imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー「旅芸人の記録」テオ・アンゲロプロス監督1975年公開 2024年1月20日

あらすじは

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E8%8A%B8%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2

 

簡単に言えば、1939年から1952年までのギリシャの歴史を、ある旅一座の経験を通して描いている。

 

1930年代から50年代にかけて、ギリシャにこんな歴史があることを知らなかった。戦後、共産主義が強かった、というイメージしかもっていなかった。内戦があったということさえ知らなかった。

この映画は監督の怒りの表現だと思う。大国、この映画ではイギリス、の都合に翻弄され、多くのギリシャ人が死んだ。映画では直接表現されないが、ソ連も同じである。

ギリシャ人の命など露ほどにも気にせず、大国が自国に有利になるように立ち回ったために、国内で西側と東側とに分かれて戦い、膨大な数の人々が死んでしまった。そして内戦終了後も人々の心の中に大きな傷を残した。その怒りの表現である。

 

旅一座の中にも東西の分裂が持ち込まれ、一座の座長家族の中にも分裂が起こる。死につながる密告があり、拷問につながる密告がある。

一座の中で疑心暗鬼が渦巻くが、表面上は何事もないかのようにふるまう。かつての仲間がバラバラである。

映画の終わりに、社会が落ち着き、また一座が公演を始める場面がある。何人かのメンバーは殺されてもういない。そしてまるで何事もなかったかのようにふるまう一座。当たり前だが、内戦中の記憶を心に秘めている。もう以前の一座には戻れない。

 

映画自体について言えば、映画は時系列に流れずに、頻繁に前後する。そもそもギリシャの歴史自体をほとんど知らない日本人にとっては、前知識なしにこの映画を観てもほとんど分からないと思う。特に後半は、内戦過程を知らなければ、似たような場面の連続なので、私は興味が続かなかった。

で、当時のギリシャの歴史を調べることになった。これが監督の意図していたことだとしたら、監督のたくらみは成功したと思う。つまりギリシャを踏み台にした大国の酷さを知ったからである。

 

追記

 

私は2014年にグアテマラを5か月旅行した。グアテマラでは1960年から1996年まで、親米派と反米派に分かれて内戦を経験している。旅行時に在住20年ほどの日本人から以下のことを聞いた。

 

誰がどちらの派について活動したか、今でもみんな知っている。誰が誰を殺したかも知っている。家族内でも分かれて殺し合いをした。けれど、今は表面上は全く何事もなかったかのように付き合っている。が、お互い恨み続けている。ただ口に出さないだけだ。

 

一度壊れてしまった信頼を取り戻すことは、とてつもなく時間が掛かるのだと思う。