imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

エッセイ 旅行と経済成長率 初めてのタイ旅行 2023年1月

1986年に外国旅行で初めて行ったタイはとても魅力的に見えた。熱帯の町は老若男女の活力とスパイスの香りにあふれていた。人々の身体からはみ出した活力に圧倒され、そしてその親切さに安らぎを覚えた。1991年に再訪したときもタイは同じ印象を私に与えた。平日の昼間からすし詰めの市バスの座席で窓の外を眺めながら、どうしてこんなに人々は活気にあふれているのだろう、と屋台の市場に群がる人々を見ながらぼんやりと考えていた。どうしてこんなに街に活気があるのに、日本よりも経済的に遅れているのだろう、と不思議に思っていた。

 

最近は便利になったもので、部屋に居ながらにして、各国の過去の経済指標を見れるようになった。

で、あることに気付いたのである。

タイのGDP成長率を見てみると、1987年から95年までが8パーセント以上で、特に88年から90年までは10パーセント以上である。5パーセント以上で見ると85年を除いて81年から96年に渡っている。今では考えられないような長い高度経済成長期である。

https://www.imf.org/en/Search#q=thailand%20gdp&sort=relevancy

 

86年にバンコクの中心地のひとつ、中華街に滞在した時、夜になるとしばしば空き地を利用して野外映画上映会があった。日昼の酷暑も引いて、大人も子供もゴムのビーチサンダルをお尻に敷いて、涼しい夜風に吹かれながら体育座りをして観ていた。

色々兆候はあったかもしれないが、まだまだ共同体は維持されていて、その中での人々のつながりは強固だったろうと思う。若かった私にはまだそれを読み取る力はなかったが。

 

人々のつながりがまだ強固だったときに、好景気が長期にわたって続いた。心に余裕のある人々が、好景気で浮かれていたのだと思う。たまたまそういう時期に私はタイを旅行した。そして人々の身体からあふれる活力と控え目なしぐさと親切さに包まれて、ただただ感動していたのだと思う。

 

今、このような国を探すと、何処になるのだろうか。GDP10パーセントの維持は望むべくもないが、5パーセントあたりなら見つけることが出来る。

例えばバングラデシュ。3度の例外を除いて、1990年から現在まで4パーセント以上を維持している。

https://www.imf.org/en/Search#q=bangladesh%20gdp&sort=relevancy

 

インドは3度の例外を除いて2003年から現在まで5パーセント以上を保っている。

https://www.imf.org/en/Search#q=india%20gdp&sort=relevancy

 

数年前にインドを数か月旅行したことがあるが、好景気に沸いている、という印象はなかった。好景気のインドしか見たことが無いので、それが普通のインドと勘違いしている可能性はあるが、成長率が5パーセントと10パーセントとでは、受ける印象が違うのかもしれない。

 

別の見方をすれば、高度経済成長は地域共同体という外部を豊富に持つリソースを消費しながら成り立っていた、ともいえる。つまり10パーセントのような高度な経済成長は、ひとつの地域が歴史上1度だけ経験できる現象だったのだ。

ここで言う外部とは、GDPにカウントされていないが暮らしに大切なもの。例えば入会地、家事など。

 

初めての外国旅行は私の人生に不可逆の刻印を押したと思うが、ひとつにはたまたま運のいい時期に訪れたということ、もうひとつは私がまだ20代前半で、強いビビド感を持っていたことだと思う。もっと言ってしまえば、本質は後者で、前者は後付けの理由かもしれない。

だとしたらあんなに楽しい旅行は2度と出来ないのだろう。

だとしても、かっての体験を求めて、好景気が続くバングラデシュにいつか行ってみたいと思う。



2019年、数十年ぶりにタイを再訪した。驚いたことにバンコクの市バスはガラガラであった。かっては中に乗りきれない人たちが、ドアにしがみ付いて鈴なりになって乗っていたものだ。運賃を徴収する車掌が鬼のように乗客を押し分けてお金を取りに来ていた。

市バスから乗客が減った理由は明らかだった。自家用車の所有率が上がり、また、少し高いがより快適な地下鉄や高架鉄道に乗客が流れたのだ。今回、市バスで座れなことは一度もなかった。

掃いて捨てるほどあった歩道の軽食屋台は何処にもなかった。溢れるような人々で賑やかだった街も、一部の繁華街を除けば、閑散としていた。

特に驚いたのは、古都チェンマイの変わりようだった。例えば総菜屋。当時はあちこちにあった北部タイ料理の総菜屋がどうしても見つけられず、私が泊っている宿屋のオーナー目当てに朝に売りに来る単車の移動販売で一緒に買っていた。おこわと食べる総菜は相変らず美味しかった。帰国後調べてみると、屋台が禁止されたうえに、市場が郊外に、または新市街に移動したことが原因のようだった。

旧市街の一本裏道を入ると、明るい舗装道に人影が見当たらずまるでゴーストタウンのようであった。立派な家々に間違いなく人は住んでいるようだったが、昼間に人影はなかった。不思議な気持ちで町を歩いた。



追記

 

タイの隣国マレーシアでは1988年から96年まで、1度の例外を除いて9パーセント以上の成長率を確保し、好景気を享受した。このときにマレーシアに行けば、タイ以上に活力のある社会を見れたかもしれない。テラワダ仏教的包容は無かったろうが、イスラム教的包容を体験できただろう。

 

経済指標をざっと見渡すのに便利な日本語のサイトで私が利用しているのは、以下である。

 

https://ecodb.net/