3年ぶりに旅行をした。僅か2泊3日だったが、家に帰ったとき、今までルーティーンにやってたことがひどくバカらしく感じた。
具体的にはこうである。
腹持ちが良いので普段は玄米を私は食べているが、簡単に炊けるように発芽させてから炊くようにしている。そのためには寒い季節だと3日前から準備を始める必要がある。まず丸1日水につけ、その後ザルに上げて1日2回水をかける。
それまでは何も感じなかったその作業が、ひどくバカらしく感じたのである。
人は慣れる生き物である。避けられない不快を毎日ビビドに感じているとストレスで生存効率が悪くなる。そういう個体は淘汰されていった。なので不快も続けば不快を感じなくなるようになった。
人には向上心がある。あることが出来るようになると、更に新しいことをしたくなる。
不快漸減と向上心が組み合わさると、以下のようになるであろう。
有用ではあるが、ある面倒な作業を自分に課す。面倒で不快であるが、続けば不快が漸減する。すると向上心が働き始め、別の有用ではあるが、面倒な作業を自分に課す。
という終わりのない循環が働く。
気が付けば、有用ではあるが、面倒な作業でがんじがらめになっている。しかし自分ではそのことに気が付かない。
その時、ルーティーンを繰り返す日常を僅かでも離れられるきっかけがあると、そのがんじがらめの自虐的日常に気が付くのである。
気付いた結果、ルーティーンを変えるのもよし、意識したうえで戻るのもよし、だ。
たとえ戻ったとしても、それは以前のルーティーンではない。
以上が小旅行から得られる日常への気付きだが、以下は小旅行から得られる非日常を通した人生の気付きである。
旅行は一人で行くべきである。もちろん二人で行ってもよいが、非日常を感じたければ一人で行くべきである。
人はあまり気付いてないかも知れないが、旅行には以下の効用があると思う。
旅行は未知との出会いの連続である。未知は心をビビドにする。想定外のヒトやモノとの出会いに自分の心がどう反応するか、予想外の自分の心の動きを楽しむ。
オレはこんな場面ではこんなふうに反応するのか、オレはこれを見るとこんな気持ちになるのか、オレはこんなことにも反応できるのか、など新しい自分との出会いだらけである。いろんなことにビビドに反応する自分をかけがえが無いと思うだろう。
それは、自分を大切にする足場を与え、ひいては自己肯定感を醸造する。
一人で行く旅行はそんな経験を与えてくれる貴重な機会になりえる。もちろん大旅行でもよいが、小旅行でも十分な効用がある。