。
惰性で続けた日常生活から、どうして抜け出すことができなかったんだろう。 もっと新しいことにチャレンジしてワクワクしたかった。
将来に不安を感じてお金を貯めるために一生懸命に働いてきたが、収入を減らしてでも楽しく生きる時間を増やしておけばよかった。