コロナ自粛に飽き始めて、外国旅行も少しずつ始まっているようだ。とは言ってもタンザニアの情報の需要が高いとは思われないが、気に入った街なので紹介したい。
Arushaはケニアとの国境の町である。ケニア側から国境Namangaを超えると、ArushaかMoshiで宿泊することになる。Moshiはキリマンジャロ登山観光の拠点の町だ。Arushaはンゴロンゴロのサファリトレッキング観光拠点の町だ。
Arushaは人口60万人ほどの町だが、人口から想像するほど、町は大きくない。中心に大きな市場があり、その周辺に飲食店が集まっている。しばらく歩くとすぐに町はずれになり、幹線道路以外は未舗装の道が続く。
ゆっくり滞在するには良い街だと思う。
旅行者が良い街だと感じる必要条件は、良い宿と良い飯屋である。以下それを紹介する。
宿
Mashalle guest house
場所 google map
JMMP+PMW Arusha, Tanzania
もしくは
JMMP+QPJ, Radio Safina Road, Arusha, Tanzania
値段 single room 10000shilling 600円 hot shower , no wifi
居住者からマザーと呼ばれる女性がマネージャーで、皆から慕われていた。シャワー・トイレは共同。
グーグルマップにも、観光ガイドにも載っていなかった。訪ね歩いた宿の中で一番安かった。夜は静かで、地元の宿泊者とも顔なじみになった。落ち着いたいい宿だ。宿の中庭から見える、切り取られた夕日も美しかった。外国人は一人も泊ってなかった。
mashalleはスワヒリ語で悪魔という意味である。
食堂
Mwambao restaurant
map JMJM+Q2H, Wachaga St, Arusha, Tanzania
set 4000shilling 240円
こぎれいな食堂で、ボリュウームがあり、おかずの種類も多かった。
この店を見つけてからは、毎日のように昼食に通った。しあわせであった。
mwanbao とはスワヒリ語で海岸である。どこにも海はなかったが。
タンザニアの多くの食堂は、朝におかずを作り、バットに並べて陳列する。朝食でそれを食べるには何の問題もないが、日本人にとって昼食でそれを食べるのはかなり問題になる。気温が高いので、既に酸っぱくなっているのである。酸っぱいだけならいいのだけれど、翌日軽く下痢をすることになる。下痢の困ったところは、トイレの回数が多くなることではなく、体力を失っていくことである。
新しい町に着くと、いつも以上に真剣に食べ物屋を探した。同じ傾向のある国はトルコの食堂である。
タンザニアの首都のダルエスサラームDar es salaamでは美味しく食べられる昼食の店を最後まで探せなかった。
しかし朝食は作り立てなのでどこで食べてもおいしかった。
dar es salaamとはアラビア語で平和の家という意味である。もしくは平和の棲家か。
Arushaからバスで半日でビクトリア湖畔の町Mwanzaに着く。ここも落ち着いた良い感じの町であった。人口130万人で首都に次ぐ大都市であるが、全くそんな雰囲気はない。ここにも良い思い出がいっぱいある。
ここは、過去にはダルエスサラームDar es salaamの対岸の島ザンジバルZanzibarの奴隷積み出し港に向かう奴隷供給の中継点になって栄えた町である。主に中東に送られた。
MwanzaからDar es saaamまで1000キロを互いに繋がれた人々が歩いて移動させられた。母親にいつまでも子供が付いて来た、という記録が残っている。
mwanzaとはスワヒリ語で始まりという意味である。