imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

映画評 レビュー 「海の沈黙」ジャン・ピエール・メルヴィル監督1949年公開 2023年11月

第2次大戦中、ドイツに占領されたフランスが舞台である。あるドイツ将校と、彼に部屋を貸すことになった田舎に住むフランスの叔父と姪の3人の話だ。

ドイツ将校は礼儀正しく、しかもフランス文化を尊敬している。毎晩始まる彼の流暢なフランス語でのフランスとドイツ文化の称揚を叔父と姪は沈黙で応じる。

ドイツ文明とフランス文明の融合を希求するドイツ将校は、休暇でパリを旅行した際、他の将校たちから2つの文明の融合は宣伝文句に過ぎず、実際はフランスを利用し尽くし、廃墟にすることだと教えられる。

絶望した主人公のドイツ将校は、叔父と姪にそのことを伝え、自分は前線を志願したことを告げ、家を後にする。

 

原作は1941年に書かれ、42年に地下出版された同名の小説である。本書はフランスのレジスタンスの心のよりどころになったようである。44年にはイギリスで翻訳出版されている。

この小説がフランスで書かれ、イギリスで翻訳されたとき、もちろん第2次大戦の結末を誰も知らない。筆者は熱い気持ちで書き、読者は胸を熱くして読んだと思う。

対してこの映画の台本が書かれ、そして公開されたとき、製作者も視聴者もこの戦争の結末を知っていた。

この違いが小説と映画のストーリーの違いに出ている可能性がある。

 

それにしても映画に出てくる主人公のドイツ将校は善意の人である。対するフランス人2人は沈黙で応じているが、後半には好意さえ抱いている。

これが占領下のフランスのレジスタンスを描いた小説として戦時中人気があり、戦後には映画化されて人気があったのである。

もし日本で同じ主題で小説や映画を作ったら、もっと荒々しいものになっているだろう。中国が作った日本に対するレジスタンスを表現した作品は実際に荒々しい。もしくは歴史教育は荒々しい。当然であろう。

 

さて、武装闘争をした少数を除けば、この沈黙という抵抗が市民が実際に出来る精一杯だと思う。それ以外、例えばサービスの提供をしない、と言うようなことは現実的ではなかったろう。なので現在進行形で占領が続いているときはこの方法は人々を引き付け、意味を持った。

 

それにしても後半は将校に好意を抱いているのである。ドイツ人にもいろいろな人がいるだろう。ドイツ人という制約の中でフランスを好意的に理解しようともしている。叔父と姪に礼節を尽くして接した。

だとしても原作が書かれたのは占領中である。映画が公開されたのは終戦直後である。実際の占領には残酷なことも多々あったと思う。

この表現はあまりにも冷静過ぎる。

 

人は似たような生き物である。ある刺激には皆同じような反応をする。私がこの冷静さを理解できないのは、私とフランス人が違う生き物だからではなく、私の前提とフランス人の前提が違うからだろう。今の私にはそれが何か皆目分からない。

 

映画の終わり、将校が家を出ていくとき、叔父がそっと示したのが、罪深き命令に従わぬ兵士は素晴らしい、という書物からの引用であった。ここのみが、沈黙以外に唯一表現された、とても抵抗とは言えない程の、仲間意識の混じった叔父の感情である。

 

足の悪い将校が前線で戦うという選択をしたことは、死を決意したことを

暗示している。