エッセイ
ャンプサイトでぼんやり座っていると、足元からアリが登ってきた。よく見ると動きが少し変である。俊敏すぎるのだ。よく見ると脚は3対あって触覚もある。それでも動きが変なので、よーく頭部を見ると大顎もちゃんとある。 こんな変な動き方をするアリもいる…
サイクリング旅行での宿泊先を調べていると、青少年育成センターが提供しているサービスのことを知った。当該市町村に住む子育て家族なら、格安でキャンプができるサービスである。 私が今キャンプをしているツガ公園キャンプ場には、簡素だけれど無料のバー…
中国は共産主義国なので基本的には西側と相容れない。だから、共産主義国中国が大国になるのは西側の脅威だ。 というような言説がよく聞かれるが、それはアメリカのプロパガンダではないかと思う。 もし中国が資本主義国になったら、今以上にアメリカの強力…
神戸市西区にある高塚山ハイキングコースを歩いた。 山から海側が一望でき、中央に霞んで見えるのが明石大橋で、向こう側が淡路島である。 この高塚山には幕末に作られた徳川道が通っている。正式名称を西国街道往還付替という。 1862年、横浜で生麦事件が起…
関西では潮岬は「本州最南端」という言葉と結びついてで知られているが、東京でその言い回しを日常会話で耳にしたことはない。 潮岬は、もともと島だったものが打ち寄せられた砂が砂洲(さす)となり、本土側とつながってできた地形である。その砂洲の上に串…
那智勝浦の太田川に行ったついでに、太地町の海沿いを回ってきた。 8月8日のブログに書いた実家の近所の海岸と雰囲気は同じである。 海から強い風が吹き付けるのだろう、海岸沿いの木は軒並み山側に傾いている。一番手前で強く傾いているのはハマヒサカキで…
和歌山の実家に帰っているのだけれど、今回は車を借りて少し遠出し、那智勝浦近くの太田川の上流に行ってきた。 30年前に実家が和歌山に引っ越してきた時に、散々車で走り回って見つけた私のお気に入りの場所である。 かつては川沿いに1車線の細い道がついて…
ハンモック泊をするために、自転車を1時間ほど漕いで静かな河原へ行ってきた。 ここは以前、親父が鮎釣りをするためによく利用した釣り場所で、通称ホームベース。 30年前にここに引っ越してきた時、この河原に来て景色の美しさ、サカナの種類の多さに感動し…
少なくとも私の田舎では、自転車に乗るのは高校生までである。大人はどこに行くにも車を使う。自転車に乗っている大人をほとんど見たことがない。こちらでは、自転車は子供の乗る、格の低い乗り物である。 私は音の出ない自転車に乗って、周囲の音を聞きなが…
縁側から外を見ていると、サツキの植え込みの中に最近アシナガバチが出入りするようになった。どうやら巣がありそうである。どうして今まで気づかなかったのかな、と思いながら下から覗き込むと、小さなアシナガバチの巣があった。 スズメバチに襲われたアシ…
和歌山の実家に帰って庭の草取りをしていた。刈った草を、ローズマリーが茂った庭の隅に積み上げていた時、右手首に刺すような鋭い痛みを感じた。何匹ものハチの羽音が聞こえたので、慌てて後ろに退いた。 「参ったなあ」と思いながら家に入って、30年ほど前…
私は社会学の門外漢であるが、社会について興味がある。社会学とは社会を説明する学問だろう。社会とは人の集まりであり、人は千差万別である。 ゆえに社会に対して学問的にアプローチをするなら、統計を使わざるを得ない。統計を使わなければ、研究者の内面…
先日、葬儀に参加した。故人が生きている時は特別何も思わなかったが、今はとても寂しい。これからどうやって弔えばいいのだろう、と喪主が話しているのを聞いた。 その時は、個人を弔うことがそのまま先祖崇拝に繋がっているのだな、と思っていたが、その後…
和歌山の実家に滞在している。縁側に座ってぼんやり外を見ていると、サツキの茂みの中にスズメバチが入ってなかなか出てこない。もしかしたら何か餌でもあるのかと思って中を覗き込むと、案の定、アシナガバチの巣があった。バリバリと巣を噛み砕く音がして…
先日、築30数年の実家に帰ってくると、何箇所かの漏水があった。それぞれ、その場しのぎの修理がしてある。滑車を交換した網戸もガタがきていて、開閉するのにコツがいる。雑然とした部屋と相まって、何とも手のつけようのない感に襲われた。 物を大切に使う…
人生は奇跡によって織りなされつつある未完の作品だと思う(以下を参照https://hiroto-pilato.at.webry.info/202201/article_6.html )が、以下の意味で芸術作品だとも思う。 1 膨大な時間をかけ、丹精を込めて作り上げている。 2 奇跡の連続によって作られ…
夢とは長期的展望を持って快を追求する行為である。 これを出発点として考えると、短期的不快を受容して、長期的な大きな快を追求することである。当たり前のことだが、意識としては、受容した短期的不快の総量を長期的快は超えていなければならない。出なけ…
端的とはそこから始まることである。意思とは未来を志向し、決断することとする。 意思はそこから始まっているのか。つまり行為者が主体的に決断したのか。だとしたらその責任はすべて行為者にある。 行為者の判断の根拠は過去の経験からきているだろう。そ…
室内に取り入れた胡蝶蘭が花盛りである。去年は、葉っぱを一枚だけ出した。一昨年は二枚だった。非常に成長が遅い。調べてみると、とても長寿で、80年程の寿命があるようだ。基本、成長の遅い生き物は長寿である。ほんとかウソか知らないが、千年生きると言…
外界とは私以外の世界のすべてのことである。では外界は私とどういう関係にあるのか。快・不快の対象としてのみ、外界は存在している。外界と私にはギャップがあって、それが不快を生み出しているのだと思う。その不快を減少させることが、生きる力になって…
毎日夜明け前に起きているのだけれど、南に面した窓から暗い夜空を見ていると、少しずつ東の空が濃いあかね色に変化していく。そして暗い夜空の中、あかね色のインクを垂らしたように、地平線間際を帯状にあかね色に染める。 世紀の天体ショーという言葉があ…
ビーガンとかベガンと呼ばれる考え方・実践法がある。日本では、菜食主義、あたりで理解されている。 ウィキペディアでは簡潔にまとめられている。 人間ができる限り動物を搾取することなく生きるべきであるという主義。英国にあるVegan Societyの定義による…
大陸プレートの生成分岐線には海底火山が存在し、噴火している。そこには火山噴出物が湧き出している。その噴出物のメタン・硫化化合物(硫黄を含んだ物質)を利用して、大気圏に生きる生物とは全く別の代謝で生きている生物がいる。 初めてその話を聞いたと…