表題を何かの隠喩と思って読もうとしている方、それは勘違いです。これはガチの表題です。
「愛と悲しみの果て」と言う映画を観たことがあるだろうか。1985年公開の、ロバート レッドフォードとメリル ストリープが主演のケニアが舞台の映画である。撮影もケニアで行われている。原作は1937年に出版されたアイザック・ディネーセン「アフリカの日々」である。原作はほぼ実際の体験談だと思う。
とにかく大自然の風景が美しい。永遠に続くと思われる濃淡のある緑の疎林の平原。さえぎる物の無い夕焼け。
私はこの風景に心を打たれた。
で、縁あってケニアを訪れる機会があった。景色の雄大さに感動しっ放しである。エジプトからバスに乗って順次南下していったのだが、エチオピア中部あたりまでは砂漠気候かステップ気候で、日本人がイメージするアフリカらしくなかった。
が、エチオピアを南下してケニアに近づくにつれて、広大な平野または丘陵地に疎林が広がる景色に遷移していった。
ある峠を越えていきなり目の前に予期せぬ”アフリカ”が広がったとき、私は思わず胸が熱くなった。
そこからタンザニアに至るまで、幾つかのステップ気候を挟んでサバンナは広がり続けたのである。
これらの国の都市に滞在していると、サバンナの広大さが実感できない。広大さどころか、その存在にも気付かないだろう。たとえ地方都市であってもである。1000ミリ前後と雨量がそれほど多くないため、人口密集地は水を確保するため、周囲と比べて高い場所にはない。故に見通しが効かないのである。
ではどうすれば良いか。都市と都市を移動するときのバスを利用するのである。バスは乗用車よりも座席の位置が高く、より展望が効く。もちろん窓際に座ることを忘れないように。
私はこのバスから忘れられないいろんな景色を見た。百頭を超えるウシの群れを棒を持ってゆっくり追う遊牧民の男たち。川のように密集するヤギを追う子供たち。見渡す限り、道も人家も見えない、アカシアを中心とした灌木林。遥かかなたの林に、ウシの移動と思われる、舞い立つ砂塵。木の骨組みに赤土の泥
などを詰めて円柱形の壁を作り、屋根にはワラ?を円錐形に載せた、おとぎ話に出てくるような小さな家。
私の頭の中では、ずっと「愛と悲しみの果て」の主題歌が流れていた。
帰国後、間を置かず原作を日本語で読んだ。
旅行では知り得ない、いろんなことが書いてあった。1920年前後が舞台で、当時イギリスの植民地であったが、欧米のいろんな国から人が流れて来ていた。行政官を除けば、まあ、食い詰めた人たちである。アメリカはまだ覇権国ではなく、田舎から来た人、と言うような扱いである。第1次大戦の敵国だったドイツ人はさすがに居なかった、と思う。
また著者が経営していた農場には、さすがと言うかインド人もいたし、はるばるソマリ人も来ていたのである。
実際にケニアに行った後に、そこを舞台にした作品を読むと、妙に臨場感が湧き、またいろんな疑問が立ち上がってくる。
原作の中でさらりと書いてあったが、非常にショックを受けたのは、黒人は土地を所有できない、と言うことだった。遊牧民は土地の所有概念が無かったろう。しかし曲がりなりにも交易都市があったのだ。都市部には土地の所有概念があったはずである。またキクユは農耕民族なので、土地所有概念があったはずだ。
彼らすべてをひとつにまとめ、黒人の土地所有は禁止だったのである。
またあちこちに分散して遊牧していたマサイを植民地経営の妨げにならない区画に強制的に追い込んでいる。
改めて植民地の過酷さを知るのである。
そしてアフリカの中では優等生と言われる今のケニアやタンザニアの政治の混乱や経済の貧困を思うのである。
で、表題に戻ると、もしケニアを旅するなら、行く前に「愛と悲しみの果て」を観ることをお勧めする。その美しい風景に心打ち震わせながらのケニア旅行である。
原作は旅行前に読んでもいいが、もうひとつ書かれていることに実感が湧かないと思う。なので帰国直後に読むことをお勧めする。忘れられない読書体験になるだろう。