imakokoparadise’s diary

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

叙情的な、私的な話 森田童子

人には人生の懐メロと言うものがあると思う。十代後半に聴いていた、そしてそれ以降の人生においてもしばしば口ずさむ歌のことだ。

https://imakokoparadise.blog.jp/archives/13250852.html

 

今日何年かぶりに森田童子を聴いた。

森田童子がメジャーデビューしたのが1975年で、私が森田童子を知ったのは1976年の高校1年の時だ。僕と観光バスに乗ってみませんか、という曲だった。ラジオから流れた曲をカセットテープに録音して何度聴いたか分からない。

ぼくと観光バスに乗ってみませんか

 

この曲のさびに、あのドゥユワナダンスで昔みたいに浮かれてみたい、という部分がある。当時は動画もなく、歌詞カードも手に入らず、ラジオから流れる音を頼りに意味をくみ取っていた。しかしドゥユワナダンスの正確な音も意味もどうしても分からない。融和なダンスと聴きなすと前後の意味が合うので、そのつもりで聴いていた。今回音質が良かったのか降って湧いたようにdo you wan`aと聴こえた。この短調の曲に、do you wan`a調のダンスを聴いて踊りたい、と言っていたのだ。

その悲しみの深さをしみじみ感じずにはいられない。

 

リバイバルでもヒットした、さよなら僕の友達、というのがある。

森田童子 - さよならぼくのともだち

 

この歌詞の中に、行ったこともないメキシコの話を君は薬が回ってくるといつも僕に繰り返し話してくれたね、とあり、それからメキシコは私にとって何か得体のしれない特別なものになった。2014年にメキシコに行ったとき、なぜ私がメキシコに特別の思いを抱いているのか、その由来をすっかり忘れていたが、今日この曲を聴いて思い出した。壁画家のシケイロスでもディエゴ・リビエラでもオロスコでもフローレスでもなかったのだ。

 

サナトリウムというあまりメジャーでない曲がある。

サナトリウム:森田童子

 

この曲の中に、だから僕の左の肺は水で一杯です、もうすぐ僕の左の肺の中に真っ赤な花が咲くはずです、という部分がある。

この曲を聴いてた頃は、何とも気持ちの悪い空想だな、一体どこからこのイメージをインスパイアしたんだろう、と思っていたが、きょう歌詞を見てみると、出だしで、漱石の本、投げ出して、とあるので、肺結核で死んだ夏目漱石をイメージしていたのだと気づいた。あの頃は夏目漱石が肺結核で死んだということも知らなかったし、肺結核が大量の血を吐くということも知らなかった。

それにしても、なぜ夏目漱石なんだろう。10年後に聴けば、分かるかも知れない。

 

若いときに経験したことを、時間がたってから再経験すると、当時とはまた違った意味が上書きされて、私の世界が少しずつ変わっていくようだ。