imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ ホタルはゆかたの帯に戻るか または 人口が激減する2060年には、昭和の自然は戻るのか 2024年1月12日

先日ユーチューブで河島英五の動画だったか、を久しぶりに聴いていると、お薦めにさだまさしが上がってきた。懐かしくてクリックすると、「線香花火」が流れた。

 

https://youtu.be/MMM20fwUBo8?si=wpnfvWHNNh3r1VvL

 

そこにこんな歌詞があった。

「君のゆかたの帯にホタルが一匹とまる、つゆ草模様を信じたんだね」

若い頃、私はこの描写が好きだった。

ホタルが本当に着ている服の上にとまることがあるのだろうか、本当にあるのならそんな景色を見てみたい、と思ったものだ。

 

「線香花火」は1976年の発売である。さだ氏の実家は長崎なので、長崎では1970年代前半はまだホタルがたくさん見れたのだと思う。

 

さて

 

総務省統計局が発表している2060年の人口推計は9500万人、2100年には4770万人、財務省発表では2060年は1200万人、2100年では7900万人、内閣府が引用している厚労省管轄の国立社会保障・人口問題研究所は2060年に8,670万人、2110年には4290万人となっている。

 

日本には政府として統一された人口推計値はない。それぞれの省でそれぞれに推計している。だから値がばらばらである。それは各省に有利な結論を導きたいからである。例えば、財務省の推計値が高いのは、納税者を多く見積もり、現在の財政赤字が拡大しないことを強調したいからだ。

 

太平洋戦争が始まった1941年の人口は7200万人、1956年(昭和31年)に9000万人に達している。

 

お話にならない財務省を除く推計値では、2060年には9000万人前後なので、人口だけで見ると1956年あたりに戻ることになる。

 

では

 

2060年には、1956年頃の「昭和」でイメージされるような豊かな自然を私たちは楽しむことが出来るのだろうか。

 

私の答えは、否、である。

 

かつては所有者が共有感覚で提供していたリソース、特に土地は、現代では、利益を生むのなら利用して利潤を手に入れようという態度に変化し、利益を生まないリソースは、周囲のことを考えずに放置する。土地であれば荒れ地から藪になっていく。

 

またかつては広い範囲に人が分散して住んでいたが、今は便利な場所に人が集住するようになっている。過疎地域に住んでいた人たちが、近くの町に引っ越してきているのだ。結果、町を少し離れると、放棄された家屋や集落が現れるようになった。

 

昭和の自然は、放置して現れたものではなく、膨大な時間をかけて人が手入れして維持してきたものだ。

 

私の実家は和歌山の海沿いにあるが、30年前は近くにタラ、クサギ、ゼンマイ、スカンポ(イタドリ)があった。春のクサギの新芽をお浸しで食べるのが私は好きであった。タラもクサギも今は見当たらない。ゼンマイも食べるほどの量が取れない。これらの植物は伐採して日当たりが良くなった場所に生える。人が斜面を管理しなくなったので、藪になって他の植物に負けたのだと思う。タラはよそから来た人が新芽を取り過ぎて枯らしてしまったことも原因だろう。

同じころ、山が迫った海岸では、谷川で羽化したのだろう、ヘイケボタルが6月によく飛んでいた。今はヘイケボタルの話を聞かないので、海岸沿いの細い車道ののり面が藪になって住めなくなっているのだと思う。

 

日本は植物の生育環境に非常に恵まれた地域である。十分な気温があって、十分な降水量がある。なので、荒れ地もすぐに藪になり、陽樹の林になり、そして陰樹の林になる。

 

今後、人口が減っても、回顧的に人々が思い描くようなかつての自然は復元されず、親しみにくい自然が再生してくるだろう。

下草で覆われて散策しにくい林や、野生動物と人の生活空間が重なるようになるだろう。

 

25年前、ニュースで見た人口減少の予測を、自然が甦る、と無邪気に喜んでいた自分を思い出す。